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サイケおやじの生活と音楽

この素晴らしきデル・シャノン

2012-02-01 15:59:44 | Pops

悲しき街角 / Del Shannon (Big Top / 日本ビクター)

洋楽の邦題でひとつの定番なのが「悲しき~」というフレーズでしょう。

なにしろ、これを付ければ、ちょいとマイナースケールがキメになっている楽曲の大部分は歌詞の中身が分からずとも、日本人の琴線に触れること請け合いであって、中でも本日ご紹介の「悲しき街角 / Runaway」は代表選手かもしれません。

もちろん素敵な曲メロには絶妙の「泣き」が含まれていますし、サビから滲んでくる不思議な不条理感は秀逸の極みとあって、これがアメリカではチャートのトップに輝いた1961年以降、世界各国で同様のヒットを記録すると同時に、カパーバージョンも数多吹き込まれているわけですが、我国においては飯田久彦の日本語バージョンが邦題「悲しき街角」を完全に意識した訳詩で、しかもメロドラマチックに歌われたのは大正解!?

しかし誰もが一度は耳にしたであろう原曲メロディ、そしてデル・シャノンのロケンロールな裏声遣い、さらにはイントロの如何にもオールディズなギターや間奏の覚え易いオルガンソロのフレーズは、それらがあってこそのオリジナルバージョン大ヒットの要件だと思います。

さらに、これは我国だけの親しまれ方なんでしょうが、デル・シャノンは「悲しき街角 / Runaway」が大当たりした事のより、以降の日本発売曲には「~の街角」という邦題が必須となって、当時は「街角男」とまで呼ばれていたとか!?

う~ん、確かに原題「Hats Off To Larry」を「花咲く街角」とした他にも「さらば街角 / So Long Baby」「恋する街角 / Give Her Lots Of Lovin'」「街角のプレイガール / Little Town Flirt」「さすらいの街角 / Stranger In Town」等々、思いつくだけでも、これだけ続くという事は、如何に「悲しき街角 / Runaway」のインパクトが大きかったか!?

その証明でしょうねぇ~~~♪

実際、今でも我国のテレビや企画ライプでのオールディズショウにおいても、とにかく「悲しき街角 / Runaway」が出ないと収まらないほどですし、夏のビアガーデン等々で稼ぐセミプロ&アマチュアバンドにしても、これが必須演目なのは言わずもがなです。

しかしデル・シャノンは決して「街角」だけの歌手ではなく、この「悲しき街角 / Runaway」でも極めて顕著な曲作りの才能も素晴らしく、また後年はプロデューサーとしても裏方でしぶとく活動していたそうですが、そうした目の光らせ方が最も明らかにされているのは、アメリカで最初にビートルズを認めたというか、その紹介するが如き働きとして、1963年に「From Me To You」をカパーし、ビートルズよりも早くヒットチャートに送り込んだ歴史は侮れません。。

この経緯には「悲しき街角 / Runaway」の大ヒット以降、世界的な人気を獲得したデル・シャノンがイギリスに巡業し、ビートルズと同じ会場を回っていた事がきっかけだったそうですが、それにしても様々な事情を知るにつけ、当時はアメリカの業界人の多くがビートルズはアメリカ向けでは無いと判断していた1963年当時、敢然とレノン&マッカートニーのオリジナル曲を歌ってしまう英断は、単なる気紛れ、あるいはマグレとは言えないんじゃないでしょうか?

また同様にジョージ・ハリスンやボブ・ディランとの繋がり等々も深~いものがあって、今回はあえて書きませんが、デル・シャノンは決して「街角」だけのミュージシャンでは無いと思っています。

いや、むしろ、それだけと決めつけられる事が、文字通り「悲しき」ですよねっ!

コメント (2)
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