僕が知る良寛さんは、陽気で能天気な和尚さんというイメージでした。
筍が床下から生えてきたら、床に穴を空けて、伸ばしたという逸話。
雨降り日には、お地蔵さんに自分の編み笠をかけてやる逸話。
子供たちと、毛毬を興じて遊ぶ良寛さん。
食べ物がなくなると、良寛さんは、山をおりて托鉢をします。
懷には、必ず毛毬とおはじきを持っています。
その日も新しく作ったばかりの毛毬を持っていました。
いつものように毬つきをしながら、子供たちと夢中になって遊んでいると、離れた場所で、娘が独り草笛を吹いていました。
良寛さんは、訊ねます。
「どうして、あの娘は一緒に遊ばないんだ?」」
「あの子には母親がいないから毛毬がないから、一緒に遊ばないんだ」
「毛毬がなくても一緒に遊べば」と良寛さんは、言います。
「でも、あの娘は毬がないんだもの」と子供たちは言います。
良寛さんは、思うのです。
「この子達は、母親がいない毬がない娘を憐れまねばならないのに軽蔑している」と。
良寛さんは、その娘に手招きをしました。
何度も手招きをして言いました。
「その草笛いいね。私の毛毬と交換しよう」と言いました。
良寛さんは、自分の懷から新しい毛毬を取り出し手渡しました。
「遠慮なくお取り。さて、その草笛で上手く吹けるかな?」と言いながら、良寛さんが下手な草笛を吹くと、子供たち皆が、どっと笑い出したのです。
人は、こういう風にして、いたわり合わなければならないと、良寛さんがした事が正しいと覚えるのです。
良寛さんは、子供たちの相談事にも、読み書きも教えていたようです。
そして、何よりも哀しいことを、良寛さんは知っているのです。
この読み書きもできない貧しい子供たちの未来を。
いづれ、この子達が、どこかで働かされて、身売りされる子もいるのです。
良寛さんは、この世の不条理を嘆くのです。
どうして、力のある者は、力のない者を思ってやらないのか?
お金のある者は、お金のない者の気持ちを察してやらないのか?
不合理やら不正が、世の中には実にたくさんあることを、良寛さんは知っているのです。