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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百日目

2011年06月18日 | 百伝。
「農地は、作物を食べてくれる人のための公共物でもある」

この持論は、正しいと思う。

昨日のテレビ朝日系列の「報道ステーション」で、福井の農業人「片岡仁彦氏」を紹介していた。

福井から大規模農業に挑む彼の考え方は、農業経営のビジネスマンの姿である。

福井市郊外の耕地から彼の農業人生が始まり、次には、三国(福井県北部)の丘陵地帯の田畑を借りて、福井市から片道約1時間をかけて通いながらも独り耕作していたらしい。

さらに、現在、北海道の大地を借りて、福井と往復しながら、独り耕作するという。

農は、平和国家の中心事業である。

食は、基本的人権の中心である。

東日本の被災地から、日本の農業改革を推し進めるのが、ピンチをチャンスに変える千載一遇の機会かもしれない。

あと十年もすれば、日本の農業の担い手がいなくなるという。

片岡氏のような情熱を持ったプロの農業人に任せた方がいいのかもしれない。

「立てる農夫は、坐せる紳士より尊し」(フランクリン)

現広島市の松井一実市長が、被爆者援護に関して「何かの権利要求みたいに、わしは被爆者だから医療費まけてくれとか・・くれ、くれではなくて、感謝の気持ちを忘れている人がちょっとおる」と発言したとか・・被爆者団体から批判の声もあがっているらしい。

この発言は、勇気ある正しい持論だと思う。

松井市長自身も被爆者二世だとか、だから余計に平和=被爆者の「ゴネ得」な権利要求に嫌気がさすのかも知れない。

ヒロシマへのオリンピック誘致運動を撤回した元厚生労働省官僚の松井氏・・どんなビジョンを示すのかお手並み拝見である。

あと十年もすれば、ナガサキ・ヒロシマの被爆者もいなくなり、新たにフクシマを中心とする被曝者団体が現れるのであろう。

平和社会でなければ、治安不穏な混沌社会か戦争国家となる。

飢餓寸前の空きっ腹の経済状態になれば、誰もが、自分の故郷や国に対して愛郷心や愛国心など芽生えない。

人の痛み、苦しみを分かち合うことが出来る社会になりますように。

デブかヤセとなり、ハゲか白髪となり、病いと友となり、老いてゆく近い未来を考えれば、誰もが必ず向こうの世界へ行く前に、今は、笑い飛ばしたくなるぐらい幸せな気分になる。

幸福、不幸のどちらも心の中で、ふわふわと浮いている。

今日は、東日本大震災から百日目・・卒哭忌とも呼ばれて、哭(な)くのを卒業する日であるという。

静かにご冥福を祈ります。合掌。