百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

生き神さま。

2013年01月19日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今日は、眼科医へ・・だいぶ、よくなっているとのこと。

さて、「おじゃマップSP in 百島」・・録画したのを、もう一度観てしまいました。

百島診療所の中で、「この人らは、ええ人ばかりで、生き神さまのような人なんよ!」と言ってた方・・?.

あれ? ・・あれれ!!

同級生の保っちゃんのお母さんでした。

昔から、保っちゃんのお母さんには、とてもお世話になりました。

我らの青春が輝くのは、ひとえに保っちゃんのお母さん、そして、お父さんの御蔭様です。

保っちゃんの家で、夜が明ける朝まで一晩中、若い男女入り混じって、ドンチャン騒ぎしても・・受け入れてくださったのですから。

おまけに、朝は、おにぎりまで用意してくださっていました。

普通の家庭では、「何をしとんじゃ!」と怒られるのが必定です。

不良少年少女の不純異性行為ではないと・・信じてくださっていたのです。

・・凄いご夫婦でした。

とりわけ、保っちゃんのお父さんは、大きな人物でした。

あれは、中学二年生の時の思い出です。

とてもいい先生なのですが、生徒を「えこひいき」とするという理由で、我々同級生男子ほぼ全員で、先生の授業をボイコットしたことがありました。

授業に出ないで、裏手の八幡神社で、遊んでいました。

担任が、血相を変えて、探しに来たのを憶えています。

前代未聞のボイコット事件だったようで、あとあと大変だったようです。

親には、叱られました。

例の百島流の「風が、わりぃ事をするな」という「ならぬものは、ならぬ」のです。

あの当時の記憶が鮮明に残っているのが、保っちゃんのお父さんの言葉なのです。

「ほんとうに自分が正しいと思うなら、その行動はいい。でも、みんながやるから、何も考えずに、ついていくだけならばダメだ」

・・そんな意味を持つ重い言葉でした。

今でも、胸の中に生きて、人生の分岐点のその都度その都度に役立っています。

保っちゃんのお父さんは、戦後、台湾から百島に引き揚げてこられて、尾道市役所に勤務していました。

新尾道駅の新設には、尽力をつくされた方でした。

山陽新幹線が開通した時、広島県内の新幹線の駅は、福山駅と三原駅、そして広島駅の三駅のみでした。

その後、誘致完成した新尾道駅は、地元尾道の意地と寄付金で、出来上がったのです。

福山、尾道、三原と・・短い間隔で、新幹線の三駅があるのは、全国でも珍しいのです。

尾道市観光課課長だった時期もありました。

御存命ならば、今回の「おじゃマップ」の百島訪問・・嬉しかったと思います。

百島のいろんな人に育まれたんだな・・という想いがします。

生き神さまのようだった保っちゃんのお父さんへ。

合掌 感謝。