ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

初詣 百島参詣道

2013年01月03日 | 百伝。
今日の午後に百島に到着・・夕方には、百島から帰福へと。

およそ三時間程の百島での滞在でしたが、意味ある時間となりました。

人は、「幸」を願い、「福」を求めます。

とりわけ、新年の始まりは、その気持ちが強くなります。

朝、福井を発つ時は、20センチほどの雪が積もっていました。



滋賀県県境では、もっと雪が積もっていました。





琵琶湖が見える頃には、空がだんだんと晴れ上がっていきます。

日本三大弁財天の一つ、竹生島が見えます。





京都の朝空には、太陽が昇り、月も映えていました。

新大阪から鹿児島行きの新幹線「さくら」に初めて乗りましたが、広々として快適なシートでした。

あっという間に福山着・・在来線に乗り換えて、尾道まで。

さて、日本一高いという船賃(尾道から福田まで750円)のフェリーに乗船しました。

僕にとっての尾道水道は、百島への参詣水道なのです。

この運賃750円が高いか、安いのかというと・・贅沢なランチタイムと考えています。

見てください・・この参詣道を!





浄土寺も見えます。

あの近くに暮らしていた高校の同級生が、家の窓から、船に向かって、よく手を振ってくれたのを思い出しました。

感謝。



松本病院も見えてきました。



この病院には、父がお世話になりました。

父の最期は、医師のいなかった百島の自宅で介護、そして看取りましたが、理事長の息子さん(若先生)と婦長さんに、毎週一度、百島まで往診して頂きました。

感謝。

尾道大橋です。







右手は、松永湾です。

昭和30年代初め、この松永湾を埋め立てて、富士製鉄か?川崎製鉄か?どこかが製鉄所を作ろうかという話になっていたようです。

その誘致話は、松永湾が狭いので、千葉県の君津に持っていかれたようです。

今思えば、それがヨカッタのかもしれません。

代わりに、日本鋼管の誘致が成功となり、製鉄所を作り、大きく発展したのが、福山市です。

両隣の福山や三原よりも、尾道の方が、風光明媚、そして知名度があるのは、明らかに・・尾道水道の存在風景があるからです。

もし、松永湾が製鉄所になっていたならば・・尾道の根幹となる尾道水道やら百島界隈は、大きく変化していたのかもしれません。



尾道は、近未来の道州制をにらんで、先じて州都に立候補をすればよいと考えます。

広島市や岡山市が州都になるよりも、新鮮かもしれません。

加島の九頭龍山も当木島も見えてきました。



当木島・・伊勢の二見浦の夫婦岩のイメージがあります。

百島が、見えてきました。

感謝。

手を合わせます。





尾道水道は、百島への参詣水道でもあります。

この存在感は、素晴らしいの一言です。

無事、泊の厳島神社への初詣を終えることができました。



今夜、無事に帰福。

福井は、雪の世界のままでした。







感謝参詣。

百島詣で

2013年01月03日 | 百伝。
年末詣では、伊勢と京都を廻りました。

「笑門」の注連飾りを内玄関に飾りました。



「蘇民将来子孫家」の注連飾りを外玄関に。



元旦の朝から、福井地方は、大雪でした。

初仕事は、雪かきでした。

初夢は、伊勢・二見浦の夫婦岩とルクセンブルグの雪降る風景でした。

正月三日・・ちょっと体調が快復しました。

日帰りのトンボ返りですが・・今から出かけます。

初詣は、やっぱり・・百島参拝です。

百島詣で・・幸福の原点に戻る最高の近道です。