ある年の帰省風景である。
社会人一年生の頃のお正月休みの帰省だった。
年末、東京から新幹線に乗って帰省した。
それほど、車内は混んではなかったような気がする。
それでも、名古屋駅、大阪駅で、どっと乗客が降りて、どっと乗客が乗り込んできた。
大阪駅から乗り込んだ家族4人の乗客が通路を挟んだ隣の向かい合わせの席に座った。
子供達は、うるさいぐらい大はしゃぎで、両親は静かだった。
まぁ、折角の帰省なんだからしょうがないなぁ・・下車する福山駅まで、もう少しの辛抱だと思いながら、隣席で黙々と本を読んでいた。
きっと九州の方へ帰省する家族だろうと思っていると、同じ福山駅で下車した。
何だ、福山界隈の人だったんだ・・と妙にほのぼのとした。
ぼくは、福山駅から山陽本線に乗り換えて尾道駅まで行く。
先に下車して階下にある山陽本線下りのプラットフォームで在来線の電車を待っていると、あとから隣席に座っていた家族が降りてきた。
ふ~ん、尾道か松永の人なんだぁ・・と今度は、妙に納得した。
尾道駅で降りて、迎えにきてくれた友人と喫茶店に入った。
百島に帰る船便の時間まで、友人が付き合ってくれた。
尾道桟橋まで行くと、待合室に、あの家族が居た。
四国今治方面か、因島方面への帰省なんだろうかぁ・・少し気になりはじめた。
百島行きの船が到着した。
友人と別れて、船に向かうと、あの家族も同じ船に向かっている。
う~ん?! 百島の人なんだぁ!
今度は妙に不安になった。
船中、百島のどこの地区、どこの家の方なんだろうと思い巡らすが、全くわからない。
新幹線の中で、はしゃぐ子供達を睨み付けなかったか・・?
もし隣近所の方・・?
行儀、無作法な若者だと思われはしなかっただろうか・・?
・・とあれこれ考えた。
百島の桟橋に到着すると、あの家族は右手の福田地区方向の道へ。
ぼくは、左手方向の道へと分かれた。
偶然にも大阪駅から乗り合わせて、同じ乗り物で、百島まで一緒に帰省したのに会話をする機会もなかった。
正月休み明けのUターンの日。
朝二番ぐらいの尾道行きの船に乗って東京へ戻らなければならなかった。
百島の福田桟橋に行くと、また、あの家族に出会った。
あの家族も大阪へ戻るのであろう。
それにしても、奇遇である。
あの家族の前を通る時、娘の子が、「あのお兄ちゃんとまた会った」という声が聞こえた。
「あのお兄ちゃん」という声が、煩わしいそうな響きではなく、嬉しそうな響きに聞こえたので安心した。
ぼくは、チラッとだけ目をやって、はにかみながら通りすぎた。
そして、あの年の帰省以来、今現在、あの賑やかな家族とは二度と会うこともない。
結局、百島のどこの方だったなのかも分からない。
あの時、あの子供達にもっと笑顔を振り撒けばよかった、と思う。
もう30年ほど昔の帰省話になった。
あの子達も、今は、いい歳をした大人になっているのだろう。
帰省の折、ふと蘇る自省風景でもある。
社会人一年生の頃のお正月休みの帰省だった。
年末、東京から新幹線に乗って帰省した。
それほど、車内は混んではなかったような気がする。
それでも、名古屋駅、大阪駅で、どっと乗客が降りて、どっと乗客が乗り込んできた。
大阪駅から乗り込んだ家族4人の乗客が通路を挟んだ隣の向かい合わせの席に座った。
子供達は、うるさいぐらい大はしゃぎで、両親は静かだった。
まぁ、折角の帰省なんだからしょうがないなぁ・・下車する福山駅まで、もう少しの辛抱だと思いながら、隣席で黙々と本を読んでいた。
きっと九州の方へ帰省する家族だろうと思っていると、同じ福山駅で下車した。
何だ、福山界隈の人だったんだ・・と妙にほのぼのとした。
ぼくは、福山駅から山陽本線に乗り換えて尾道駅まで行く。
先に下車して階下にある山陽本線下りのプラットフォームで在来線の電車を待っていると、あとから隣席に座っていた家族が降りてきた。
ふ~ん、尾道か松永の人なんだぁ・・と今度は、妙に納得した。
尾道駅で降りて、迎えにきてくれた友人と喫茶店に入った。
百島に帰る船便の時間まで、友人が付き合ってくれた。
尾道桟橋まで行くと、待合室に、あの家族が居た。
四国今治方面か、因島方面への帰省なんだろうかぁ・・少し気になりはじめた。
百島行きの船が到着した。
友人と別れて、船に向かうと、あの家族も同じ船に向かっている。
う~ん?! 百島の人なんだぁ!
今度は妙に不安になった。
船中、百島のどこの地区、どこの家の方なんだろうと思い巡らすが、全くわからない。
新幹線の中で、はしゃぐ子供達を睨み付けなかったか・・?
もし隣近所の方・・?
行儀、無作法な若者だと思われはしなかっただろうか・・?
・・とあれこれ考えた。
百島の桟橋に到着すると、あの家族は右手の福田地区方向の道へ。
ぼくは、左手方向の道へと分かれた。
偶然にも大阪駅から乗り合わせて、同じ乗り物で、百島まで一緒に帰省したのに会話をする機会もなかった。
正月休み明けのUターンの日。
朝二番ぐらいの尾道行きの船に乗って東京へ戻らなければならなかった。
百島の福田桟橋に行くと、また、あの家族に出会った。
あの家族も大阪へ戻るのであろう。
それにしても、奇遇である。
あの家族の前を通る時、娘の子が、「あのお兄ちゃんとまた会った」という声が聞こえた。
「あのお兄ちゃん」という声が、煩わしいそうな響きではなく、嬉しそうな響きに聞こえたので安心した。
ぼくは、チラッとだけ目をやって、はにかみながら通りすぎた。
そして、あの年の帰省以来、今現在、あの賑やかな家族とは二度と会うこともない。
結局、百島のどこの方だったなのかも分からない。
あの時、あの子供達にもっと笑顔を振り撒けばよかった、と思う。
もう30年ほど昔の帰省話になった。
あの子達も、今は、いい歳をした大人になっているのだろう。
帰省の折、ふと蘇る自省風景でもある。