ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

百島レトルト

2014年08月09日 | 百伝。
今週末、百島へ帰省予定の皆さん・・。

台風11号の接近のため、今日と明日・・備後商船が、欠航するようです。

でも、台風一過のあとは、お盆の納涼祭が百島を熱くするかもしれません。



前回、百島でカレーライスを食べよう!・・と提案しましたが、全国各地のご当地レトルト・カレーを各自が用意持参であれば、もっとシンプルに、様々なカレー風味を味わうことも間違いありません。

(ボンカレーから、お盆での百島同窓会へと連想したのです。)

さて、昨日も食べ過ぎました!!

ぼくの出っ腹か肥満体を察して、たくさんの量の食べ物が皿の上に置かれるのです。

食べ残しは、悪いかなぁ・・と思って、つい食べてしまいます。

先日のカレーライスも同様です。



・・レトルト・カレーでいいのにね!

今日は、地元の体振の懇談会・食事会が「焼肉屋」であるとのこと。



体調不良のため欠席です。

これ以上、太ると・・ほんとに働けない肉体になりそうです。

お盆は、働きます。

社会に出ていく若い頃・・

両親から仕事に対する心構えを訊いたことがあります。

母は「クビにならないように、迷惑をかけないように、真面目に働らかないとね」と。

父は「おまぁみたいな奴に仕事があるだけでも運がいい思え。仕事は何でもええわぁ」と。

この歳になって・・

今日みたいに台風が近づいて、百島に閉じ込められたら、何を食べようかな?

素材の味付けから料理三昧に専念してみようかな?

それとも、レトルト食品だけで済ませようかな?

真ん中をとって、百島レトルト料理が、ちょうどよいかもしれません。

「こころ」も「からだ」も再生しないとね!!

百島カレーライス

2014年08月07日 | 百伝。
岐阜県郡上市白鳥から福井県境に向かう山深い秘境のような場所に「石徹白(いとしろ)」という場所があります。

「石徹白(いとしろ)」・・江戸時代は、どこの藩にも属せず、神に仕える社人の人々が暮らしており、苗字も帯刀も許されていたとのことです。

今は、地域興しとして、川釣りに人気があり、国内各地、海外からも川釣り人の聖地として「石徹白」に集うとのこと。

あの地域に詳しい方とカレーライスを食べながら「石徹白」に関して、お話を聞かせて頂きました。

もう少し涼しくなったら、バイクで「石徹白」まで行きたくなりました。

しかし、今日の話題は、「石徹白」ではなく、カレーライスを食べながら「百島」のことを想い浮かべていました。

そう言えば、先日の百島ライブで、百島りぷる、アートベース百島のメンバースタッフの方々が作ってくださったカレーライス・・実は、ぼくは食していないことに気がついたのです。

・・食べてみたかったなぁ!!

今回、百島ライブの会場になった「百島いきいきサロン」の建物の中に初めて入る機会を得ました。



ステージはある、ちょっとした宿泊できる和室もある、そして、調理場もあるのです!!

同窓会の会場としても、使用できるとのこと。

そう!・・カレーライスを作れる調理場もあるのです。

つまり、何かの集いに、ちょっとした料理も調理も「百島いきいきサロン」内で用意可能なのです。

しかも・・良心的な安い費用で会場を借りられるとのこと。

百島の関係者の皆さん・・もっと「百島いきいきサロン」を活用するのはいかがでしょうか?

それと、あの電気自動車をもっと活用できる方法は、ないものでしょうか?

・・との要望が、同級生からもありました。

ひろき君・・いいアイデアはないでしょうか?

このお盆休み・・是非とも、同級生同士でカレーライスでも一緒に作り、食べながら話し合ってもらいたいものです。

さて、今日、大食したカレーライスです。



・・食べ過ぎたかなぁ?

百島カレーライスを作ろう!

ヒロシマ 八月六日

2014年08月06日 | 千伝。
「被爆者二世の集い」への案内状が届いていましたが、今年も不参加です。

参加しても、行動指針に沿って政治色が絡むと「何だかね?!」・・となります。

だいぶまえの八月六日の会話です。

「心の持ち方で、人生は、地獄にも極楽にもなるのでは?」と言えば・・。

「戦争や原爆は、身も心を殺してしまいます」・・という答えがありました。

「それじゃ、死人のように生きていれば、悩みもなくて、心も楽になるでしょう」

・・と言い返した記憶があります。

自分勝手な見解に固執すれば、荒々しい言葉と声で人を責めます。

怒った目つきで人を見て、関係も険しくなります。

人様と会話をすれば、人生がよい方向に回転していくだけでいいのです。

そうでないと、喧嘩になります。

戦争が起こります。

そして、原爆が落とされました。

被爆者二世として、わかっているようで、未だにわからない平和学です。

また、八月六日がやってきました。

合掌。

おしみなく百島!!

2014年08月05日 | 百伝。
昨日、天空の山城を登ったせいか、今日は、足がひきつっています。

おまけに疲れていたせいか、今朝ブログに書いたタイトルが間違っていました。

これこそが「おしみなく百島!!」です。


(写真提供:百島ネットワーク)

今回の百島女男岩ビーチ・ライブ(雨天のため、百島いきいきサロンに会場変更)の開催。

よかったですよ!!

出演者を紹介させていただきますね。

広島から来ていただきた「ゆっかな」さん。
バンドメンバー:G/はぶさん・B/大地さん・パーカッション/銀ちゃん。

百島のバンド「Browin in the wind」のメンバー。
B/武田さん・G/佐藤さん・D/佐藤さん・G/桑田さん。

G Vo/砂原智也さん。

Key Vo/中村彩さん。

雨の中、外で飲食提供をしてくださった西村さん。
PA/石田さん。

さらに、カレーライスを作ってくださった百島りぷる、アートベース百島のメンバー。

とても、素晴らしい手作り感溢れる百島初のライブでした。

皆さん、ノー・ギャラでの出演でした。

この記念すべきライブを主催、成功させたキャプテン(漆原さん)に感謝です。

この成功は、彼の人脈というか、人徳というべきか・・人間力でしょうね。

ぼくが思うのに・・今回、いろんな可能性が培われたこと。

プロモーションの面白さ。

マネジメントの多様性。

今度、百島りぷるさん、アートベース百島さんも、秋に向けて、何かイベントの開催予定があるとのこと。

大きな声では言えませんが、皆さん・・離島であるという特長と有利性を考えて、今後の人生を豊かにするための副業の仕掛け(プロモーション、マネジメント)を楽しんでくださいね。

ここは、広島県尾道市百島町です。

海外で訊く、世界の外国人が、もっとも行きたい日本国内の場所が、ヒロシマなのです。

その広島県内で、もっとも行ってみたい場所が、尾道市なのです。

その尾道市内で、もっとも行ってみたい場所が、百島なのです。
(そうしましょう!)

広島県のキャッチ・フレーズ(コピー)!!

おしい広島。

泣ける広島。

泣ける百島。

昨日の帰り道、日本海の夕日を眺めていました。



心地よい疲れがあります。

おしみなく百島が、大好きです。

赤松の城址

2014年08月05日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
今回、百島から帰福の際、途中、兵庫県朝来市に立ち寄って参りました。

天空の城と呼ばれる「竹田城跡」へ。



前々から、百島関連の私的好奇心で行ってみたかったのですが、そうこうしている間、いつのまにか日本の人気スポットになっていました。

兵庫県姫路から、生野銀山を越えて、朝来へと。

平日の雨、ほとんど車ともすれ違いません。



ところが、麓の駐車場の着くと、観光客が大勢いる・・驚きました!



とりあえず、杖を携えて、歩き始めました。

百島が、まだ桃島と呼ばれていた室町時代の嘉吉年間に、この山城は築かれたようです。

当時の瀬戸内海は、来島村上と因島村上が、対立していたはずです。

山頂に続く道を歩きます。



一昨日の百島ライブの活況ぶりを思い出しながら歩いています。

手弁当でのライブ・・これから維持するのに大変かなぁ。

突然、集団で来られた観光客と出くわしました。

これぐらいの人が集まると・・ライブも盛り上がるかなぁ。



何もない山城・・天空の城というネーミングで、これだけの人が来るのか?・・という驚きです。

百島ライブも・・ネーミング次第かな?

歩きながら、考えました。

当時、来島村上は、芸予諸島(愛媛県側)南部を制しており、瀬戸内海を全制覇するには、どうしても芸予諸島の北端にも拠点が欲しかったはずです。

そこで、因島村上を牽制しつつ、姻戚関係、和議を企み、息子たちを送り込んだのが、当時の桃島です。

嘉吉の乱後、赤松一族が、桃島に逃れてきました。

それを庇護したのは、来島村上です。

何故なら、因島村上は、赤松一族と敵対関係にあったはずです。

桃島に赤松一党が棲みつくと、面白くないのは因島村上です。

さて、まもなく頂上の城址跡です。





素晴らしい観光ガイドさんも常駐されています。



眺めが、素晴らしかったです。





来た道と橋も見えます。





赤松一党は、戦国の世の倣い・・来島村上の家臣としては不服でしょう。

新たに、桃島を百島に名を変えて、百島村上としての、今で言う、企画戦略を練ります。

独立した百島村上であれば、赤松一党が支えているという隠れ蓑にもなるからです。



その後、瀬戸内海は、豊臣の世になります。

村上水軍の衰退でもあります。

村上水軍と言えば、脚光を浴びる能島村上の村上武吉・・ぼくの考えでは、来島村上と因島村上に挟まれて、その総大将であるという自負や誇りが、村上水軍全体の行方を危めたのだと思います。

ところで、当時の百島村上も生き残るのに大変だったと思います。

来島村上から、百島村上を独立させ、実効支配したのが赤松一党です。

室町幕府設立に多大な貢献して巨大な守護大名だった赤松一族もバラバラとなり凋落していく一方です。

それでも、村上源氏を流れとする赤松も村上も独自のネットワークを諸国に張り巡らしていたはずです。

豊臣秀吉が、朝鮮出兵の折、百島村上は、第二次朝鮮出兵に際、日本軍総大将の小早川家の十二家臣の一つになっています。

どういう工作をしたのか分かりませんが、何とか生き残っています。

そして、この「天空の城」の最後の城主は、赤松広秀という悲運の武将です。

朝鮮出兵に参加しているのです。

つまり、百島村上と同じく歩調を合わせた動きをしているのです。

その後、関ケ原の戦いは、西軍につきます。

その関ケ原の戦いで、西軍から東軍へと裏切った歴史上有名な大名がいました。

この裏切りがなければ・・西軍が勝利していたかもしれません。

そう、小早川秀秋です。

そして、実は、この赤松広秀も、同じく東軍へと寝返っています。

この竹田城は、生野銀山を傘下に置いていました。

徳川の世になった途端、その後、生野銀山は、徳川幕府直轄の財源となりました。

その後、家康は、赤松広秀には、鳥取大火の「不始末」を理由に切腹を言い渡しています。

・・悲劇の生涯でした。



泣ける百島 その100。

2014年08月04日 | 百伝。
百島りぷる、アートベース百島のスタッフの方々が、裏方として、カレーライスを作ってくださいました。



若きミュージシャンの将来同様に、百島愛ターンの若い皆さんの将来も、誰しも、その将来、未来は、定かではありません。

でも、百島で過ごした時間は、何か生きるヒントになるのです。

未来は、心晴れ晴れとした光りでないと面白くありません。

今回、百島ライブを主催したキャプテンに感謝です。

とても美味しいコーヒーをいただきました。



生き方は、好奇心という行動力と人間力です。

キャプテン、楽しかったです!
 


雨色の百島から、また、天晴れの百島へ帰れますように。



今回、出会った皆さん全員に感謝です。



泣ける百島。その2

2014年08月04日 | 百伝。
車に乗って戴いたミュージシャンの皆さん、また島外から来られた方との短い会話でしたが、その出会いに感謝。

尾道愛溢れる本東さん、わざわざの百島訪問ありがとうございました!

尾道美人というよりも、その礼儀正しさ、聡明さに感心しました。

それから、ミュージシャンの皆さんのパーファマンス・・よかったな♪



全員の全部は、観れなかったけど、東京でシンガーソングライターとして活躍している中村彩さん、ニューヨークから帰国、そのまま百島へ。



そして、ノーギャラでの百島ライブの出演、感謝です。

驚かされたのは、百島をモチーフにした「あめ色の島」を歌ったこと。

百島へ帰ろう、というフレーズに鳥肌が立ちました。

プロが歌うと、半端ではない名曲に進化していました。

皆さん、中村彩さんの応援をお願いします。

あめ色は、飴色のようですが、あの時のぼくの感覚は、雨色でした。

泣ける百島です。

・・続く。

泣ける百島 その1。

2014年08月03日 | 百伝。
百島に居ます。

今日8月3日は、まるごと百島体験の大イベントの予定でしたが、残念ながら、雨天により中止となりました。

運転手のボランティア要員として、百島に帰省参加。

それでも、昨日8月2日の百島ライブは、決行。

場所を女男岩ビーチから百島いきいきサロンに変更しての開催でした。

よかったですよ!

同級生の広喜君と二人で送り迎えの運転手要員だったので、全部観れなかったのですが、ほんとうに楽しかったです。

百島初ライブの手作り感が最高によくて、大きな可能性を感じました。

一にも二にも、人間力です。  

ところで、運転した車がユニークでした。

広喜君が運転した車。



ぼくが運転した車。


  
車の使命は、走ること。    

百島内だけではなくて、もっと活用して本土に上陸して走るといいのになぁ。

スマホでの投稿なので不便。

・・続く。




花火のあと

2014年08月01日 | 百伝。
今日八月一日は、福井の花火大会です。



一年一度、我が家の周りは、人、人、人・・。

東京の新宿か渋谷に居るのかと錯覚するぐらいの大勢の人出で賑わいます。

打ち水をしてまいりました。

地元での花火大会は、それほど好きではありません。

爆弾でも我が家の屋根に落ちてくるような振動音・・。

煙のニオイ、土埃のニオイ・・雨が降って、中止にならないかなぁと考えたりもします。

でも、いい加減なもので、地元ではない県内の三国花火と敦賀の灯篭流しと花火大会は行きたいのです。

県外からのバス・ツアーで来られるぐらい・・一見の価値があります。





花火の轟く音が聞こえてきました。

この花火が終わったあと、そのまま百島へ帰省します。

明日からは、百島です。