■すずめ / 増田けい子 (ワーナーパイオニア)
グループやユニットで大きな人気を掴みながら、そこから諸々の事情で独立・ソロデビューした芸能人が、以前同様の活躍を見せる事の難しさは、あらためて述べるまでもないでしょう。
あくまでも個人的な考察になりますが、そ~なるためには全く違うキャラクターやジャンルを選ぶ必要性は言わずもがな、さらに大変なのが、同じ道筋を踏襲する事であるとすれば、最も成功した例のひとつが、クール・ファイヴから独立した前川清という現実を鑑みても、納得するしかありません。・
さて、そこで本日掲載したのは、ピンク・レディー解散後の昭和56(1981)年11月に発売された「ケイ」改め「増田けい子」がソロシンガーとしての再デビューシングルで、特にA面収録の「すずめ」が大ヒット!
それは作詞作曲:中島みゆき!
という恐るべき(?)制作クレジットも眩しい歌謡フォークのAOR的展開とでも申しましょうか、ちょいと歌詞の世界に意味不明なところがある様にも思えたんですが、ところが増田けい子の歌唱そのものに幾分気持ちが入っていないというか、必要以上の感情移入を意図的に避けている感がある気がするんですねぇ……。
普通であれば、あの中島みゆきの世界を歌うわけですから、力んだり、熱が入っても不思議じゃ~ないと思うんですが、あっさりしているとか、爽やかだとか、そんな感じよりも、極言すれば、表面を撫でただけの歌い方かもしれないなぁ~んて、失礼千万な独断と偏見が…… (^^;
しかし、結果は既に述べたとおりの大ヒットで、彼女は元ピンク・レディーでありながら、それとは別次元のボーカリストとして蘇ったわけですが、ルーツを探れば、後にピンク・レディとなるミーとケイはヤマハ系の音楽スクールに通いながら、歌謡フォークのユニットを組んで、あの「スター誕生」に出演し、素朴な佇まいでポップス歌謡を披露していた事は確固たる真実ですからねぇ~~。
ケイが増田けい子になって、その路線へ帰還したって、何らの不思議も無いはずなんですが、それにしても、一方のミーがピンク・レディーの路線をアダルトっぽく解釈した歌謡ロック~ブラコン系AOR風味の楽曲を歌っていた事を思えば、一概に全てを決めつけるなんてのは、愚の骨頂かもしれません。
もちろん、サイケおやじは当時、ここで言うほど納得はしていなかったんですが、それが覆ったというか、このレコード化されたトラックのカラオケパートは青木望のアレンジが素晴らしい、その完璧な仕上がりに覚醒させられてからは、話が別です (^^;
後で知った事ではありますが、同時期には、この掲載盤の収録両面曲共にカラオケだけを入れたシングル盤が堂々と売り出された現実があるんですから、もう何も言えませんですよ (^^;
ということで、彼女は以降もボーカリストとして主にニューミュージック系の楽曲を歌っていくのですが、それに賛否両論があろうとも、翌年末頃までに吹き込まれた音源には名曲・名唱が多数ありますので、これからも追々にご紹介させていただく所存です。
アルバムが、これまたイイんですよねぇ~~ (^^;
やっぱりピンク・レディーはキワモノでは無かったという思いが、曖昧ながらも沸き上がるのは、我ながら面映ゆい気持ちなのでした。