百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百の風に吹かれて

2011年06月17日 | 百伝。
6月16日(木)早朝3時に福井の自宅を出発。

「行きは好い良い・・」・・ではなかった。

・・越前武生辺りで毎日飲む心臓の薬を持って行くのを忘れていたので、また福井市の自宅までUターン・・2時間のロス。

早朝5時に福井の自宅を再出発。

おまけに山陽道は、ザーザー降りの雨。

午後1時過ぎの常石発フェリー百島福田行きには間に合わないなぁ・・と諦めて、ゆっくりとした帰百ドライブ。

山陽道の兵庫県の(金物の町)三木サービスエリアで、ちょっとスマートな形をした草むしり道具を見つけたので、草むしりも楽しくなるだろうと買ってしまった。



1550円也・・高いのか安いのか、さっぱり判断出来ない。(笑)

夕方、17時半頃、百島着。

緑が深く、草木は相変わらず生命の力が漲っている。

島に人が住まなくなっても、百島は、百年も千年も、その先も存在するのであろう。

ただ、百島診療所が再スタートしたお陰さまか・・若干、百島の活気が復活したようなニオイがした。

夕方・・雨に煙る百島の泊地区を散策。

夜、いつのまにか寝入ってしまう。

今日の早朝、6時起き。

お墓参りと草むしり・・草むしり前のお墓の裏側。



小生の死後、骨の一部を、この墓の中に分骨してもらう事にしてある。

草むしりの後のお墓の裏側。



虫よけスプレーを撒き散らしても、朝早くから強大な蚊に襲われた。

蚊取り線香のようなものが、より効果があるのかな?

この時季に何故?

嬉しいことに気にかかるお墓のほとんどにお花が供えられていた。合掌。

お墓は、清く正しく認識区別できる魂の置き所である。

はてさて、汗ダクダクになり、シャワーを浴びて、着替えてのんびりしていると、いつの間にか、お昼が近づき、帰福準備である。

母が、お弁当を作ってくれた。

明後日は父の日。

父の仏壇に、井上軍曹殿のご子息様からお送り頂いた戦友会帰還者名簿とクアランプールにあった兵舎の写真が載った記録等々を供える。感謝、そして合掌。

福田桟橋に向う途中に、叔母と会い「スイカ」を持って帰れと頂いた。

続けて、同級生の広喜君(ももしま観光農園代表)と偶然会って、ちょっとだけ話をする。

百島12時5分、常石行きフェリーに乗る。



小学生の時、あの海岸沿いに、桜の苗木を植えたが、全滅である。

福井に戻るまで、車を運転しながらアレコレ考え、いろいろと想う。

平日のせいか、広島県福山から福井まで、高速道路・・全く渋滞なし。

帰りはスイスイと「帰りは好い良い」である。

6月17日(金)20時過ぎ、無事に福井の自宅着。

生きていても、なかなか千まで数えられない。

せめて百までだ。

命が千ぐらいに散り散りになって、「♪お墓の前で泣かないでください。そこには私はいません。死んでなんかいません。千の風になって、大きな空を吹き渡っています」よりも・・。

小生は、いつか再び、両親や兄弟の身内と一緒になって、同じお墓の中で暮らしたい。

時速百キロぐらいのスピードの風に吹かれながら、昨日今日と往復約千キロのドライブを楽しんで参りました。

百の風になるぐらいが、ちょうど好いです。

百の風に吹かれて、両手を拡げて、両掌をあわせて、感謝。

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2 コメント

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「すみれ丸」のこと (井上軍曹の子)
2011-06-19 06:32:14
帰省 お疲れさまです。
お送りした資料を届けていただき感謝いたします。

いまだに父の遺稿整理と資料照合などにひたすら時間を費やす毎日です。

遺稿には,たびたび船の名が出てきます。
昨日は「すみれ(菫)丸」について調べていました。
昭和初期に瀬戸内海の別府航路で活躍した関西汽船の客船。
美しい名前であったためか,当時の文芸作品にもたびたび登場する船であったようです。

父が南方で転戦していた折,海上移動のため「すみれ丸」に乗船した旨の記述がありました。
調べると,昭和18~19年当時,「すみれ丸」は軍の徴用船として南方で活躍していました。
戦後しばらく別府航路に戻ったものの,昭和25年GHQによって賠償船としてオランダに接収されたとのこと。

父が乗船した大きな船は,「大日丸」「摩耶山丸」,そして「すみれ丸」。
戦後まで生き延びたのは「すみれ丸」だけでした。しかし接収後は行方不明のままだそうです。

船のことを調べながら,お父様が数多くの船や航海と関わられたことを想い起こします。

わたしの「百島へ」は,まだまだ先のことになりそうですが,
かつての「すみれ丸」のような美しい船に乗って,海をゆったりと旅してみたくなりました。
遺稿整理が一段落しましたら,百島のお父様にご挨拶したいと思っております。
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すみれ こはく (Amaya)
2011-06-20 22:23:27
前略 井上桂一様

今日も元気でがんばっていますか?

異国にいると、とりわけ祖国の船というのは、何かの郷愁を憶えるのでしょうね。

復員された方々には、船名を憶えている方々が多いですね。

ちなみに、戦前戦後「すみれ丸」は、現商船三井(大阪商船系列、関西汽船)の所属船でした。

その後、二代目として関西汽船「すみれ丸」と「こはく丸」が建造されたようです。

私が、幼い頃の記憶に残っている瀬戸内海航路の関西汽船の客船は、「くれない丸」「むらさき丸」他・・瀬戸内海の女王と呼ばれたぐらいに、それはそれは美しいライトグリーンの美しい船体でした!

井上様・・いつか瀬戸内海の百島を訪問してくださいね。

朗らかに、強い気持ちで、ファイトですよ。

天谷 感謝 早々。
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