今朝のニュースで、梅宮辰夫さん81歳が亡くなられたとのこと。
東映の大泉撮影所で、ステテコ一丁のプロレスラーのような異彩を放つような役者さんでした。
「君は役者を目指しているのか?」と訊かれて、「いいえ。アルバイトの只のエキストラです」と答えた個人的な思い出のワンシーン。
「はい」と答えたならば、どうなっていたのかな?
青春の一頁が、また遠くなりました。
御冥福を祈ります。
はて、苦悶の表情から満面の笑顔に、画面シーンが切り替わった。
両先生共に70代前半の年齢。
アフガニスタンの英雄になった中村先生、ノーベル賞受賞の吉野先生。
生き方はいろいろ、何も言う資格はないけれども、地域社会に地球に世界に役立つ人間、貢献の真の姿を想い巡らす思考が止まったシーンでした。
さて、長い間、福井県に暮らしていますが、初めて知る神社まで出かけて参りました。
敦賀の常宮神社。
対岸には、金ヶ崎、気比神宮を見渡せる位置に鎮座しています。
国宝、新羅の鐘が保管されています。
秀吉が朝鮮出兵の際、持ち帰り、大谷吉継に命じて、この神社に納めさせたとの事。
秀吉が、この神社を何故知っているのか?
個人的な憶測ですが、対岸に金ヶ崎城が見えます。
越前朝倉氏を攻めるため、信長、秀吉、家康、明智光秀までが一同に金ヶ崎城に陣を張っていました。
そこに、背後から浅井長政(信長の義弟)のまさかの裏切り。
朝倉と浅井に挟み撃ちされ、一網打尽寸前に、その企みを知らせたのが、この神社ではないかと?
信長は、直前に命からがら敗走、秀吉も家康も命拾いします。
- 敦賀市の観光案内を抜粋。
地元では「お産のじょうぐうさん」と呼ばれ親しまれている神社。神功皇后が、ここで皇子の応神天皇を安産したことから、安産の神様として崇められています。神功皇后は、氣比神宮の祭神・仲哀天皇の妻であるため、常宮神社は氣比神宮と夫婦とされ、常宮神社は奥宮といわれています。 毎年7月には、氣比神宮の祭神・仲哀天皇を納めた船神輿が船で海を渡り、神功皇后を祭る常宮神社まで会いに行くというロマンチックな神事が執り行われています。立地条件や神功皇后が三韓征伐に際して海路の無事を祈願したとの伝えがあることから、航海や漁業の守護神としても信仰されています。
主祭神は「天八百萬比咩命」、別名は神功皇后であるとの事。
神功皇后と云えば、百島の軍殿山に謂れのある伝説上の人物。
常宮神社、美しい境内でした。
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