ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ぽっくり じっくり

2011年06月05日 | 百伝。
さきほど、百島診療所日記を読んでいると、とても嬉しくなった。

三原の小作木島への訪問診療が実現したとのこと・・夢への第一歩が叶ったのである。

おめでとうございます!

「大きな病院には、よい医師がいる」という安心感もあるが・・。

「身近に寄り添う医師、看護師こそが、よい医師、看護師なのである」

五年前、父が入院退院を繰り返したあと、最期の場所を選んだのは、百島の自宅だった。

母や家族の迷惑を考えず、父は、ただ単純に自宅の畳の上から、あの世に逝きたかったのであろう。

母ひとりで、父を介護をする老々介護生活の始まりだった。

三度の食事介助、毎夜のオムツ交換、清拭、着替え、汚染物の洗濯・・大変だったと思う。

当時、小生は、企業サラリーマンを辞めて、自営業を行いながら、介護の世界にも足を踏み入れた頃である。

だから、行動日程や時間を自分自身で調整管理できたので、ある意味では親孝行ができたと思っている。

父が亡くなるまでの半年間、入浴介助等を手伝うために、小生は、福井と百島の間を一週間に一度の割合で往復していた。

それと嬉しかったことは、尾道の松本病院の若先生と婦長さんが、わざわざ百島の我が家まで、週に一度二度、父の往診に来ていただいていたことである。

我が家族で決断したものの、医師もいなかった百島のような離島での老々介護生活は、非常に心細かった。

そんな家族の心配も苦労も知らないまま、父は、希望通り、自分が建てた自宅から悠々とあの世に旅立っていた。

現在、小生は、患者として、介護現場責任者として、福井のとある病院でお世話になっている。

この三年間で、次から次へと何十人もの方々をお見送りをした。

お年寄りが、次から次へと押し寄せてくるような感覚なのである。

これからの日本、超高齢者時代が間違いなくやってくる。

在宅医療・訪問介護へシフトさせるのが厚生省の指針だが、非常に難しいと思う。

孤独死が、驚かない当たり前の時代になるのも不思議ではない日本の現実なのである。

病院も、特養も、ベッド(床)数が、まったく足りないのである。

ぽっくりと・・あるいは、じっくりと・・残された人生の選択問題である。

されど、人生の終末、ピンコロリとは、うまくいかない。

だからと言って、じっくりと死ぬのも・・嫌なもので怖いもの。

生まれてきた以上、日本人の死亡率も、通常百パーセント(100%)です。

だからこそ、元気が一大事。

朗らかに、強い気持ちで、ファイトです。