■栄光の朝 / フィフィ・ザ・フリー (アルファ)
レコードが発明されてから今日まで、夥しく作られたブツの中から埋もれていた名品を発掘する作業もまた、音楽鑑賞の楽しみでありましょう。
それは現実的に全てを聴く事が叶わなかった時間的制約、あるいは経済的な問題等々をクリア出来るという、まさに記録メディア本来の役割の確認ですから、後追いも尚更に潔いわけです。
なぁ~んて、本日もガチガチの書き出しではありますが、例えば昭和44(1969)年晩秋に本日掲載のシングル盤を出したフィフィ・ザ・フリーは、リアルタイムでの大きなブレイクは無く、それでもアングラフォークのグループとして、前年に発売した「おやじのロック」というサイケデリック曲をラジオの深夜放送で小ヒットさせていた存在です。
しかし後に知ったところでは、フィフィ・ザ・フリーは決してフォークグループではなく、自前の演奏で上手いコーラスワークを聞かせるバンドだったそうですし、そういえば前述「おやじのロック」にしても、変則リズムが入ったり、ES使用のボーカル&コーラスには、アングラブームに便乗した作風とは一味異なる「何か」が感じられるわけで……。
そんなこんなも、まあ、後追いであれこれ推察夢想出来る楽しみかと思います。
で、ここでのA面曲「栄光の朝」は、経緯諸々を吹き飛ばすが如き快作として、リアルタイムよりは相当後の昭和50年代中頃から、しかもどちらかと言えば洋楽ポップスやソフトロックを愛好するマニアの間で人気が高まったところに特徴があるほど、イカシたセンスが全開の逸品♪♪~♪
とにかく作詞:山上路夫&作曲:村井邦彦、そして編曲:川口真の黄金トリオが企図したのは、あきらかにアソシエイションや同系のコーラス&ハーモニーが織りなす精神的高揚感と和みの世界観でしょう。
ご存じのとおり、当時の村井邦彦は、そうした路線を歌謡曲に活かすべく、様々なプロジェクトを遂行していましたが、もしかしたら、この「栄光の朝」は最初に楽曲があって、それを実演出来るグループとして、フィフィ・ザ・フリーが起用されたような気がするほど、仕上がりは秀逸ですよ。
しかも、当然のようにスタジオミュージシャンが参加して作られた演奏パートのグルーヴ感が強烈無比とあっては、ひたすらに歌いまくるフィフィ・ザ・フリーもリスナーに納得の名唱を聴かせてくれるんですから、これが大ヒットにならなかったのは時代に対する先進性とツケ入るスキの無さ!?
結局オシャレ過ぎて、肝心のレコードがそれほど売れなかったのは必然であり、だからこそ後世への宝物を残してしまったのだと想えば、妙な罪の意識さえ感じてしまいます。
そしてサイケおやじは、決して賛同するわけではなく、むしろ大衆音楽に潜む下世話さを好む傾向にありますから、入手に苦労しまくった掲載盤よりも、今は前述した「おやじのロック」収録のシングル盤を探しています。
ということで、フィフィ・ザ・フリーは他にも素敵なレコードをあれこれ残していて、マニアックなGSやソフトロック歌謡の復刻コンピレーションにそれらが入れられてのCD化は、逆に尚更の高みに彼等を祀り上げている感があります。
残念ながらサイケおやじは一度もフィフィ・ザ・フリーのライブステージに接したことがなく、またテレビでも見たことがないので、メンバー構成や担当楽器についても全く知りません。
ですから、この「栄光の朝」を存在をサイケおやじに教えてくれた先輩マニア諸氏が熱っぽく語るフィフィ・ザ・フリーのあれこれよりも、制作スタッフ、つまりソングライターやアレンジャー、参加スタジオプレイヤーの仕事っぷりが気になるばかりで、それを邪道と言われれば反論は出来ません。
そうしたところも洋楽ファンには抜け出せない魅力と思うばかりです。