ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島の風車(かざぐるま)

2014年07月18日 | 百伝。
愛媛県の八幡浜に「真網代くじらリハビリテーション病院」というのがあるとか。

その庭に石の風車(かざくるま)が、10基ほどあるとか。

微風が吹けば・・その石の風車が、回るとか!!

・・東京おもちゃ美術館館長、芸術教育研究所所長の多田千尋先生から聞いたお話です。

江戸時代の風車には、無病息災を表意するものがあったとのこと。

六枚羽根の一枚一枚が、米俵のかたちになっています。

「六つ」の「俵」で、「む・ひょう」と音読みして、無病息災の風を吹かせるのでしょう。

以前、その話を・・知り合いの彫刻家にお話しされたようです。

それが、どこで繋がったのか・・真網代くじらリハビリテーション病院から、心の病、摂食障害、痴ほう症等々をケアするために、庭にモニュメントの石の風車を作ろうという話が持ち上がったそうです。

でも、その彫刻家の方は、箱根の彫刻の森等に展示しなければならないほど忙しく、「リハビリ病院の庭が作品の展示場」というのも、芸術家として気が引いてしまった感があるのでしょう。

その背景を知る多田先生は、その彫刻家の方に「是非とも引き受けるべき仕事だ」と説明したようです。

今、真網代くじらリハビリテーション病院のモニュメント(石の風車)は、入院患者さんは勿論、地元の方達の誇りにもなり、ちょっとした観光地にもなっているようです。

地元テレビ局からも天気予報のロケ中継に頼まれることもあるそうです。

これは、医療設備と同等レベルでの「遊び心」溢れる演出でもある・・と多田先生のコメント。

百島診療所とアートベース百島を巧く組み合わせれば、百島にも無病息災を祈るよい風が吹くのでは・・。

ちょっと、そんな思いで、百島の風車は、何だろう?・・と考えています。

妻籠で「百島」を考えた。

2014年07月18日 | 百伝。
妻籠宿・・かつては、中山道一賑やかな宿場町だったとのこと。





時は、今・・平日の妻籠のメイン・ストリートです。



ほとんど観光客も歩いていません。

・・平日のせいでしょうか?



平日の駐車場料金は、必要ないのでは?・・と思うぐらい閑散としていました。

それでも、江戸時代へと、ふとタイム・スリップしたような感覚になりました。

江戸時代は、さぞ賑やかだったのは、間違いのない情景・世界です。



この本陣は、島崎藤村の母方の実家だとのこと。

とても雰囲気のある宿場町なのですが・・ほとんど観光客がいないのです。

宿場通りに「空き家」が、増えているのも現実なのです。

馬籠、妻籠・・木曽路ルートは、歴史的な資源もあります。

世界遺産になれば、京都やベニスのように集客努力もせずに世界から観光客が集まってくるのでしょうが・・このままならば、どうなるのか?・・という心配が先に立ちました。

でも、京都・祇園祭のごった返す人混みの中の観光巡りよりも、今日選択した妻籠散策の方が有意義でした。

木曽は、「もったいない観光地」です。

木育普及活動といえば、多田千尋さん。

そのマネジメントには、鋭さと際立って素晴らしいものがあります。

この木曽の地域には、そういった人材が、必要なのではないかと考えました。

全国から「木曽大好き応援隊」のような存在も必要かなぁ・・と思い巡らしました。

裏返せば、妻籠で考えた「百島への想い」でもあります。

木曽路へ

2014年07月18日 | 千伝。
先程まで、NHKラジオの昼番組が、広島県府中市から生中継されていました。

「木育(もくいく)」という地域活動が、紹介されていました。

昨日、南木曽町まで出かけて参りました。

岐阜県中津川に降り立ち、国道19号線の木曽路に入りました。

まっすぐに北上すれば、長野県塩尻です。

ここで、島崎藤村の「夜明け前」の舞台になった馬籠(現・岐阜県中津川市)にも立ち寄ろうかと悩みましたが・・



そのまま、長野県南木曽町妻籠へ。

妻籠は、先日の南木曽町の土石流の被害にも、大した影響もなかったようでした。

木曽路というのは、今でいう中山道六十九次に組み込まれています。



江戸時代には、京と江戸を結ぶ・・東海道五十三次と並ぶスーパー・ハイウェーでした。

ちなみに、島崎藤村は、「木曽路は、すべて山の中である・・で始まる夜明け前」の中で、中山道ではなく、東山道(とうさんどう)とか、木曾街道六十九次と記載しています。

木曽の蕎麦は、美味です。

日本の書物に「蕎麦」という言葉が、初めて登場したのは「木曽の蕎麦」だったとのこと。

昔、百島の祖母が作ってくれた「蕎麦」の味覚と似ているような記憶が甦りました。

この界隈に暮らす方は、生涯に百度ほど「海」を見れたらいいかなぁ・・とおっしゃていました。

木曽と瀬戸内海は、不思議な繋がりがあります。

でも、木曽は、やはり「木育」が似合う地域です。

島崎藤村の~夜明け前 序の章~を下記に抜粋します。

見事なまでに「木曽への案内」を、巧みに描いています。

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 木曾路(きそじ)はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。
 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠(じっきょくとうげ)まで、木曾十一宿(しゅく)はこの街道に添うて、二十二里余にわたる長い谿谷(けいこく)の間に散在していた。道路の位置も幾たびか改まったもので、古道はいつのまにか深い山間(やまあい)に埋(うず)もれた。名高い桟(かけはし)も、蔦(つた)のかずらを頼みにしたような危(あぶな)い場処ではなくなって、徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降(くだ)って来た。道の狭いところには、木を伐(き)って並べ、藤(ふじ)づるでからめ、それで街道の狭いのを補った。長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、いくらかずつでも嶮岨(けんそ)な山坂の多いところを歩きよくした。そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫(はんらん)が旅行を困難にする。そのたびに旅人は最寄(もよ)り最寄りの宿場に逗留(とうりゅう)して、道路の開通を待つこともめずらしくない。
 この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、その制度組織の用心深さをも語っていた。鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、これほどよい要害の地勢もないからである。この谿谷(けいこく)の最も深いところには木曾福島(きそふくしま)の関所も隠れていた。
 東山道(とうさんどう)とも言い、木曾街道六十九次(つぎ)とも言った駅路の一部がここだ。この道は東は板橋(いたばし)を経て江戸に続き、西は大津(おおつ)を経て京都にまで続いて行っている。東海道方面を回らないほどの旅人は、否(いや)でも応(おう)でもこの道を踏まねばならぬ。一里ごとに塚(つか)を築き、榎(えのき)を植えて、里程を知るたよりとした昔は、旅人はいずれも道中記をふところにして、宿場から宿場へとかかりながら、この街道筋を往来した。
 馬籠(まごめ)は木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。西よりする木曾路の最初の入り口にあたる。そこは美濃境(みのざかい)にも近い。美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿(しゅく)を見つける。街道の両側には一段ずつ石垣(いしがき)を築いてその上に民家を建てたようなところで、風雪をしのぐための石を載せた板屋根がその左右に並んでいる。宿場らしい高札(こうさつ)の立つところを中心に、本陣(ほんじん)、問屋(といや)、年寄(としより)、伝馬役(てんまやく)、定歩行役(じょうほこうやく)、水役(みずやく)、七里役(しちりやく)(飛脚)などより成る百軒ばかりの家々が主(おも)な部分で、まだそのほかに宿内の控えとなっている小名(こな)の家数を加えると六十軒ばかりの民家を数える。荒町(あらまち)、みつや、横手(よこて)、中のかや、岩田(いわた)、峠(とうげ)などのがそれだ。そこの宿はずれでは狸(たぬき)の膏薬(こうやく)を売る。名物栗(くり)こわめしの看板を軒に掛けて、往来の客を待つ御休処(おやすみどころ)もある。山の中とは言いながら、広い空は恵那山(えなさん)のふもとの方にひらけて、美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。なんとなく西の空気も通(かよ)って来るようなところだ。
 本陣の当主吉左衛門(きちざえもん)と、年寄役の金兵衛(きんべえ)とはこの村に生まれた。吉左衛門は青山の家をつぎ、金兵衛は、小竹の家をついだ。この人たちが宿役人として、駅路一切の世話に慣れたころは、二人(ふたり)ともすでに五十の坂を越していた。吉左衛門五十五歳、金兵衛の方は五十七歳にもなった。これは当時としてめずらしいことでもない。吉左衛門の父にあたる先代の半六などは六十六歳まで宿役人を勤めた。それから家督を譲って、ようやく隠居したくらいの人だ。吉左衛門にはすでに半蔵(はんぞう)という跡継ぎがある。しかし家督を譲って隠居しようなぞとは考えていない。福島の役所からでもその沙汰(さた)があって、いよいよ引退の時期が来るまでは、まだまだ勤められるだけ勤めようとしている。金兵衛とても、この人に負けてはいなかった。
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