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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

シシュフォスの恐怖

2007年07月20日 | 千伝。
親鸞聖人の歎異抄にある。
・・善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや・・。

が、悪人ほど自分は善人で正しいと思い込んでいる。
自分が正等な考えの持ち主だとおもっている。
 
だから、周りのせいにしたり、世の中のせいにしたりで、犯罪や少々の不正をやっても許されると自分で納得する。
 
最近の例が三浦和義。出生の不幸からきた身勝手なわがまま。
例えば、殺人しても万引きしても、僕は知らないよってな調子である。

ヤクザや犯罪者、独裁者政治家にいたるまで、悪いことを平気で行なえる輩は、自分は間違ってないとか、仕方ないとか思える人間に違いない。

今日の大阪の家族4人の無理心中は、悲しい。
34歳の自営業の男だが、同い年の妊娠8ヶ月の奥さんと相談した結果だとのこと。
「仕事がなく、生活が苦しい」というメッセージを携帯電話に残していたとか・・。
二人の幼い子供の名前がとても可愛らしく、大変不憫に思う。合掌。

時々、ギリシャ神話の中で、神ゼウスから永遠の責め苦を与えられたシシュフォスを思う。
来る日も来る日も、転がる大きな岩を山頂まで押し上げて運ぶ苦業である。

小生の所感です。
生きることの苦しみは、人に責められて、人生を背負うこと。
生きることの楽しみは、人に責められても、自分を背負うこと。