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100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

星野哲郎忌

2019年11月15日 | 空木宝剣

さようなら 宇野 高松の 連絡船

109年の歴史を持つ「宇高連絡船」が、来月16日にて幕を閉じるとの事。

1910年(明治44年)より大正・昭和・平成と続いた四国への海路が、令和という終着港にアンカーを降ろす。

団塊が15才の昭和40年頃、高松の栗林公園への家族旅行の際、利用したのが宇高連絡船だった。

特等室のキャビンが豪華だった記憶がある。

その後、何度か乗船したが、宇野港を発ち、直島や大槌・小槌を抜けて、男木・女木島・屋島を眺めれば、高松港に到着。

優雅で長閑な船旅が、瀬戸内海を行きかいしていた。

1908年開業の青函連絡船は、青函トンネル開通の1988年に終焉となったが、1910年誕生の宇高連絡船は、1988年4月瀬戸大橋開通後も、平成の30年間を生き延びた。

失って分かるものがある。

人は、便利さを追及するあまりに、橋やトンネル、空まで飛んだりする。

忙しさに疲れた時、昔にフィードバックする乗物の灯りが、またひとつ消ていくのが寂しい。

♪連絡船よいつまでも

星野哲郎

(1925年9月30日~2010年11月15日・周防大島出身)

星野哲郎は、働く人々にエールを送る「人生の応援歌」を作り続けた作詞家。「連絡船よいつまでも」 「函館の女」「なみだ船」 「兄弟船」など星野演歌といえば海。その詩作の原点は、海の男に憧れ、挫折した青年時代の体験にある。海の貴婦人と呼ばれた練習船「海王丸」で航海訓練を終え、船乗りになったが、過酷な労働のため大病を患い、長い療養生活を余儀なくされた。死と隣り合わせの日々。故郷の情景を言葉に書き留めることで星野は自らの生きる道を発見する。それは「詩」という言葉の海への船出だった。人生の転機となった青年時代の苦難の歴史が語られる。

(NHK アーカイブより抜粋)

<収録曲>

DISC-1

思い出さん今日は/蟹工船/黄色いさくらんぼ/さいはての唄(アリューシャン小唄)/なみだ船/出世街道/清らかな青春/明治大恋歌/俺だって君だって/おんなの宿/涙を抱いた渡り鳥/自動車ショー歌/アンコ椿は恋の花/兄弟仁義/男の涙/6番のロック/純愛のブルース/函館の女/想い出を君に返そう/いっぽんどっこの唄/冬子のブルース/花はおそかった

DISC-2

夜のピアノ/河内遊侠伝/関東流れ唄/いつでも君は/叱らないで/城ヶ崎ブルース/さようならは五つのひらがな/三百六十五歩のマーチ/男はつらいよ/女渡世人/お金をちょうだい/祭りのあと/昔の名前で出ています/風雪ながれ旅/好きですサッポロ/兄弟船/女の港/夫婦坂/海の祈り/坂のある町

DISC-3

雪椿/みだれ髪/息子/不如帰/春の海/京の川/山/心/思い川/北の大地/感謝状~母へのメッセージ/前橋ブルース/さだめ雪/海峡の春/湯情の宿/君/親子船

(日本クラウンレコード株式会社)