よりよい生き方を教えてくれる。
よりよい死に方を教えてくれる。
今生きる社会で、ふと、幸せかな?不幸せかな?と思い巡らすと、他力本願でパワースポット巡りをするとか、神社寺院を参拝するとか、あるいは、自力で踏ん張る❗
神さま仏さま、宗教の神々に頼る事が手っ取り早いのは、人間の業です。
自力の禅宗、他力の念仏宗。
今から800年ほど昔、日本に二人の偉人が現れました。
現在の日本社会に今も大きな影響をもたらす道元禅師と親鸞上人です。
その600年後の江戸時代末期、曹洞宗寺院で修業した良寛さんは、道元禅師の正法眼蔵を読み漁ります。
現在では、禅の宗教書というよりも世界一の哲学書だという評価があります。
良寛さんの悟りとは、道元禅師の語る通り人間平等、仏性の姿なのです。
しかし江戸時代の寺院には、士農工商さらに非民という身分差別がありました。
死んだあとの戒名でさえ、非民は草とか糞とか、一語が入ります。
良寛さんが、越後に戻ったあとも、寺を持たず住職にもならない理由が分かります。
越後は、親鸞上人が流刑にされた地でもあり、親鸞上人が、「念仏、他力こそが救い」だと悟った地でもあります。
自力禅師の良寛さんは、当然他宗の親鸞上人の教えを百も承知のはずです。
そして、良寛さんが貧しい民から托鉢によって生かされたことも分かります。
良寛さんは、面白い事に、南無阿弥陀仏とよく書いたようです。
良寛さんの生誕地出雲崎には、良寛記念館があります。
この記念館に入館すると、日本で一番多く研究、資料、物語、書物として記録されて、広く評価されている人物は、良寛さんではないかと考えてしまいます。
それほど、良寛さんの生き方、死に方は、自力も他力も融合されているのです。
良寛史料館の中の書棚です。
すべて、良寛さんに関係するものです。
残念ながら、この書棚の中に新美南吉の書いた書籍はありませんでした。
良寛さん、若い頃は、岡山県玉島の曹洞宗円通寺で、師匠の国仙和尚から、大愚という号を授けられました。
大愚良寛の誕生。
人間は小賢しい知恵を持って生きています。
自分で自分を、愚かな人だとほとんどの方が言わないでしょう。
愚かになれる事は、仏道の世界ではちょっとした憧れの境地でもあります。
大愚の号を与えられた良寛さんは、その頃から天真爛漫、愚直なまでの人間だったかもしれません。
乞食坊主とも揶揄されながら、托鉢する無一文の禅師としての生き方。
道元禅師の教えを貫いています。
良寛さんの終焉地、和島には、良寛の里美術館があります。
どれだけ、良寛さんが人々から慕われたか、その人柄が伝わってきます。
今風に例えると、介護の必要な高齢者を彷彿する良寛さんの晩年。
曹洞宗良寛禅師の眠る浄土真宗隆泉寺の住職さんに、良寛和尚は、御自身で希望して、ここで眠っているんですか?と訊いてみました。
住職さん曰く、良寛さんは、どこの寺院とか、どこに墓をとか、一言も残さず遷化されたとのこと。
「俗に交われば、俗になる」ということを自覚していた、とても自分に厳しい人だったと思います。との由。
生き方は、自力。
死に方は、他力。
良寛さんの世界へ誘ってくれた新美南吉に感謝です。