OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

小川知子は着エロなセンスも最高

2010-06-20 16:59:53 | 歌謡曲

恋のときめき / 小川知子 (東芝)

小川知子が歌手転身のデビュー大ヒット「ゆうべの秘密」に続く第二弾が、本日ご紹介の「恋のときめき」でした。

まあ、そういう経緯でしたから、楽曲そのものは素晴らしき二番煎じというか、見事に「ゆうべの秘密」の湿っぽい魅力を踏襲した歌謡曲路線ながら、小川知子というキュートな女性のエロキューションを最高に活かしたジャケットが、実にたまりません♪♪~♪

これまでも度々告白しているように、サイケおやじは生まれてから今日まで、所謂ロリ趣味がなく、憧れる異性はほとんどが「年上の女」でした。

それは当時の、つまり昭和40年代の芸能界では、アイドル的女性スタアがほとんど18歳以上というか、確かに高見エミリーのような飛び抜けたヤングアイドルも存在していましたが、それは「子役」という扱いだったと思います。

ですから青少年期のサイケおやじの性癖を一層加速させる条件が、その時代には整っていたんですねぇ。

そこで小川知子なんですが、同時代の若手女性歌手の中では一番にファッションセンスが良かったと思いますし、歌っている時の振付のこなし方やそれ以外の場面の振る舞い、そのひとつひとつに「華」かありましたですねぇ~♪

このあたりは、まあ、サイケおやじの好みの問題かもしれませんが、それでも自分の魅力の見せ方を充分に心得ているところは、流石に女優出身の素敵な個性でした。

それはこの着エロ的なジャケット写真からも存分に楽しめるんじゃないでしょうか。

もちろんシングル盤ですから、店頭で売っている時には二つ折りにされた上半身アップのポートレートなんですが、見開いてみれば、アッと歓喜悶絶させられるミニスカ姿♪♪~♪

これで何も感じないという男は嘘つきでしょう。

本当に曲タイトルどおりの「ときめき」があるんですねぇ~♪

ちなみに掲載した私有のジャケットに破れがあるのは、この部分を画鋲で壁に貼っていた証であり、それを無理解な母親に破り取られた無残な痕跡なのは言わずもがな……。

えっ、何で右側だけが破れてるのかって?

そりゃ~、そっちを上辺にして貼っていたからですよ、何時も自分が寝ている場所の横の壁に。まあ、それ以上は皆様がご推察のとおり、オカズ用のピンナップってやつです(自嘲)。

母親にしてみれば、そういう貼り方が気に入らなかったんでしょうが、それにしても酷い仕打ちですよ……。

ということで、小川知子もまた、私にとっては特別な存在の歌手でした。

当時の芸能界は今と違い、どんなに売れても水着やキワドイ衣装は絶対的な「お約束」でしたし、そういう扱いをされる彼女達も、「商品」としての自分の価値に誇りを持っていたと思います。

それが今の芸能界じゃ、それ専門のグラビアアイドルか、あるいはバラエティ系のタレント、さらにアーティスト気取の疑似ミュージシャンが甘やかされているだけでしょう。それじゃ世間の気分も高揚しませんですよねぇ……。

多くの皆様が「昭和」が大好きなのは、そんなところにも要因があるような気がしています。

今夜は小川知子を存分にお楽しみ下さいませ。

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中村晃子のあばずれな純情歌

2010-06-19 16:34:52 | 歌謡曲

涙の森の物語 / 中村晃子 (キング)

我国の歌謡曲が一番輝いていた時期は昭和42~46年頃というは、全くのサイケおやじの自論に過ぎませんが、しかし従来の朝鮮半島モードの歌謡曲から洋楽の影響が色濃いGS、そして両者の折衷スタイルの結晶とも言える歌謡ポップスや後のニューミュージックに直結する歌謡フォーク等々が咲き乱れた、実に良い時代でした。

もちろんこれは、この時期の歌が大好きなサイケおやじの偏食主義からすれば、特別に言い訳をするには値しません。むしろ堂々と自分の好みを貫き通すことこそ、潔いと言うべきでしょう。

そこで本日の1枚は、まさにそうした時期でなければ誕生しえなかった中村晃子のヒット曲♪♪~♪ 発売が昭和44(1969)年の元日というところにも、当時のアッパーな世相が象徴されているように思います。

ちなみにこれは彼女にとって、おそらく10枚目のシングル盤だと思われますが、以前にも書いたように、歌手としての中村晃子がブレイクしたのは昭和42(1967)年秋に出した「虹色の湖」以降ですから、そこから数えて4作目となる「涙の森の物語」は、微妙な分岐点の意味合いが強いのかもしれません。

まず、どうにも「白鳥の湖」なスローでクラシカルなイントロから一転、ドカドカ煩いドラムスとワウワウなエレキギターの炸裂に導かれて歌い出す中村晃子のエグ味の強いコブシが、たまりません。

このドライヴ感満点の歌いっぷりは、同系の楽曲を後に出す大信田礼子でも賀川雪絵でも、池玲子でも、失礼ながら絶対に無理でしょう。

極言すればズベ公歌唱の決定版!

やさぐれた白鳥に仮託した恋の迷い道を綴った作詞は横井弘、捨て鉢フィーリングに溢れたメロディを書いたのは小川寛興、さらにノーザンピートを基調にハリウッドポップスとサイケデリックロックの巧みな折衷アレンジは森岡賢一郎という黄金のトリオですから、中村晃子の歌唱もグイノリとウネリが全開です。

とにかく聴いて下さいませっ!

しかし残念ながら、このシングル曲以降の中村晃子は徐々に落ち目の三度笠……。

不思議にも楽曲は充実の極みで、彼女の歌唱も絶頂期にありながら、人気だけが下降線というあたりが芸能界の厳しさなんでしょうねぇ……。

ですから、この時期に残された歌は近年になって再評価も著しい「裸足のブルース」を除いては、今でも忘れられているのがサイケおやじには残念でなりません。

まあ、反面、自分だけの中村晃子♪♪~♪

という正直な気持も確かにあるんですが、今こそ彼女には往年のヒット曲をすっきりと歌って欲しいと切望している次第です。

そして「もしも」が許されるなら、この時期の中村晃子には本来が女優という資質を活かした「ズベ公&女番長(スケバン)映画」に出て欲しかったと思うほどです。前述の「裸足のブルース」の頃には起死回生を狙ってセミヌードを披露したり、また後年にはロマンポルノに出演したり、ヘアヌード写真集までも出した彼女であれば、決してそれは無理ではなかったと思うのですが……。

なかなか思うように進まないのが人生ということで、そんなこんなを想う時、この「涙の森の物語」が尚更に輝いて屹立するのでした。

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お洒落でせつないリロイ・カー

2010-06-18 16:37:24 | Blues

Blues Before Sunrise / Leroy Carr (Columbia)

今はどうなっているか、ちょっと分かりませんが、とにかく我国でブルースロックではない、本物のブルースを聴こう! というブームが最初に高まったのは昭和49(1974)年だったと思います。

実はこの年、私はある幸運から6~9月までの間、アメリカに行けたんですが、それが帰国して吃驚したのは、前述したブルースの大ブーム!?

なにしろラジオではブルース専門の番組が始まったり、レコードもオリジナル音源を大切にした再発がドカッと出たり、ついには本場のブルースマンが来日公演をやったりという活況でしたから、サイケおやじも何時しかそれに導かれ、様々な本物のブルース探求へと奥の細道を辿り始めたのですが、当然ながら、ブルースはギターばかりではなく、ピアノやハーモニカ等々、いろんな楽器をメインしたジャンルが林立していることを知るのです。

そしてその中で最初に感銘を受けたのが、本日の主役たるリロイ・カーという、1930年代のピアノブルースでは代表的な人気歌手でした。

その魅力は都会的な洗練とそこはかとない哀愁の絶妙なミックス云々とガイド本では解説されるようですが、実際、聴けば全くそのとおりなんですねぇ~♪

掲載したアルバムは、リロイ・カーが1932&1934年に吹きこんだSP音源を纏めたLPです。

 A-1 Midnight Hour Blues
 A-2 Mean Misterater Mama
 A-3 Hurry Down Sunshine
 A-4 Corn Licker Blues
 A-5 Shady Lane Blues
 A-6 Blues Before Sunrise
 A-7 Take A Walk Around The Corner
 A-8 My Woman's Gone Wrong
 B-1 Southbound Blues
 B-2 Barrerhouse Woman
 B-3 I Believe Make A Change
 B-4 Bobo Stomp
 B-5 Big Four Blues
 B-6 HustLer's Blues
 B-7 Shinin' Pistol
 B-8 It's Too Short

演奏スタイルの基本はピアノの弾き語りなんですが、そこに最高の相方として彩りを添えるのが、スクラッパー・ブラックウェルというギタリストです。もちろん時代的にはアコースティックギターというのが結果オーライ♪♪~♪

これが実にメロディアスな単音弾きで、自然体の哀愁が滲み出るリロイ・カーの歌いっぷりを堅実にサポートすれば、本来がせつないブルースの歌詞と特有の都会的なブルースフィーリングが、もうこれ以上無いほどに醸し出されるのです。

このあたりは同時代のジャズやジャズボーカル、あるいはこれ以前のジャズブルースといった分野からの影響と相互作用が確実に働いていると、まあ今日では客観的に推察も出来るんでしょうが、リアルタイムでは最高にお洒落な音楽だったと思いますねぇ。

当然ながら聴いていたのは黒人層が圧倒的だったと思いますが、こういう洗練された音楽が都市で生活する黒人達のフィーリングだったのかもしれません。

ちなみに収録全曲はニューヨークでの録音とされています。

しかしリロイ・カー本人はナッシュビル生まれのインディアナポリス育ちですから、決して都会の人ではありません。まあ、そのあたりの感覚がどのように生成されたのかは、知る由もなく、ただただレコードに記録されたリロイ・カーの歌と演奏を楽しみつつ、その哀愁のブルースに浸る他はないでしょう。

いろいろと私が稚拙な筆を弄するまでもなく、これはまさに聴かなければ感じられない魅力なのです。

ちなみにリロイ・カーは、このアルバムに収められた一連の名演を残した後の翌年、過度の飲酒によって亡くなったと言われています。享年30歳……。

ということで、ブルースはなにもギターばかりが主役ではなく、またシカゴのモダンブルースやサニーボーイあたりの深南部のフィーリングばかりが真髄ではありません。

ピアノブルースというと、何故かジャズっぽいような先入観が強い所為でしょうか、あまり我国では人気が高いとは言えませんが、確かにそういう傾向があるにせよ、とにかくリロイ・カーは聴いた瞬間に魅了される、何か特別の魅力を持ったブルースマンだと思います。

このアルバムはアメリカで1962年頃に纏められて以降、ロングセラーを続けているそうですから、CDならば尚更に音質の改善もあると思われますので、機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

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ジョニー・ウィンターの全力疾走のブルース

2010-06-17 16:56:23 | Winter Family

Live At The Fillmore East 10/3/70 / Johnny Winter And
                                                       
(Collector's Choice /Sony = CD)

ジョニー・ウィンターと言えば、百万ドルのブルースギタリスト!

それがサイケおやじの世代にとっては社会通念だと思いますが、実際、この白人ブルースマンがメジャーで公式デビューした時には本当にそれだけの巨費が投じられたそうですし、見事に契約を獲得したCBSでは、「世紀のスーパースター登場!」なんていう大袈裟なウリを全面的に打ち出していました。

そうです、確かにジョニー・ウィンターは、その1960年代末には比類無きブルースロックの天才ギタリストであり、激情迸るライヴステージはヘトヘトになるほど観客を熱狂させていたのですが、それは故郷のテキサスをメインにしたアメリカ南部での活動、また弟のエドガー・ウインターと組んでいたファミリーバンドでの巡業、そしてモダンブルースの本拠地となっていたシカゴでの修行時代から、延々と続けられていた現場主義!

ですから、それが当時の音楽マスコミでは、特に若者から支持を得ていた「ローリングストーン」誌の特集記事になった直後、大手レコード会社のRCAとCBSの争奪戦が繰り広げられ、ついには「百万ドル」という前代未聞の契約金が世界中を驚愕させたのです。

こうしていよいよデビューアルバムが世に出た1969年、なんとCBSと契約する以前にジョニー・ウィンターが地元のマイナーレーベルに吹きこんでいた初期音源がリバティ系列のインペリアルに買い取られ、同時期に新進スタアのデビューアルバムが2種類出るという、これもまたジョニー・ウィンターが破格の大物新人だった証でしょう。

我国でも、これはそのまんま昭和44(1969)年に発売され、インペリアル盤が「百万ドルのブルースギタリスト」の邦題で東芝から、CBS盤が「世紀のスーパースター」という、これまた極みつきのタイトルでソニーから出たのですから、あまり洋楽情報の無かった当時、サイケおやじも含めて、先に出た東芝盤が話題のファーストアルバムだと思い込んでいたファンも多かったと思います。

う~ん、それにしても、ここまでの経緯を後追いで知るにつけ、実際には僅かな金額で下積み時代の音源を買い取って仕立て上げた東芝盤に「百万ドル」の邦題を冠するエグイ商売には、呆気にとられて敬服するばかり……。

しかし結論から言えば、そのふたつのデビューアルバムは「百万ドル」の元を取り返すほど売れもせず、また評論家の先生方からもイマイチのウケしか得られなかったようです。

ただしジョニー・ウィンターの人気が落ちたかといえば、それは全くの的外れな推論に過ぎず、絶え間ない巡業でのライプ演奏は過激な評判となっていきました。

つまり前述したデビューアルバムのようなスタジオレコーディングでは、時間的な制約や纏まりを優先させなければならない諸事情から、どうしても破天荒なジョニー・ウィンターの魅力を収めきれなかったのが本当のところでしょう。

実はサイケおやじもリアルタイムでソニー盤のLPを買ったんですが、前宣伝から思い込んでいた、エリック・クラプトンやジミヘン以上のギター!? が楽しめるという思惑を見事に空振りさせられましたですねぇ……。

まあ、このあたりは演じられていたスタイルがブルースロックというよりは、一本調子のハードロックに近く、しかもサウンド作りそのものが素直でヒネリが足り無かった所為かもしれません。

さて、そこで本日ご紹介は、最近発掘されたジョニー・ウィンターがメジャーデビューして間もない時期のライプ音源で、全く激しいブルース&ハードロックなギターと熱いボーカル、そしてバンドが一丸となった突撃のステージへタイムトリップ♪♪~♪

録音と場所はタイトルどおり、1970年10月3日のフィルモアイーストで、メンバーはジョニー・ウィンター(g,vo)、リック・デリンジャー(g)、ランディ・ポップス(b)、ボビー・コールドウェル(ds) という、新たに結成したばかりの「ジョニー・ウィンター・アンド」と称したレギュラーグループですから、抜かりはありません。

 01 Guess I'll Go Away
 02 Good Morning Little School Girl
 03 Rock And Roll Hoochie Koo
 04 It's My Own Fault
 05 Highway 61 Revisited
 06 Mean Town Blues
 07 Rollin' And Tumblin'

とにかく全篇が熱いです!

過激にブッ飛ばし、唸ってはエグ味が強く、それこそ聴き終えた時にはグッタリと疲労感を覚えるほどです。

なにしろ容赦無いギターソロと臓腑を抉られるようなリフ、グイノリのリズム&ビートの連続ですからねぇ~。

しかも各曲の演奏時間が長く、なんとB.B.キングの代表曲でスローな「It's My Own Fault」を22分以上、やってしまうんですよっ! もちろんジョー・ウインターとリック・デリンジャーの言い争いの如きギターの掛け合いは強烈な「お約束」ですし、その粘り具合もギットギトの脂っこさ!

本当に疲れますねぇ~~~、心地良く♪

ちなみにリック・デリンジャーは元マッコイズのリック・ゼーリンガーと同一人物で、この時期に芸名を変えたようですし、ランディ・ポップスもまた元マッコイズということで、コンビネーションは文句無し! 1960年代中頃にはマッコイズそのものがイケイケ主義のR&Rを得意としていましたから、まさにジョニー・ウィンターと手が合うのは当然かもしれませんねぇ。実は最初のドラマーも元マッコイズのランディ・ゼーリンガーだったのですが、ちょうどこのライプが録音された直前にボビー・コールドウェルと交代したようです。

そのあたりが特に顕著なのが、後にリック・デリンジャーの代名詞ともなる「Rock And Roll Hoochie Koo」で、メロディよりもリフとノリを重視するという、これぞっ、ハードなR&Rがど真ん中!

またボブ・ディラン作のブルースロック「Highway 61 Revisited」では。ストレートな勢いで炸裂するジョニー・ウィンターのスライドギターが危険極まりなく、またボーカルも完全なるディラン調というところも憎めませんが、この曲は確かボブ・ディランの芸能生活三十周年のライプでも元気に演じていましたですよね♪♪~♪ それもまた衰えない芸風でしたが、やっばり若かった1970年、25歳のエネルギーは眩いばかりです。

そして18分もやってしまうハードブギの「Mean Town Blues」からオーラスのシカゴブルース定番曲「Rollin' And Tumblin'」へのクライマックスに至れば、もう聴いているだけでもシンドイほど!?

う~ん、もう既に五十代のサイケおやじには、心身ともにハード過ぎる世界なんでしょうか……。

あぁ、せめて二十代、出来れば十代の青春ど真ん中に、これを聴きたかったですねぇ。

それほどに脂っこくて、分厚いブルースロックが全篇で66分超! 

ご存じのようにジョニー・ウィンターもまた、様々なトラブルから紆余曲折を繰り返し、それゆえに今日では多くのアーカイヴ音源が世に出ている中でも、この音源は屈指のひとつじゃないでしょうか。

書き遅れていましたが、、実は最初、ネットで発見した時はブート? だと思っていたのですが、ちゃ~んとソニー系列から出ている正規盤なので音質には何の問題もありませんし、ジャケ写もそれらしいデジパック仕様♪♪~♪

ということで、ハードな白人エレクトリックブルースという、如何にも1970年代なロックにどっぶりと浸りたい皆様には、ぜひともお楽しみいただきとうございます。

もちろんギター小僧&おやじには絶対!

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ガタッガタッのオーティス・レディング

2010-06-16 16:50:39 | Soul

Otis Redding In Person At The Whisky A Go Go (Atoc)

真にグレイトなソウルシンガーだったオーティス・レディングにサイケおやじが出会った時、その偉人は既に天国へ召されていました。

それは初めて「The Dock Of The Bay」を聴いた時からの運命でしたから、新録が出ないのなら後追いで楽しむ覚悟は決めたものの、当時は直ぐに全てを集めるなんてことは経済的な事情から出来るはずもなく、そこでベスト盤を楽しんでいたのですが、そんなある日の昭和47(1972)年、フィルムコンサートでオーティス・レディングのライプパフォーマンスに接したのも、また運命でした。

それは1967年に開催されたモンタレーフェスティバルでの歴史的なステージだったんですが、とにかく熱気と情熱に満ち溢れた歌とアクションには完全KOされましたですねぇ~♪

ちなみにフィルムコンサートとは文字通り、ロックやR&Bの洋楽スタアが歌って演じるフィルムを映写する催し物で、画面や音響は映画館と変わらないシステムが入れられていましたから、外タレのコンサートが今日ほど普通ではなかった昭和40年代には、レコード会社やファンクラブが主体となって盛んに行われていたのです。

もちろん有料と無料の区別とか、客層の良し悪し等々が当日の盛り上がりに大きく関係してくることは言わずもがな、例えばストーンズがメインになると、始まる前から酒で乱れて暴れる奴とかも多かったですし、女の子が多い時には鑑賞よりもナンパ目的の軟弱男が大勢集まり、今となっては、ある意味で顰蹙寸前のイベントだったかもしれませんね。

で、そこで「動くオーティス・レディング」に深く感動したサイケおやじは、ど~してもライプ盤が聴きたくなり、その帰り道、銀座にあったハンターという中古屋でゲットしたのが、本日ご紹介の1枚です。

 A-1 I Can't Turn You Loose
 A-2 Pain In My Heart
 A-3 Just One More Day
 A-4 Mr. Pitiful
 A-5 Satisfaction
 B-1 I'm Depending On You
 B-2 Any Ole Way
 B-3 These Arms Of Mine
 B-4 Papa's Got A Brand New Bag
 B-5 Pespect

ご存じのようにオーティス・レディングのライプ盤といえば、ブッカーT&MGs を従えた1967年録音の「イン・ヨーロッパ」が決定的な傑作とされていますが、こちらはそれ以前の1966年春頃のステージで、しかも自前のツアーバンドがバックですから、一般的な評価は低いとされています。

しかし私は先に聴いた所為もあるんでしょうが、相当にこちらが好きで、演目の安定度や面白さも日常的なところが結果オーライ♪♪~♪

今では有名になった躍動的なリフが最高の「I Can't Turn You Loose」では、例の「ガタッガタッ」と合の手を入れてシャウトしまくるオーティス・レディングの汗ダラダラの姿が目に浮かんできますし、そのラストから間髪を入れずにスローダウンし、グッとタメの効いたファンキーソウルなコブシを唸る「Pain In My Heart」への流れには、何度聴いても感涙させられます。

ちなみに、ここでのバックバンドはドラムス、ベース、ギターのシンプルなリズム隊にトランペットやサックス、トロンホーンのホーンセクションが5人という、なかなか現場主義で鍛えられたコンビネーションがオーティス・レディング持ち前の歌とアクションにジャストミート!

例えば無謀にもジェームス・ブラウンの十八番を演じた「Papa's Got A Brand New Bag」では、オリジナルの都会的なシャープさよりも、如何にも南部の熱風に茹だったようなイナタいノリが味わい深いですよ。

それと何時だったかキース・リチャーズが告白したとおり、「ストーンズよりはオーティスの方が好き」という証明が、ここでのライプバージョン「Satisfaction」じゃないでしょうか?

後年、一部で言われているような白人に迎合するオーティス・レディングというような部分が、このライプ盤ではそれほど感じられないのも高得点♪♪~♪

ただし近年出た未発表テイクまでも纏めたCDのプックレットには、そのあたりを覆すような文章や写真もありましたので、一概には……。

まあ、それはそれとして、ハリウッドにあったウイスキー・ア・ゴー・ゴーという、あまり大きくない小屋でのライプですから、一応はステレオ録音ながら、微妙に音が回りきったミックスが往年の雰囲気を強く感じさせます。

それと前述した集大成CDで明らかになったんですが、やっぱりこのアナログ盤LPに収録されたトラックの中には編集が施されたものが幾つかあります。しかしそれが絶妙の流れを作っていることは否定出来ません。

賛否両論のアルバムかもしれませんが、私は好きです。

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スティーヴン・スティルスの美食主義

2010-06-15 16:50:39 | Singer Song Writer

Stephen Stills (Atlantic)

1970年代初頭、最も勢いのあったロックスタアのひとりとして、スティーヴン・スティルスの名前を挙げることに吝かではありません。

ご存じクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング=CSN&Yの大ブレイクはもちろん、それによって我国では幻とされてたバッファロー・スプリングフィールドの再評価にまで遡る人気は、今もってスティーヴン・スティルス最高の時期だったと思います。

そして本日ご紹介は、その真っ只中の1970年に出された、スティーヴン・スティルスにとっては最初のソロアルバム♪♪~♪

 A-1 Love The One You're With / 愛への讃歌
 A-2 Do For The Others
 A-3 Church
 A-4 Old Times Good Times / 追憶
 A-5 Go Gack Home
 B-1 Sit Your Self Down
 B-2 To A Flame
 B-3 Black Queen
 B-4 Cherokee
 B-5 We Are Not Helpless

まず我国では欧米から少し遅れた昭和46(1971)年に発売されたのですが、既にプロモーションンの段階から、参加した豪華なゲストの顔ぶれ話題になっていました。

そして実際、裏ジャケットには盟友のデイヴィッド・クロスビー(vo) とグラハム・ナッシュ(vo)、さらにジミ・ヘンドリックス(g)、エリック・クラプトン(g)、リッチー名義のリンゴ・スター(ds)、ジョン・セバスチャン(vo)、ママ・キャス・エリオット(vo)、リタ・クーリッジ(vo)、ブッカー・T・ジョーンズ(vo,per) 等々の有名スタアに加え、カルヴィン・サムュエルズ(b) やダラス・テイラー(ds) という気心の知れた仲間達も交え、スティーヴン・スティルス(vo,g,key,per,b) が大ハッスル!

中でも今では定番ロックヒットになっている「愛への讃歌」は、歯切れの良いカッティングのアコースティックギターと調子最高のパーカッションをベースに、如何にもという豪華ゲスト陣のコーラスワーク、そして幾分力んだスティーヴン・スティルスのボーカルがジャストミートの名曲名演♪♪~♪ 間奏のオルガンにもウキウキさせられますねぇ~♪

ちなみに「愛への讃歌」は1971年に発売されたCSN&Yの2枚組ライプアルバム「4ウェイ・ストリート」でも演じられていますが、その録音時期は1970年6~7月とされており、一方、こちらのスタジオバージョンは1970年3月にロンドンでベーシックなレコーディングが行なわれていたという記録があります。さらに言えばCSN&Yの大傑作アルバム「デジャ・ヴ」の発売が1970年6月であったことからして、本来はCSN&Y名義で出しても良かったと思われるほど、そのイメージが強い名曲でありながら、現実的には人気絶頂のスーパーグループは既に自然崩壊していたわけで……。

そんなこんなの当時の事情を後追いで知るほどに、このアルバムの味わい深さも強くなります。

なんとスティーヴン・スティルスはそんな状況に逸早く見切りをつけたのでしょうか、前述のアルバム「デシャ・ヴ」が完成直後の1970年初頭からイギリスを単身訪れ、自分名義のセッションを重ねていたようです。

そうした成果はジミ・ヘンドリックスのギターとスティーヴン・スティルスのオルガンが熱く対峙するファンキーロックの決定版「追憶」、エリック・クラプトンのギターも眩しいブルースロックの「Go Gack Home」、またリンゴ・スターが直ぐにそれとわかるドラミングを披露する「To A Flame」等々、まさにサイケおやじの好みにびったりなんですが、特にエリック・クラプトン参加のセッションが上手くいった余勢でテキーラを痛飲したスティーヴン・スティルスがギターの弾き語りで独自のソウル&ブルースを唸った「Black Queen」は、まさに生涯の名唱じゃないでしょうか。

それはある意味、当時の流行だったゴスペル&スワンプロックでもあり、他にも「Church」での荘厳にして大袈裟な表現が、如何にも時代を感じさせます。

そしてオーラスの「We Are Not Helpless」こそ、リアルタイムから永遠のライバルとして愛憎半ばするニール・ヤングへの対抗意識が剥き出し云々と喧伝された歌でした。まあ、それは曲タイトルが例の「Helpless」への回答っぽいところにもミエミエなんでしょうが、この頃から急激に支持を伸ばし始めたニール・ヤングとは対照的に落ち込んでいくスティーヴン・スティルスの存在感を思えば、複雑な心境は拭いきれません。

今日の歴史では、生涯現役ロッカーの如きニール・ヤングが孤独の旅路を貫きとおし、スティーヴン・スティルスは既に過去の人かもしれません。CSN&Yという、各実に時代を作ったグループの中では、常にマイペースでも忘れられていないクロスビー&ナッシュという名コンビの愛され方からしても、それはあまりにも哀しいものがあります。

ご存じのとおり、スティーヴン・スティルスは、もうひとつのソロアルバムを作った後の1973年、マナサスという自分のバンドを結成! 起死回生の2枚組アルバムを出すのですが、以降はまたしても尻つぼみ……。

しかしスティーヴン・スティルスこそ、バッファロー・スプリングフィールドであり、CSN&Yであった、その音楽性の芯の強さは忘れてはならないでしょう。

フォークもラテンもソウルもロックもゴッタ煮の美食主義♪♪~♪

変則チューニングのアコースティックギターと灼熱のエレキギターという使い分けも、本当に上手くて憎たらしい!

ですから、この最初のソロアルバムが何時までも聴き継がれているのだと思いますし、その期待を裏切らない密度の濃さと全てが自作の楽曲の充実は、これぞっ、1970年代ロック!

リアルタイムから洋楽マスコミも大絶賛でしたが、私も本日は断言させていただきます。

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オールマンズのもうひとつのフィルモア

2010-06-14 17:00:10 | Allman Brothers Band

The Fillmore Concerts / The Allman Brothers Band (Polydor = CD)

CD時代になって往年の名盤が再発される時、ボーナストラックの有無が購買意欲にとっては相当な決断の材料となり、それの増長が昨今流行りの「デラックスエディション」なんていうブツでしょう。

しかし単に曲数が多いというだけでは、マニアになればなるほど満足しないのが世の常……。

そこでリミックスやエディット違いなんていう裏ワザも大いに使われる事態となって、最初に驚愕させられたのが本日ご紹介の2枚組CDでした。

内容は説明不要、オールマンズが1971年に演じた最強のライプ音源で、当時の発売形態はアナログの2枚組LP「アット・フィルモア・イースト」でしたが、そこに収録出来なかったアウトテイクも以降、様々な仕様で分散発表されてきたという、まさに20世紀ロック史を代表する名演集!

☆Disc One
 01 Statesboro Blues
(3月12日;2nd show / ◎)
 02 Trouble No More (3月12日;2nd show / ★)
 03 Don't Keep Me Wonderin' (3月13日;1st show / ▼)
 04 In Memory Of Elizabeth Reed (3月13日;1st & 2nd show / ◎)
 05 One Way Out (6月27日;final Fillmore Concert / ★)
 06 Done Somebody Wrong (3月13日;2nd show / ◎)
 07 Stormy Monday (3月13日;1st show / ※)
 08 You Don't Love Me (3月12日;2nd show & 13日;1st show / ◎)
☆Disc Two
 01 Hot 'Lanta
(3月12日;2nd show / ※)
 02 Whipping Post (3月13日;2nd show / ◎)
 03 Mountain Jam (3月13日;2nd show / ★)
 04 Drunken Hearted Boy (3月13日;2nd show / ▲)

   ◎アット・フィルモア・イースト (1971)
   ★イート・ア・ピーチ (1972)
   ▼デュアン・オールマン・アンソロジー (1972)
   ▲ドリームス (CD4枚組ボックスセット / 1989)
   ※未発表

上記の収録演目から一目瞭然、これはオリジナルの「アット・フィルモア・イースト」を基本に、その後に出た「イート・ア・ピーチ」に収められた関連アウトテイク音源、さらにはオールマンズのボックスセットやデュアン・オールマンの追悼アンソロジーに分散されていた奇蹟の名演を集大成!?

と単純に思っていたら、これが全くの嬉しい誤算♪♪~♪

実はこれが出た1992年当時、サイケおやじは海外での仕事が多く、当然ながら日頃の愛聴盤は実家に置いてありましたから、ど~しても聴きたい歌や演奏は現地でのCD調達が常でした。

そしてこれもまた、オールマンズの「あの、ライプ」が恋しくて、何気なくゲットしたものなんですが、収録演目を確認した時には一般的なCDにありがちなサービス盤だと思って、それこそ気楽に聴き始めたのです。しかし実際には腰を抜かすほど驚愕させられましたですねぇ~♪

まず音質のリマスターなんですが、もちろん最初に出たCDは聴いていないながらも、長年耳に馴染んでいたアナログ盤と自然に比較して、各楽器の定位がきっちりと固まっていました。つまりデュアン・オールマンが左、ディッキー・ベッツが中央と右の間という位置関係が、イマイチ曖昧だったアナログ盤に比べると、実に明快に決まっています。

またアナログ盤では1曲が終わる度に拍手がフェードアウトされ、。各トラックは孤立状態の編集が、ここでは上手く次の曲に繋げられ、ひとつのコンサートライプを楽しんでいるかのような流れに変えられたのも高得点♪♪~♪

さらに決定的に吃驚させられたのが、未発表&別ミックスの演奏でした。

そこで付属の解説書を確認し、録音年月日を記述したのが、上記演目の但し書きです。

まず、何んと言っても「Hot 'Lanta」が完全未発表の激演テイク!

しかも、この日だけ参加していたというランドルフ・カーターによるサックスがクッキリと聞こえますし、最初に出た「アット・フィルモア・イースト」のバージョンに較べると、全体の勢いが相当にラフで豪快! ちなみにサックスはリフの彩り的な役割だけなのが、賛否両論かもしれません。個人的には、ちょいと勿体無い感じがしますねぇ……。

次に「Stormy Monday」は基本的には「アット・フィルモア・イースト」のテイクと同じなんですが、こちらではカットされていた後半のハーモニカのアドリブパートが入ったロングバージョン! ちなみにそれは「Done Somebody Wrong」や「You Don't Love Me」でも名演を披露しているトム・デューセットというゲストプレイヤーが演じたもので、これがなかなか良い感じ♪♪~♪

また「In Memory Of Elizabeth Reed」と「You Don't Love Me」が、実はアナログ盤時代からふたつのテイクを編集したものだったという真相が、ここで初めて明かされたわけですが、どこにエディットのポイントがあるのか、素人の私には確認出来ないほど上手いです。

それと再びリマスターの話になりますが、アナログ盤の温もりよりは、やはりデジタル音質特有のギスギス感を逆手に活かした音質改善が、ここでは良い方向に作用し、デュアン・オールマンの個性のひとつでもある強いアタックのピッキングが実に明快に楽しめますよ♪♪~♪ 中でもリズムギターを弾くパートでのカッティングは素晴らしいですねぇ~♪ もちろん各楽器の鳴りの輪郭もクッキリですよ。

あと、気になるオムニバス盤からの収録では、グレッグ・オールマン作のオリジナル「Don't Keep Me Wonderin'」がアーシーで粘っこい演奏を象徴するリズム隊のウネリ、そしてデュアン・オールマンの強烈なスライドが文字通りのスカイドッグ♪♪~♪

さらにオーラスの「Drunken Hearted Boy」では、エルビン・ビショップ(vo,g)、スティーヴ・ミラー(p,per)、ボビー・コールドウェル(per) といったアメリカンロックの名物男達がゲスト参加! 思いっきりレイドバックした歌いっぷりでエルビン・ビショップが自作自演の強みを活かせば、デュアン・オールマンは、もうこれ以上無いというほど流麗苛烈なスライドを聞かせてくれますよ♪♪~♪

あぁ、まさに刹那の色気、うっとりと導かれる桃源郷♪♪~♪

ということで、基本形のアルバム「アット・フィルモア・イースト」は冒頭に述べた「デラックスエディション」も出回っていますが、CDで楽しもうとすれば、絶対にこっちをゲットして下さい!

単に曲数を増やしただけの「デラックス・エディション」に、何の意味があるのでせうか?

本日ご紹介の決定版があるのに、ねぇ……。

という、些か煮え切らない気分も、このCDを聴いていれば霧散すると思います。

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ジョン・セバスチャンのホノボノライブ

2010-06-13 16:18:41 | Singer Song Writer

Real Live / John Sebastian (Reprise)

ジョン・セバスチャンはラヴィン・スプーフルの中心自分として、持ち味のホノボノフィーリングが何時もリスナーを和ませるという音楽性は、人格の領域にも深く根ざしているミュージシャンかもしれません。

個人的に一番強い印象となっているのが、例の映画「ウッドストック」での飄々とした佇まいで、かなりの混乱やゴタゴタが支配的だった当日の現場において、大観衆の前にギターを抱えてひとり登場したジョン・セバスチャンがノンビリと歌い出したところは、一瞬にしてギスギスした雰囲気を塗り替えたが如き名場面でした。

ボブ・ディランのようなカリスマ性も無く、また熱血のアジテーションをやるでもなく、ただそこに現れて歌うだけでその場を自然体で支配してしまうあたりに、何らかの魔法があるんでしょうねぇ~♪

もちろん自作をメインにした演目が常に夢見るような温故知新♪♪~♪

所謂グッドタイムミュージックというスタイルは、アメリカの白人達が19世紀の終り頃に演じていた自分達の楽しみの為の音楽で、そこにはフォークソングやカントリー&ウェスタンの源流と共に黒人のブルース&伝承歌までも広義に含まれるという、なかなか汎用性の高いものだったと言われていますが、それを演じる者はギターやピアノ、ハーモニカ等々の他に、例えばブリキ缶や食器、洗濯板なんかを叩いたりするジャクバンド形態!?

尤も、それはレコードが開発される以前の流行でしたから、以降は黒人達の間で受け継がれていくのですが、そのあたりを再発見して1960年代に蘇らせたのがラヴィン・スプーフルのブレイクに繋がったようです。

もちろんそこには当時の主流だったR&Rと白人ポップスの要素が濃厚に含まれているんですが、しかしやっぱり魅力なのはジョン・セバスチャン本人が書いてしまうオリジナル曲のフワフワした気持良さ♪♪~♪

それは絶対に難しいことをせず、分かり易いメロディとシンプルな演奏がナチュラルに存在し、しかも作者のジョン・セバスチャンの歌いっぷりが実にホノボノ♪♪~♪

これって結局、ジョン・セバスチャン本人の人間的な魅力なんでしょうか? ちょいとお気楽なルックスも幸いしていると思います。

そして、そんな疑問を氷解させたのが、前述した映画「ウッドストック」のワンシーンでした。

そこでジョン・セバスチャンがラヴィン・スプーンフル解散後に出していたソロアルバムを聴きたくなるのは当然の流れでしょうが、これが全く不可解な状況でした。

なにしろ似たような中身のアルバムが、別々のレコード会社からジャケットやタイトルを変えて発売されていたのですから!?

実は後に知ったところによると、ジョン・セバスチャンはラヴィン・スプーフルの解散直後からソロアルバムを自費で製作していたらしいのですが、その原盤配給権を巡ってレコード会社との間にトラブルがあり、それは悪いクスリからのゴタゴタで解散に追い込まれたとはいえ、やはり人気バンドだったラヴィン・スプーフルの名前に拘る配給元のMGM、また一方ではそうしたイメージから脱却を図りたいリブリーズとの対立に板挟みとなったジョン・セバスチャンの苦悩でもあったようです。

結局、件のソロアルバムはジョン・セバスチャンの独断でリブリーズから最初の発売となったのですが、やはり契約問題からMGMでもジャケット違いの同内容盤が出るという始末……。

これじゃ~、後追いで楽しもうとするファンが混乱するのも当然ですし、続いて世に出たライプ盤もまた、同様の事態……。

結局、いずれもヒット盤となることは無く、熱心なファンの間でのみ、聴かれていたのが実情だったようです。

そして本日のご紹介こそ、そのゴタゴタの最中、1971年に発売されたリプリーズからのライプ盤で、その名も「リアル・ライプ」と命名されているんですから、いやはやなんとも……。

 A-1 Mobile Line
 A-2 Lovin' You
 A-3 Fisin' Blues
 A-4 Younger Girl
 A-5 Make Up Your Mind
 A-6 Rooty-Toot
 A-7 In The Still Of The Night
 A-8 Blue Suede Shoes
 A-9 Nashville Cats
 B-1 Waiting For A Train
 B-2 My Gal
 B-3 Younger Generation
 B-4 Dralin' Be Home Soon
 B-5 Blues For Dad & JB's Happy Harmonica
 B-6 Amy's Theme
 B-7 Irene

基本的にはジョン・セバスチャンの歌とギターとハーモニカがメインのシンプルな弾き語りライプで、他にサポートとしてピアノとベースが適宜参加するという構成なんですが、まずは収録された会場の雰囲気がすっかり和みの空間になっているのが、レコードを聴いているだけで存分に伝わってきます。

そのあたりが既に述べたように、ジョン・セバスチャンというミュージシャンの大きな魅力でしょうし、それをしっかり活かしたステージ運びには心底、ホンワカさせられますよ♪♪~♪

とにかくお客さんからR&Rの要望があれば、オールディズのドゥワップヒット「In The Still Of The Night」をひとりコーラスグループみたいに演じてしまったり、それがウケたとみるや、今度はプレスリーの声色まで使った「Blue Suede Shoes」で御機嫌をうかがうという始末なんですが、決してそれがイヤミではありません。

むしろ興にノッたという和気藹々のムードが実に楽しいんですよ♪♪~♪

もちろん「Younger Girl」「Nashville Cats」「Younger Generation」等々、ラヴィン・スプーンフル時代のヒット曲も抜かりなく、またその合間のお喋りも上手く編集されているのが、このアルバムの美味しいところです。

そうした部分は、例えばニール・ヤングのようなアクの強さやジェームス・テイラーのような都会的な雰囲気とは決定的に異なる魅力であって、決して派手さは無いものの、何度でも聴きたくなる良さが確かにあります。

サイケおやじとしては日頃から、こういう我国でのフォークブームに直結したような音楽はそれほど好みではないんですが、何故か、このアルバムは数少ない例外のひとつ♪♪~♪

それはジョン・セバスチャンの人徳ゆえでしょうか。

こういう人に私はなりたい!

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願望成就のツィゴイネルワイゼン

2010-06-12 17:05:38 | 日本のロック

ツィゴイネルワイゼンc/w愛に向かって / ザ・フィンガーズ (テイチクユニオン)

また今日も、仕事に追われる旅中のサイケおやじです。

そしてすっかり恒例となってしまった、旅の収穫第三弾!?!

長い間探し求めていたザ・フィンガーズのインスト期最後のシングルとして、あまりにも凄い「ツィゴイネルワイゼン」を、ついにゲット出来ました♪♪~♪

ご存じ、元ネタはサラサーテの有名なメロディですから、こういうクラシック曲をエレキインスト化する企画は、どうしても寺内タケシが先鞭をつけた「運命」と比較される宿命を背負っているわけですが、そこは流石に「極東の奇蹟」とまで世界中から崇められた成毛滋!

ドラムスやオルガンのアレンジも秀逸な劇的イントロから、スローテンポで哀愁満点の曲メロを弾きつつ、演奏は少しずつ熱を帯び、ついにはバンドが一丸となったアップテンポのパートへ突入すれば、そこは猛烈なスピードで展開されるエレキバンドのアンサンブルが極北まで行ってしまった感じなんですねぇ~♪

ちなみに発売されたのは昭和43(1968)年2月という、既にエレキブームは去り、GSが最盛期の真っ只中という、些かの時期外れは否めませんが、それにしてもおそらくは一発録りだと思われる緊張感が、見事なロックの刹那の境地!

当時のメンバーは成毛滋(g)、高橋信之(g)、蓮見不二男(org)、高須研一郎(b)、関口恵一(ds) という5人組でしたが、それにしてもここまで凄いテクニックを持ったバンドは、当時も今も驚異だと思います。

う~ん、連日の特訓風景が目に浮かびますねぇ。

これほどの名演を残してくれたことに感謝するばかりです。

また気になるB面の「愛に向かって」は、当時のもうひとつの流行だったカレッジフォーク調のメロディを地味~に弾いた、これもインストなんですが、A面「ツィゴイネルワイゼン」との落差の大きさに唖然とするばかり……。

ということで、当然ながら旅先ですので、発見購入した中古屋の店頭で聞かせてもらっただけなんですが、とにかく「ツィゴイネルワイゼン」には、今日でも血が逆流するのを感じたほどです。

思えばサイケおやじはリアルタイムで「ツィゴイネルワイゼン」をラジオで聴いた時から、ずぅぅ~っと、このレコードが欲しかったのです。

それが経済的な事情に阻まれ、ついには世紀を超えて物欲願望が成就するという幸せに辿りついたのは、所謂執念ってやつでしょうか。

何事も諦めては、なりませんねっ!

またひとつ、人生の勉強をさせていただいたというわけです。

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ミック・テイラーのブル~ス一本道

2010-06-11 16:56:20 | Rock

Crusade / John Mayall & The Bluesbreakers (Decca)

なんだかんだ言っても、やっぱりエリック・クラプトンはギターの神様!

ですからギターを持ったら一度はコピーに挑戦される宿命を背負っているわけですが、だからといって全てのギター愛好者がそれを完遂出来るとは限りません。自分も含めて、挫折した後にはあらためて平身低頭するのが当然の帰結でしょう。

それでも中には、それを立派にやり遂げた才能の持ち主も少なからず存在し、そのひとりがミック・テイラーでしたが、この人の場合はブライアン・ジョーンズの後任としてストーンズに入ってからがあまりにも有名ですし、その頃には自分なりの手癖という立派な個性を確立していたので、エリック・クラプトン!?! という唯一無二のスタイリストとの接点はあまり感じられないかもしれません。

しかしストーンズ加入以前のミック・テイラーが雇われていたジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ時代には、その音楽性の要がブルースロックだったことから、やはりギタリストは最初の看板スタアだったエリック・クラプトンの影響から脱することが出来ません。

そして特にミック・テイラーの場合は、それが初期において非常に顕著で、参加して最初のLPとなった本日の1枚には、その証が嬉しくも存分に記録されています。

 A-1 Oh Pretty Woman
 A-2 Stand Back Baby
 A-3 My Time After A While
 A-4 Snow Wood
 A-5 Man Of Stone
 A-6 Tears In My Eyes
 B-1 Driving Sideways
 B-2 The Death Of J.B. Lenoir
 B-3 I Can't Quit You Baby
 B-4 Streamline
 B-5 Me And My Woman
 B-6 Checkin' Up On My Baby

メンバーはジョン・メイオール(vo,key,g,hmc,etc)、ミック・テイラー(g)、ジョン・マクヴィー(b)、キーフ・ハートリー(ds)、クリス・マーサー(ts)、リップ・カント(bs,as) という当時のレギュラー6人組ですが、既に述べたことも併せ、これもまたメイオール親分には申し訳なくも、結局はミック・テイラーというギタリストを中心に聴いてしまったアルバムです。

そのあたりはアルバート・キングの「Oh Pretty Woman」、バディ・ガイの「My Time After A While」、フレディ・キングの「Driving Sideways」、オーティス・ラッシュの「I Can't Quit You Baby」といった、バリバリの黒人ブルース歌手&ギタリストの有名カパーが演じられているところにも大きなポイントが否定出来ず、これでミック・テイラーに期待するな! という方が無理というものでしょう。

ちなみにこのアルバムの発売は1967年でした。しかしサイケおやじが現実に聴いたのは1975年という完全な後追いであり、その目的はもちろんミック・テイラーでしたが、既にその頃には「ストーンズでのミック・テイラー」というプレイが耳に焼き付いていましたから、その初期の実相には様々な情報を得ていたとはいえ、やはり幾分の驚きがありました。

それはエリック・クラプトンのコピーに勤しんだ若き日のミック・テイラーが、そのものズバリ! つまり私を含めた世界中の多くのアマチュア&ド素人のギタリストが歩むべき道筋が明確に提示されているように思えたのです。

なにしろ「Oh Pretty Woman」ではギターソロの最初のワンコーラスがチョーキングを主体とした、如何にも簡単にコピー出来そうなフレーズの連発から、2コーラス目に入るとエリック・クラプトン流儀のスロウハンドな早弾き連続技へと変転するのですが、これは悪質ギリギリのプロの証明でしょうねぇ……。

うまく端折りながらキメを活かしたメインリフの弾き方やチョーキングの泣かせ具合も良い感じ♪♪~♪

ですから丸っきりエリック・クラプトンが十八番の「Further On Up The Road」みたいなフレーズばっかり弾いてしまう「Stand Back Baby」や「Driving Sideways」は、実は元ネタがフレディ・キングなんでしょうし、リアルタイムではそのクラプトンバージョンの「Further On Up The Road」は世に出ていなかったのですから、一概には決めつけられないわけですが、それにしてもミック・テイラーのプレイの端々から滲み出るスロウハンドなクラプトン味には、なかなかニンマリさせられますよ。

そして当然ながらスローテンポでは「My Time After A While」における泣き真似スタイルの情熱、あるいは「Tears In My Eyes」のベタベタした情感、狂おしいオリジナルバージョンを必死で再現しよう奮闘した「I Can't Quit You Baby」等々、いずれも思い余って技足りずと言ってしまえばミもフタもありませんが、それでも青春の情熱をギターに託した一途な感情の発露は、それはそれで立派なブル~スじゃないでしょうか。

特に「I Can't Quit You Baby」のギターソロには、かなり熱くさせられますよ。

そして当時のバンドの勢いも決して侮れず、やっていることはブルースというよりも、ブルースロックの王道路線を確立せんとする意気込みが最高!

中でもミック・テイラーとメイオール親分が共作した「Snow Wood」のソリッドな味わいは実にカッコ良く、ソウルフルに蠢くベースや残響音を巧みに利用したゴスペルチックなドラムス、さらにスタイリッシュで熱いギターソロに上手い彩りを添えるクールなオルガン♪♪~♪ モンド系のホーンリフもイカシています。

ちなみに全篇を通してヘヴィでタイト、なかなかパワフルなドラミングを披露するキーフ・ハートリーの力演も聴き逃せませんが、肝心のメイオール親分もツボを押さえたハーモニカはもちろん、例えは「Stand Back Baby」で演じるヘタウマなスライドギターが憎めませんねぇ。

それゆえにオーラスで演じられる、おそらくはメイオール親分が当時から十八番にしていたであろうサニー・ボーイの「Checkin' Up On My Baby」が実に楽しく、これがブルースロックの全て分かっている楽しみでしょうねぇ~♪ ここで聴かれるヘヴィなビートが後のハードロックへと繋がるのも、なんだか意味深のような気がします。

ということで、あくまでもミック・テイラーをお目当てに聴いても十分に許されるアルバムでしょうし、そこにエリック・クラプトンの残影を感じるのも、また正解でしょう。

ただしミック・テイラーが、ここでのクラプトンコピーから脱していく過程は、後に作られていくブルースブレイカーズのアルバムや当時の発掘音源によって最高に興味深く楽しめる現在において、何故にメイオール親分がミック・テイラーを雇い入れたのか、明らかだと思います。

一説によれば、エリック・クラプトンが去り、ピーター・グリーンが加入する間の短い時期のある日、ミック・テイラーは自らをメイオール親分に売り込んだと言われていますが、その時点のミック・テイラーは十代半ば!?!

全く凄すぎる度胸も、それだけのテクニックとブルースへの情熱があればこそ、若気の至りとは言えないと思います。

実際、若き日のサイケおやじは、このLPを聴きながらミック・テイラーのギターをコピーせんと奮闘した事もありましたが、そこには教則本に載っているようなスケールやフレーズが多いとはいえ、一筋縄ではいきませんでした。もちろんそれは、現在でも同じです。

しかもそんな事をやっている間にも、ミック・テイラーは我が道を行くが如き勢いを身につけ、ついにストーンズで大輪の花を咲かせてしまうのですから、それだけの未来を既に感じさせていた才能の閃きが、メイオール親分には分かっていたのでしょう。

もちろんプレースプレイカーズ時代にも、例えば「ブルースバンドの日記」とか、物凄いアルバムをきっちり残しているミック・テイラーではありますが、ストーンズのライプ全盛期の音源あたりを聴くにつけ、ここに記録された初々しいプレイにも惹きつけられる自分を再認識しています。

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