OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

センチメンタル・シティ・ロマンスが好きなんですよ

2013-11-19 15:50:58 | 日本のロック

暖時 (くつろぎ) c/w あの娘の窓灯り / センチメンタル・シティ・ロマンス (CBSソニー)

このジャケ写の雰囲気は如何にも当時の我国ロック喫茶、あるいはそんなジャンルの音楽をBGMというには大き過ぎるボリュームで流していた飲み屋の風情であります。

もちろん時代は1970年代中頃、洋楽ではウエストコーストロックが主流になりつつあった頃ですから、日本のバンドだって、そこに向かって一直線!

と書きたいところなんですが、実際のところ、東京ではハードロックやブリティッシュロックが主流であり、対する(?)大阪~関西地区はブルースやソウルっぽいバンドが台頭していたのですから、その中間地点の名古屋こそが、ウエストコーストロックに相応しかったのかもしれません。

昭和50(1975)年に掲載シングル盤を出したセンチメンタル・シティ・ロマンス=通称センチは、まさに名古屋で誕生したウエストコーストロックの日本的発展系に属するバンドであり、基本的には日本のロックを作ったとされるバンドのひとつ、はっぴいえんどの影響がなかなか大きい事は隠し様もありません。

つまり歌詞は日本語が多く、演奏はカントリーロックやタイトなファンキーロックも取り込んだ、なかなか汎用性の高いスタイルでしたから、必然的にバンドとしての上手さも流石と思わされたものです。

それはレコードデビューの実質的なお墨付きを得た昭和50(1975)年秋の「Aロック全国大会」での優勝はもちろん、それ以前から西日本ばかりではなく、東京周辺でも様々なライプイベントへの出演で明らかにされていましたが、まだまだ「ニューミュージック」なんていう便利な業界用語がなかった頃ですから、ライプの実力こそがバンドのロック魂を堂々と披露する手段でありました。

いゃ~、幸いにも当時、初期センチのライプに接することが出来たサイケおやじは羨望と尊敬に身も心も震えた瞬間が確かにありましたですよ。

と書いたのも、当時のサイケおやじは呑気な学生時代のど真ん中、入れてもらっていたバンドではドゥービー・ブラザースや欧米ハードロックのコピーをやっていたんですが、個人的にはジミヘン風ギター入りのアイズリー・ブラザーズみたいな路線を気持良く思っていたんですから、まさにセンチの登場は目からウロコ!?

はっぴいえんどが当時は未だフォークに分類されていた事も含め、いよいよセンチが日本語による本格的なウエストコーストロックをやっていた事は、大きな衝撃であり、確か元はっぴいえんどのメンバー達からも弟分(?)として認められていたと言われています。

で、肝心のメンバーは告井延隆(vo,g)、中野督夫(vo,g)、細井豊(vo,key)、加藤文敏(b)、田中毅(ds) の5人組が初期の顔ぶれで、掲載シングル盤はおそらく2枚目の発売になるのでしょうか、収録曲は両面共にデビューアルバムからのカットになっていますが、冒頭に述べたとおり、当時の雰囲気を今に伝える文化遺産的な価値から、本日ご紹介した次第です。

もちろん楽曲の充実度は言わずもがな、まずA面「暖時(くつろぎ)」は中野督夫が自作した、これぞバンド名どおりにシティ感覚が隠し味になった和製ウエストコーストロックの決定版!

如何にものベダルスチールギターやエレピが心地良いんですねぇ~♪

一方、B面収録の「あの娘の窓灯り」は作詞:竹内正美&作曲:中野督夫による、今に至るもセンチの人気曲のひとつで、ハートウォームなボーカル&ハーモニーと演奏の妙が、幾分虚無的なメロディを肯定的にしてしまうあたりの手練手管が素晴らしいんですよ♪♪~♪

ちなみにアレンジは全てバンド自らがやっているようですが、こうなってみるとプロデュースに加担した細野晴臣の深淵な策謀にも注目が必要かもしれません。

ということで、何度かのメンパーチェンジはありましたが、現在でも地道に活動を続けるセンチメンタル・シティ・ロマンスは、やっぱり基本的に上手いバンドであり、だからこそ他のシンガーのバックやレコーディングセッションの仕事も多かったのです。

しかし決してセンチは「職人バンド」なぁ~んていう言葉では括れません。

常に自分達の信じる音作りを優先させていたに違いない、その魂がロックか否かは別にしても、きっちりケジメはつけていたバンドだと思っています。

何よりもホノボノとしてファンキー、明るくてマイナーな感情の機微を演じ続けるセンチの歌の世界は、サイケおやじが大好きな日本のロックでもあるのです。

コメント
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