百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

帰省自省

2011年12月09日 | 百伝。
ある年の帰省風景である。

社会人一年生の頃のお正月休みの帰省だった。

年末、東京から新幹線に乗って帰省した。

それほど、車内は混んではなかったような気がする。

それでも、名古屋駅、大阪駅で、どっと乗客が降りて、どっと乗客が乗り込んできた。

大阪駅から乗り込んだ家族4人の乗客が通路を挟んだ隣の向かい合わせの席に座った。

子供達は、うるさいぐらい大はしゃぎで、両親は静かだった。

まぁ、折角の帰省なんだからしょうがないなぁ・・下車する福山駅まで、もう少しの辛抱だと思いながら、隣席で黙々と本を読んでいた。

きっと九州の方へ帰省する家族だろうと思っていると、同じ福山駅で下車した。

何だ、福山界隈の人だったんだ・・と妙にほのぼのとした。

ぼくは、福山駅から山陽本線に乗り換えて尾道駅まで行く。

先に下車して階下にある山陽本線下りのプラットフォームで在来線の電車を待っていると、あとから隣席に座っていた家族が降りてきた。

ふ~ん、尾道か松永の人なんだぁ・・と今度は、妙に納得した。

尾道駅で降りて、迎えにきてくれた友人と喫茶店に入った。

百島に帰る船便の時間まで、友人が付き合ってくれた。

尾道桟橋まで行くと、待合室に、あの家族が居た。

四国今治方面か、因島方面への帰省なんだろうかぁ・・少し気になりはじめた。

百島行きの船が到着した。

友人と別れて、船に向かうと、あの家族も同じ船に向かっている。

う~ん?! 百島の人なんだぁ!

今度は妙に不安になった。

船中、百島のどこの地区、どこの家の方なんだろうと思い巡らすが、全くわからない。

新幹線の中で、はしゃぐ子供達を睨み付けなかったか・・?

もし隣近所の方・・?

行儀、無作法な若者だと思われはしなかっただろうか・・?

・・とあれこれ考えた。

百島の桟橋に到着すると、あの家族は右手の福田地区方向の道へ。

ぼくは、左手方向の道へと分かれた。

偶然にも大阪駅から乗り合わせて、同じ乗り物で、百島まで一緒に帰省したのに会話をする機会もなかった。

正月休み明けのUターンの日。

朝二番ぐらいの尾道行きの船に乗って東京へ戻らなければならなかった。

百島の福田桟橋に行くと、また、あの家族に出会った。

あの家族も大阪へ戻るのであろう。

それにしても、奇遇である。

あの家族の前を通る時、娘の子が、「あのお兄ちゃんとまた会った」という声が聞こえた。

「あのお兄ちゃん」という声が、煩わしいそうな響きではなく、嬉しそうな響きに聞こえたので安心した。

ぼくは、チラッとだけ目をやって、はにかみながら通りすぎた。

そして、あの年の帰省以来、今現在、あの賑やかな家族とは二度と会うこともない。

結局、百島のどこの方だったなのかも分からない。

あの時、あの子供達にもっと笑顔を振り撒けばよかった、と思う。

もう30年ほど昔の帰省話になった。

あの子達も、今は、いい歳をした大人になっているのだろう。

帰省の折、ふと蘇る自省風景でもある。

モモ

2011年12月07日 | 百伝。
こどもっていうのは、罪がないだけに、世の中を明るくしていた事に気付きます。

ミヒャエル・エンデの「モモ」ではないですが、夢と時間をたっぷり持っている子供は、光りをいっぱい持っているのでしょう。

こどもが大きくなり、やがて孫が生まれた時が可愛いというのが分かるような気がします。

さて、そのこどもが大きくなれば、「行くも地獄、去るも地獄」という喩えの世界に出会うこともあります。

馬鹿には、地獄はありません。

地獄と考えるのは、プライドです。

蓑虫のように、じっと我慢で耐えるには、ゴチャゴチャ考えるより、過去未来は忘れて、今だけに耐えて、春を待つことに尽きると思います。

もっと大変なことも多いようです。

こういう時の決断は、小生のつたない経験則からは、消極的でよいような気がします。

積極を努力、消極を忍耐と置換すれば、この世は立派なことばかりです。

今、辛くても、これを我慢と心得れば、いつかトレンドが、高見に運んでくれるでしょう。

方丈記にあるように、うたかたのように消えて行く、この世の時間、空間の主人公は、
人間ではなく、「残していくもの」かも知れません。


菊おっさん!

2011年12月05日 | 百伝。
百島から悲しい連絡を受けた。

叔父が亡くなったという知らせである。

物心がついた頃から、よく笑わせてくれた。

我が親類内は、今でも身内や親しい年長の方には、名前のあとに「おっさん」をつけて呼んでいる。

ちょっと若い兄さんたちには、名前のあとに「あんやん」をつけて呼んでいる。

まだ憶えているのが、中小路の祖母の家で、五右衛門風呂を沸かすのに、火をくべている間に、菊おっさんが、よく逆立ちをして歩きまわっていた光景である。

やんちゃだった菊おっさん・・小生よりも、ふたまわり上の同じ申年だった。

父にも、喰ってかかったこともあったが・・甥である私は、一度も怒られたことはない。

「ヘリコプターに乗って帰って来りゃ、すぐ百島へ着くのにのぅ」

「わしは、福井のそばが、うまいけぇ、大好物になってしもうたぁ」

ヘリコプターで帰省はできないけど、帰省するたびに越前の永平寺そばを手土産にした。

ここ数年、脳梗塞で倒れて以来、歩くのにも不自由な体だった菊おっさんだったけど、九月に帰省した時も面白いことを言っていた。

「わしが死んだら、電子レンジでチンして焼いてもらえば、ええわぁ」

昨夜、福山の病院で亡くなって、今夜は、百島の自宅で通夜を執り行うとの事。

近所も空き家ばかり、親類も僅かになって年寄りばかり・・百島での葬儀は、難儀で心配である。

今、百島へ飛んで帰りたい気持ちだが、義母が亡くなったばかりで戻れない。

菊おっさん・・。

九州の津久見、苅田~山口県宇部界隈を往復する貨物船の船長だった。

お孫さんたちは、しっかり大きくなって立派になっているとのこと。

渡辺金与勢の長男 渡辺菊夫おっさん・・79歳で逝く。

ありがとうございました。

ご冥福を祈ります。

南無観世音菩薩。合掌。

心の矢

2011年12月02日 | 千伝。
今年も残すところ、あと一か月。

早いもので師走十二月になりました。

書き置いた年賀状を捨て、喪中の知らせに書き変えなければなりません。

義母の急死による・・慌ただしい兎の年の瀬です。

人は、順番に年相応に静かに死んで逝くのが、幸せな生き方だと言います。

何にも起こらない平穏無事が・・幸せなのかな?

波風の立たない日常生活が・・幸せなのかな?

ここ数日間・・疲れ果てた家族の慰労のために買い物をして参りました。

今日は、大ヒットの予感のする3D対応ヘッドマウントディスプレイも予約しました。

おそらく、数年後には、このヘッドマウントディスプレイが、これまでのテレビ画面(ディスプレイ)に代わる主流になるのかなと感じました。

それから、家内にはXperiaを、息子にはi-Phoneを買って参りました。

小生は、Arrowsが欲しいな。

少し泣いて、朗らかに、元気よく、強い気持ちで、いつも笑顔で!

ありがとう・・と言える家族が居て、それだけでも上出来の人生かな!

心の杖が折れぬほどに、近くまで黙して歩きたいものです。

心の矢が折れぬほどに、遠くまで笑い飛ばしたいものです。