五月雨や コロナウイルス 流すべし
新型コロナウイルスの出口は❔
終息は❔
コロナという「壁」に閉じ込められた社会は、まるで水を奪われた魚の如くの閉塞感である。
サルトルは、「出口なし」で 閉じ込められた密室の中では、他人の存在が地獄だと表現した。
ジュネの、独房の囚人の頭は、三人に分裂する事をあらわした「泥棒日記」にも似ている。
長い歴史の上に築き上げた現代社会のつもりが、こんなに脆弱なものだったか❔
社会人という安心安全の地位。
テンニース(1855~1936)の言うゲゼルとゲマインシャフト。
つまり、なにかの原因で、利益社会が行き詰まりを生じた際には、共同社会に切り替える必要にせまられる。
封建時代にさえ、「駆け込み寺」や、意見具申の「目安箱」が存在した。
鎌倉時代には、永仁の徳政令。
元寇の役の論功行賞をやめたことによる、行き詰まり政策だった。
「金は天下の回りもの」お天道様が、あまねく陽を照らしたり、雨を恵んだりするように、天下国家は、資本をあまねく供給し、国民は、勤勉に仕事をして、その需要に応えるという循環が、正常な社会を構築する筈である。
全世界危急存亡の時。
経済凍結して、そのつけは、全て国家にまわすという「徳政国家観」を四の五の言わず、ワンツースリーで断行すれば、「出口あり」。
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