OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

男好きのするアイドルが五十嵐じゅん

2012-12-21 15:09:49 | 歌謡曲

ちいさな恋 / 五十嵐じゅん (ユニオン)

世の中の仕組みの「好き嫌い」で成り立っている!?

最近、そんなふうに思うことしきりのサイケおやじではありますが、そこには男女間で決して歩み寄れない距離がある事も、否定出来ません。

例えば昭和146(1971)年に本日掲載のシングル盤で歌手としても人気を集めた五十嵐じゅんは、キュートな清純派という、些か矛盾気味の存在感で大ブレイクしたんですが、それはあくまでも野郎どもが好きなタイプであって、サイケおやじの妹なんか、リアルタイムから徹頭徹尾嫌っていた芸能人のひとりでした。

もちろん妹は彼女とは個人的な面識があろうはずもないんですが、テレビや雑誌なんかで接するだけで、もうボロクソに貶すんですから、五十嵐じゅんがそれなりに好きだった兄の面目なんか、ありゃ~しませんでしたよ。

そりゃ~、確かに五十嵐じゅんは五十嵐純子として、例えば東映スケバン映画「ずべ公番長・夢は夜ひらく」で悪いクスリに溺れているアーパー娘とか、初期は所謂ケバイ役が十八番でしたし、テレビでもゴーゴーガールやCMの脇役で男に媚を売っていた印象が強かったのですから、妹に限らず、女性には嫌われるタイプだった事は想像に易いわけですが……。

しかし、繰り返しますが、当時の五十嵐じゅんの人気は相当に高く、ここでA面に収録された「ちいさな初恋」で楽しめる絶妙のぶりっ子フィーリングは永遠に失せることのない魅力が全開♪♪~♪

あぁ~、これはなんと申しましょうか、今にして分析すれば、ある種の倒錯性が良かったんでしょうねぇ~♪

なにしろジャケ写のイメージからして、超ミニスカでぬいぐるみを抱いた彼女の仕草、面立ちの徹底した媚び売り姿勢は、まさに当時のアイドル王道路線の極北かもしれませよっ!

それほど当時は「アイドルという商品」に一方的な「嗜好」を強要していたわけでして、ちょいと事例は異なりますが、同時期にデビューした天地真理やキャンディーズには強引(?)とも思える処女宣言をさせていた事を忘れてはなりません。

ということで、しかし以降の五十嵐じゅんは五十嵐淳子と改名し、本格的な女優としての活動も要注意! 時にはヌードも披露していましたし、グラビアアイドルとしての存在価値も絶大♪♪~♪

ですから、昭和52(1977)年に中村雅俊と結婚した時も、実は先に子供を妊娠していたという騒動を妙に納得出来たのは、サイケおやじだけでしょうか? もちろんその後の二人が様々な問題に巻き込まれようとも、離婚することもなく、今日に至っているのは、彼女の人間性と堅実性があればこそでしょう。

つまり家族を含めた周囲が自分に何を求めているのか、常に考えてきたんだと思います。

最後になりましたが、この「ちいさな初恋」は作詞:林春生、作曲:鈴木邦彦のプロの手腕が存分に発揮された、これぞっ! 典型的なアイドル歌謡曲です。

当然ながら、サイケおやじは彼女のあれこれを思い出しつつ、今もこの歌を聴くと胸キュンが高まるのでした。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディオンヌがいれば、そこにバカラック&デヴィッド

2012-12-20 15:34:52 | Pops

恋よ、さようなら / Dionne Warwick (Scepter / テイチク)

バート・バカラックは偉大な作編曲家ですから、これまで発表してきた素敵な歌の中からベストを選ぶなんて作業は愚行に等しいわけですが、しかし単純に自分が好きな曲というポイントでならば、サイケおやじは本日掲載のシングル盤A面に収録された「恋よ、さようなら / I'll Never Fall In Love Again」のディオンヌ・ワーウィックのバージョンを筆頭推薦致します。

ご存じのとおり、ディオンヌ・ワーウィックは黒人歌手でありながら、粘っこい所謂ソウルフィーリングよりは、もっと軽やかなソフトタッチの表現力に長けたボーカリストであり、本来スタジオの仕事が中心のセッションシンガーだったところから、初期に顕著だったオペラ(?)っぽい作風のバート・バカラックに重宝されたように思います。

というか、バート・バカラックのキャリアを後追いながら聴いていくと、ディオンヌ・ワーウィックが歌ったからこそ、完成度が高まったと推察するしかない、そうした楽曲が実に多いんですよねぇ~♪

この「恋よ、さようなら / I'll Never Fall In Love Again」にしても、ボサロック系のリズムアレンジがジャストミートの曲メロ、そして盟友ハル・デヴィッドが綴ったホロ苦い歌詞を明るく、自嘲さえ滲ませて歌ってくれる彼女の上手さは絶品♪♪~♪

まさに1970年の大ヒットになったのはムペなるかな、実は楽曲そのものは1968年に発表されていて、彼女以外が歌ったレコードも既に世に出ているんですが、今となっては夥しく作られたその全てが、ディオンヌ・ワーウィックを意識しているはずという、些かチェスタートン風の逆説(?)さえ成り立つ気がするほどです。

う~ん、バート・バカラック&ハル・デヴィッドが我国の筒美京平&橋本淳だとしたら、ディオンヌ・ワーウィックは誰になるんでしょうねぇ。

そんな事を想う楽しみも、ポップスファンには許されるのですから、大切にしたいものです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は…

2012-12-19 15:31:24 | Weblog

結論の出ない会議で辛苦しております。

まあ、昨日の与党閣議の恨み節&泣き事よりはマシでしょうけどねぇ。

ということで、本日の1枚は休載、ご容赦願います。

明日は、きっと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤンガーズは公認実力派

2012-12-18 15:22:20 | 日本のロック

恋をおしえて / ザ・ヤンガーズ (フィリップス)

今回の衆議院選挙立候補者の中には、政党が自前で集めたというよりも、公募で選ばれた者が多数出馬していますが、結果的に大勝ちした自民党は殊更、そうした新人が多いんじゃ~ないでしょうか。

まあ、そうしたサイケおやじの推察は当選結果が載った新聞記事からの分析(?)ではありますが、世襲やしがらみや因習が必要以上に強い地方の小選挙区において、少なくとも保守票を一本化するためには、それが正解でした。

さて、そうした積極的スカウト方式は、もちろんスタアを作り出す目的において、芸能界では当たり前の遣り方が既に定着しています。

例えば本日ご紹介のヤンガーズは、GSブームが急沸していた昭和42(1967)年、某ジャズ喫茶が企画したプロジェクトのひとつであり、全国から募集選抜のメンバーで誕生したグループ!?

その経緯の詳しい内情は知る由もありませんが、とにかく翌年に公式レコードデビューした時には、そうしたプロフィールが実力派の証明に繋がっていたと記憶しています。

メンバーは窪孝(vo)、西仁(g)、鈴木陽一(g)、岬健次(key)、堀内久雄(b)、永井光男(ds) の6人組で、なかなかコーラスワークも良かったというのが、実はテレビでしかヤンガーズを見たことのないサイケおやじの印象です。

しかし流石は実力派と言われただけあって、歌と演奏の力量も相当にあったんじゃ~ないでしょうか。

それは2枚目のシングル盤として昭和44(1969)年に発売された本日の1枚、特にA面収録の「恋をおしえて」を聴けば納得!

作詞:橋本淳、作編曲:筒美京平の黄金コンビによる、これぞっ! 和製ソフトロックの決定版という世界を屈託のないボーカル&ハーモニーで歌っていくヤンガーズは、ここでのイヤミのないオーケストラアレンジを抜いたライプの現場でも、これをやれるだけのテクニックと音楽性を持っていたはずです。

そうでなければ、既にメジャーデビュー時に熱狂的なファンが大勢で熱くなっていたという現実は、売り手の作為だったと言われても反論出来ないでしょう。もちろんきっちりしたファンクラブや興業形態が立派に機能していたと言われています。

ところが、これほどのグループが大ブレイク出来なかったところに、当時の芸能界の充実と厳しさがあるんですねぇ……。

サイケおやじが知る限り、それでも4枚のシングル盤が残されていますが、中にはメンバー自作自演の作品もありますし、ひとつひとつの仕上がりの完成度は、なかなか良い感じだと思っています。

そして流石は実力派と認定されていただけに、ヤンガーズ解散後のメンバーの活動も侮れません。

中でもドラムス担当だった永井光男はジョージ・ナガイとして、昭和56(1981)年に「キッスは目にして」の大ヒットを飛ばしたザ・ヴィーナスでも、敲きまくりの大活躍!

また窪孝は絵川たかし(?)と改名して、里見洋と一番星へ参加していますが、他のメンバーも多くの歌謡曲スタアのバックバンドで活動していた事は、昭和芸能史の真実でしょう。確か、お笑い芸人に転身したのは、誰!?

ということで、最初っからそれなりの仕事を見込まれて表舞台に登場する者は、覚悟が違うというか、やっぱり良いものを残していると思います。

しかし、それが政治の世界であれば、直ぐに結果を出さなければならない点において、厳しさは芸能界以上ですから、今回は大勝利の自民党にしても、仕事が停滞したら即、オセロの如くひっくり返ってしまうのが小選挙区制度の怖さでしょう。

おそらくは自覚しているはずと思いますが、そんな事が頻繁にあっては国民が惨め過ぎますよ。

せっかく当選した先生方におかれましては、高慢にならず、自分達はある意味での芸人、人気商売の極北という気持で、ウケ狙いでも良いですから、国民になんらかの夢や希望を与えて欲しいと願っています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虚心と希望の明日に向かって

2012-12-17 15:23:55 | 歌謡曲

■何があなたをそうさせた c/w 恋人と呼んで / いしだあゆみ (日本コロムビア)

予想はされていましたが、それにしても今回の衆議院選挙における自民党の超大勝ちは与党、特に民主党の情けないばかりのテイタラクがあってこそでしょう。

つまり「敵失」による勝利だと思うばかり……。

極言すれば、自民党にしか入れる選択肢が無かった!?

そのあたりが大方の気持じゃ~ないでしょうかねぇ。

不肖サイケおやじの場合にしても、小選挙区立候補者の中には、誰も良いと思う人物が居らず、それでも民主党や共産党よりはマシ!? という完全消去法による選択を優先してしまったのですよ……。

もちろん、今回の結果は民主党を中心とした与党側のデタラメに迷走分裂した三年間への断罪であって、負けてしまった自業自得に同情の余地はありません。

しかし、ここまで民主党がボロ負けするとは予想外! 少なくとも70~80前後の議席は獲得すると思っていたのが本音です。

逆に未来の党の目算外れと維新の会の勢い! それはマスコミによる意図的な「第三局潰し」の明暗でしょう。何しろ今に至っても露骨なそれを継続しているテレビや大新聞が揚げ足取りに奔走ですから、これまた情けないですねぇ……。

今日は朝から、そんなこんなを思うにつけ、ふっと口ずさんでしまったのが掲載シングル盤のA面曲「何があなたをそうさせた」であることは、コジツケでも何でもありません。

 あたなと私の 心は一つ
 解けない 紐だと信じてた 恋なのに
 無理にほどいて 捨てて行くのね
 
 何があたなを そうさせた

 こんな私の どこが悪いの
 おしえてほしい

う~ん、なかにし礼の綴った歌詞は昭和45(1970)年秋の作品ですが、全く今でもジャストミートの真実はひとつ!

そして筒美京平の耽美な曲メロを持ち前のアンニュイなムードで演じてくれる、これがいしだあゆみの素晴らしい個性ですから、リアルタイムでの大ヒットは言わずもがな、「昭和」を超えてスタンダード化したニッポンの歌謡曲と思うのはサイケおやじだけでしょうか。

説明不要ではありますが、いしだあゆみはテレビドラマ中心の女優であった昭和40年代前半から、既に歌手としてもデビューしていましたが、大ブレイクしたのは昭和43(1968)年のメガヒット「ブルー・ライト・ヨコハマ」を出して以降です。

しかしご存じのとおり、彼女は機会があれば披露するヌードも含めて、スレンダー系でありながら、なかなか男好きのする肢体やちょいとせつない雰囲気が滲む面立ち、そして自然体のファッションセンス♪♪~♪

それは、一見地味かもしれませんが、併せて華やかなスタア性をふりまくところは、いしだあゆみ最大の魅力です。

さて、そこで冒頭の話に戻れば、政治なんていう派手さと陰湿さのバランス感覚が求められる世界において、本来は地道な活動を求められるはずのところでワザとらしく派手な言動は失笑以外のなにものでもありません。

今回、史上最大の敗北となった民主党は、目立つ=票を獲得するためには、どんな「あざとさ」も「派手なパフォーマンス」も権力者には許されるというような誤解の積み重ねの結果として、自壊に陥ったように見えます。

また、再び野党になった立場として、以前のような闇雲に何でも反対という態度姿勢は許されるはずもなく、これは他の野党にも同様ですから、今度こそ代議士先生方には真摯に国民の事を考えて、日本を導いて欲しいものです。

最後になりましたが、このシングル盤のB面収録曲「恋人と呼んで」は一転して和やかムードが素晴らしい作詞:なかにし礼、作曲:川口真、編曲:森岡賢一郎のヒットメーカートリオが書いた歌謡フォークの隠れ傑作♪♪~♪

いゃ~、今の日本には、こういうホノボノムードが必要ですねっ!

求めてはならず、求めても困難な状況かもしれませんが、そこへ向かう希望を持つ事ぐらいは全ての国民の権利です。それを指導者連中は分かっているはずと、サイケおやじは自分に言い聞かせているのでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジミヘンライブの恐怖

2012-12-16 15:53:06 | Jimi Hendrix

Hendrix In The West / Jime Hendrix (Reprise)

ジミヘンが凄い事は重々承知していた十代のサイケおやじを、更なる狂熱地獄に誘ったのが、本日ご紹介のライプ盤でした。

というか、バンド・オブ・ジプシーズを別にすれば、ジミヘン名義の公式完全ライプアルバムは、このLPが出た1972年までは存在しておらず、しかしそのステージでの狂乱暴虐ぶりは記録フィルム等々で我国へも紹介浸透していたのですから、今となっては免疫作用も逆効果だったんですねぇ~~♪

なにしろ最初に聴いたのはラジオの洋楽番組で、実はその時は「Johnny B. Good」と「Little Wing」だけだったんですが、それとて完全放送ではないフェードアウトのオンエアでありながら、瞬時に全身の血液が沸騰逆流させられた興奮は、今も忘れられるもんじゃ~ありません。

そこで勇躍ゲットしたのが、中古ではありますが、掲載したアメリカ盤です。

 A-1 The Queen (1970年8月30日:ワイト島)
 A-2 Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (1970年8月30日:ワイト島)
 A-3 Little Wing
    (1969年5月25日:サンディエゴ → 同年2月24日:ロイヤル・アルバート・ホール)
 A-4 Red House (1969年5月25日:サンディエゴ)
 B-1 Johnny B. Good (1970年5月30日:バークリイ)
 B-2 Lover Man (1970年5月30日:バークリイ)
 B-3 Blue Suede Shoes (1970年5月30日:バークリイ)
 B-4 Voodoo Chile
    (1969年5月25日:サンディエゴ → 同年2月24日:ロイヤル・アルバート・ホール)

上記収録演目のデータから、このアルバムは様々なライプ音源の名演集でありながら、そこにはジミヘンの急逝という事情を考慮しても、意図的なフェイクは許されません。

なんとっ! これは後に明らかになったんですが、「Little Wing」と「Voodoo Chile」がサンディエゴではなく、ロイヤル・アルバート・ホールからのライプトラック!?

こういう恣意的な情報操作(?)を制作側がやらかしたのは、もちろん良い演奏を集めたいという意思の表れではありますが、結局はロイヤル・アルバート・ホールの音源に関する権利を有していなかった事が大きな原因でした。

しかし、そうやりたくなるのも無理からんほど、ここでの「Little Wing」はリスナーを幻想的なムードに導くほどの素晴らしさであり、「Voodoo Chile」の強烈無比なハードロックフィーリングは、泣きまくりのギターやドカドカ暴れるリズム的興奮も相まって、感動感激の大嵐ですよっ!

ちなみにメンバーはジミヘン(g,vo)以下、ノエル・レディング(b) とミッチ・ミッチェル(ds) の初代エクスペリエンスが最も熟成していた時期とあれば、後は説明不要でしょう。

まさに聴かずに死ねるかっ!

そして同じメンバーによる「Red House」が、これまた永遠の大名演♪♪~♪ 全篇13分ほどの歌と演奏には入魂の激情、トロトロに甘い誘惑、さらには純粋なブルースの衝動がびっしり散りばめられているんですから、これまた過言では無く、歴史的!

サイケおやじは何時如何なる時に聴いても、これで昇天させられてしまいますよっ!

ところが、それで終わらないのが、このアルバムの素晴らしさです。

ベースがビリー・コックスに交代した「Johnny B. Good」と「Lover Man」の激演は偽りなく大噴火した、これもまた恐怖のジミヘンロック! 特に「Johnny B. Good」におけるギタープレイは基本がシンプルなだけに、その唯我独尊の突進力は時空を切り裂くパワーに満ちています。

もちろんハードファンキー化したブルースロックの「Lover Man」も同様で、もしもこの二連発で何も感じなければ、ジミヘンを楽しむ因子が欠落していると言いきって許されるんじゃ~ないでしょうか。

これは独断と偏見では、決してありません。

ちなみに書き遅れてしましましたが、このアルバムの構成はイギリス盤や日本盤と異なり、このアメリカ盤はAB面が逆になっています。

それゆえにワイト島でのライプテイクから入れられた「The Queen」のスタート前のメンバー紹介が、なかなか自然に置かれた感じがしますし、なによりも最初に手にしたのがアメリカ盤であれば、それに馴染んでいるのも当然なんでしょう。

実はそれからメドレー形式で続く「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」が、中途半端なフェードアウトで終わってしまう事も、だから許せるという側面が……。

そして似たような現象(?)として、ライプステージ本番前のリハーサルテイクと言われている「Blue Suede Shoes」の採用についても、ちょいとした息抜きと思えれば、後は一気呵成にLP片面が楽しめるのですから、アナログ盤の特性を上手く使った編集だと思います。

しかし、このアルバムは当時、発売からしばらくして廃盤に……。

何故かと言えば、前述したとおり、「Little Wing」と「Voodoo Chile」の本当の音源権利所有者から訴えられたからで、その所為でカット盤が市場にどっさり出回ったのも懐かしい現象でありましたが、それゆえにこれほどの名演集が気軽に聴けないという時期もありました。

また、その問題がどうにか解消(?)したのか、1990年頃に出たCDは、非常に音が悪くて、幻滅……。

おまけに現行再発の同タイトルCDは曲数も増えていますが、前述の2曲はオリジナルレコードのロイヤル・アルバート・ホールのテイクでは無いので、これまたオススメ出来ません。

結局、リアルタイムの感動を楽しむためには、このアナログ盤を聴く他はありませんが、それでも2000年に出たCD4枚組ボックスセットには件の2曲が収められていますので、これまた今は廃盤かもしれませんが、要注意だと思います。

ということで、ジミヘンが最もジミヘンらしく楽しめるのが、このアルバムの一番の魅力でしょう。

もちろん生前の正規スタジオ制作盤、あるいはウッドストックやワイト島でのライプを収めたLPや記録映画も言い訳無用の素晴らしさではありますが、ジミヘンが実際に生でギターを弾き、歌っている瞬間風速の感度は絶大なんですねぇ~~。

そのエネルギーの膨大さは決して尽きることがないはずです。

そしてサイケおやじが実演のジミヘンで最高に驚異と思っているのは、歌いながらのギタープレイで、その大技小技の兼ね合いやリフの使い方、千変万化でシャープなリズムプレイ等々、リードやアドリブだけではないギターがここまで使えるという真摯なテクニックであります。

それがこの「イン・ザ・ウエスト」で存分に堪能出来ますので、どうか震えながらお楽しみ下さいませ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れじの山川ユキ

2012-12-15 15:29:51 | 歌謡曲

新宿ダダ / 山川ユキ (ミノルフォン)

あくまでもサイケおやじが勝手に言っているだけですが、昭和の芸能界には「スベ公」というジャンルがあって、それが映画ならば日活や東映で作られていた「野良猫」や「スケバン」のプログラムピクチャーであり、歌謡曲ならば「ズベ公歌謡」なわけです。

まあ、現在では評論家の先生方によって、「やさぐれ」という確立されたジャンルになっていますが、要するに「ぶりっこ」系アイドルではない若手女性歌手が演じてくれる、ロックもソウルもブルースも、そして当然ながら演歌もゴッタ煮の味わいが強い、幾分泥臭い歌謡ポップスをサイケおやじは、そう呼んでいるだけの事です。

例えば本日ご紹介の「新宿ダダ」は昭和52(1977)年夏~秋にかけて、ちょっぴり局地的にヒットした、その分野では忘れじの名曲でしょう。

もちろん歌っている山川ユキは、ジャケットに登場しているイメージを裏切る事のない佇まいで、失礼ながらスタア性というか、そういう輝きが鈍かった事は、皆様ご推察のとおりです。

しかし歌の実力、その味の濃さにおいては、都はるみの系譜に属する「力み派」であり、おまけに独得のリズム感が妙にロックっぽいんですから、好きな人には抜け出せない魅力があると思います。

そして――

 ダダ ダダ ダダ ダダ~
 新宿生まれでぇ~
 新宿育ぁ~ち~

という歌い出しのインパクトは、その前段としてのイントロがニューソウルしているだけに、単なる歌謡演歌に終わらない事を示唆するものでしょう。

さらに――

 さよなぁ~ら とぉ~ちゃん~
 さよならぁ~ かぁ~ちゃん~

あたりに続く下世話感は過言ではなく、これがジャパニーズファンキーのど真ん中じゃ~ないでしょうか!?

流石は作詞作曲が石坂まさを!

もう、これを聞いていると、ど~せ酔わない酒にも酔いたい気分になるんですよねぇ~、サイケおやじは。

まさに新宿西口しょんべん横町から歌舞伎町周辺のグルーヴが満点ですよっ!

ちなみに歌っている山川ユキは昭和50年代中頃まで活動していた、今となっては知る人ぞ知るの存在ではありますが、彼女の歌声は「カメラのさくらや」のCMソングを歌っていた事から、現代人にとっては無意識に刷り込まれた歌謡魂のひとつかもしれません。

また、本人は当時のメジャーな歌謡テレビ番組よりは「ギンザNOW!(TBS)」みたいなローカルっぽいバラエティへの登場が多かった記憶で、そういうところがジャストミートしていた事は忘れてならない人気の秘密と思います。

結果的にはシングル盤数枚を残してのフェードアウトではありますが、こういう人が登場していたからこそ、昭和歌謡曲の愛好者は今日でも増え続けていると確信していますし、その意味で後にデビューした同系アイドルの桜たまこが歌ったヒット曲「東京娘」が、石坂まさをの作詞であったことも、美しき流れ!

う~ん、ますます奥の細道に踏み込みそうな……。

ということで、最後になりましたが、曲タイトルの「ダダ」ってなぁに? そんな疑問が今でも時折の話題になりますが、まさか「ダダイズム」やウルトラ怪人の「ダダ」っていう関連性は希薄なんでしょうねぇ。

もちろん「スベ公歌謡」のキモである捨て鉢な感性を狙うとすれば、それも強く想起させられて然るべきとは思いますが、むしろそのジャンルの最大の魅力は「ズベ公の純情」だとサイケおやじは思いますので、わかっちゃ~いるけど、やめられないのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンリン・ランランで不景気をブッ飛ばそう!

2012-12-14 15:39:57 | 歌謡曲

恋のパッコンNo.1 / リンリン・ランラン (日本ビクター)

最近はあまり見ないですが、昭和の我国芸能界でひとつのジャンルを占めていたのが、ザ・ピーナッツに代表される双子姉妹の歌謡デュオでした。

それは他にも民謡系のこまどり姉妹、ポップス系のレモンレモンズザ・バーズ、そしてアイドル系のリリーズ等々、なかなか強い印象を残している人気者が多く、特に本日ご紹介のリンリン・ランランは香港からやって来たという話題性だけでも、最初っから目立ちまくっていた記憶があります。

しかも広く知られるようになったのが、昭和49(1974)年頃から出演したテレビスカウト番組「スター誕生(日本テレビ)」のアシスタントであったというのも、既にスタアの座が約束されていた証明(?)でしょう。

実はリンリン・ランランは、その来日2年ほど前から、ロッカ・シスターズと名乗って活動していた香港生まれのアイドルだったのです。

ただし生粋の中国人ではなく、アメリカ系の血筋も入っていたそうですから、そんなところもウケたポイントかもしれません。

そして待望のデビュー曲「恋のインディアン人形」が同年春に発売されるや、彼女達は瞬時にトップアイドルの仲間入り! もちろん歌の活動ばかりではなく、バラエティ番組やCMでも活躍していた事は言うまでもないでしょう。

サイケおやじの世代の皆様ならば、あの懐かしい「リンリン・ランラン・リュ~エン♪」という某中華料理店のCMソングは刷り込まれているんじゃ~ないでしょうかねぇ~~♪

ちなみにリンリン・ランランは向かって左側が姉のリンリン、右側が妹のランランとされていましたが、そんな事よりも二人が揃ってこその商品価値があった事は言わずもがなでしょう。

さて、そこで掲載したシングル盤A面曲「恋のパッコンNo.1」は、いやはやなんとも、凄いタイトルではありますが、中身はアップテンポのブラスロックとポップソウルが歌謡曲を媒体として化学融合を成し遂げた、これが如何にも昭和49(1974)年末らしい、実に楽しい仕上がりの決定版♪♪~♪

 パッコン パッコン 私の~♪
 パッコン パッコン この胸~♪

という最初のパートから、アッという間に彼女達の世界に引き込まれる仕掛の上手さは、作詞:さとう大三&作編曲:穂口雄右が流石の仕事と感銘するばかりですよっ!

う~ん、まさに「キャッチー」というキーワードが、ここにあったのが昭和歌謡ポップスの真骨頂と言うべきかもしれません。当然ながら、リンリン・ランランならではの爽やかなユニゾンボーカルとハーモニー&コーラスの微妙なナチュラルフィーリングは、双子姉妹の特権でありますねぇ~~♪

実は今夜は仕事関係先の忘年会に顔を出すんですが、女子社員の誰かが二人でこれを宴会芸にやってくれたら、きっと不景気をブッ飛ばす盛り上がりになると思うんですけどねぇ。

そういう部分でも、今こそ双子姉妹の歌謡デュオは登場が望まれるような気がしています。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤咲子も最高だぁ~~♪

2012-12-13 15:38:06 | 歌謡曲

木枯らしの二人 / 伊藤咲子 (東芝)

瞬時、年末の巷にはクリスマスやお正月、冬物衣料や暖房器具、さらには心身共に温まりそうな美味しい食べ物が並んでいますが、もちろん昭和歌謡曲にだって季節商品(?)はあったということで、伊藤咲子の「木枯らしの二人」はいかがでしょう。

発売されたのは昭和49(1974)年の12月でしたから、このジャケ写に登場している彼女のファッションもまた、冬の装いであります。

しかも作編曲を担当した三木たかしの狙いは、モロに往年の北欧エレキサウンドを隠し味にしたロシア民謡系の昭和メロディが全開で、如何にものマンドリンの使用や幾分大袈裟なオーケストラアンレンジがアップテンポの曲調にはジャストミート♪♪~♪

また、乙女の叶わぬ恋心を綴った阿久悠の歌詞が、これまた伊藤咲子にはデビュー以来の命題的世界でしたから、彼女の歌いっぷりも実にイキイキとノリが良く、素晴らしいと思います。

ただし、この楽曲は完成度が高いがゆえに、非常に歌うのが難しく、それは実際、イントロから歌い出しの頭の部分で、ほとんどの素人はヘタレを演じる事が多いのは当然でしょう。

ですから、説明不要とは思いますが、もしもオールタイムでアイドル対象の歌唱力ランキングなんてものがあれば、絶対に上位にランクされるはずの伊藤咲子ならではの個性と実力が、ここで呆れるほど堪能出来るはずです。

あぁ~、聴くほどに彼女は本当に歌が上手いと思いますねぇ~~♪

確か、この「木枯らしの二人」はデビューから3作目のシングル曲だったはずなんですが、もう既にベテランの味わいさえ滲んでいるのですから、凄い! としか言えません。

ご存じのとおり、以降の伊藤咲子は素敵な歌をどっさり出しつつも、何時しか芸能界の第一線からフェードアウト……。様々な紆余曲折はここで書くつもりもありませんが、やはり残してくれた音源の全ては、どれを聞いても、昭和歌謡曲ファンの琴線に触れるものばかりです。

ということで、何故か最近、伊藤咲子を聴くことが多いサイケおやじです。

願わくば集大成的なボックスセットが出ないかなぁ~~、とさえ希求しているのですが、とりあえず地道に蒐集したアナログ盤は末代までの家宝♪♪~♪

まあ、それを家族が受け入れてくれるかは別としても、個人的には偏愛以上の存在として、伊藤咲子の歌の世界は大好きなのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朱里エイコはデビューから最高♪

2012-12-12 16:44:42 | 歌謡曲

恋のおとし穴 c/w 孤独の太陽 / 朱里エイコ (キング)

いゃ~、北朝鮮がついに人工衛星を称するミサイルを発射してしまいましたですねぇ~~~~!?

実はさっきまで韓国に出張していましたので、現地の虚をつかれた騒ぎは、大統領選挙と相まって、なかなかヘヴィな緊張感が強かったですよ……。

もちろん我国だって、またまた情報収集力の弱さを露呈した現実は否めないでしょう。

とりあえず実質的な被害は無かったと思われますが、なんとも先が思いやられます……。

さて、そこで全然関係ありませんが、本日掲載のシングル盤は、ちょい前に書きました韓国の仕事関係者へのお土産だった西崎みどりのアナログ盤のお礼として、ありがたく頂戴してきた、これが長年欲しかった朱里エイコのデビュー作♪♪~♪

発売されたのは昭和42(1967)年春、ということは作詞:福地美穂子、作曲:すぎやまこういち、編曲:森岡賢一郎のヒットメーカートリオが狙ったのは、直球ど真ん中のビートエレキ歌謡ですから、朱里エイコのパンチの効いた歌いっぷりが最高の極みつきなんですよっ!

それはグッと力んだアクセントの付け方とナチュラルに発せられるハスキーボイスの絶妙感に顕著ですし、さらには抜群のリズム感も相まって、まさに天才の証明!

あぁ~~、実質的にはリアルタイムのヒットにはなりませんでしたが、それはカッコ良すぎたからではないでしょうか? 時を経て、再発見される確立が高まっていますからねぇ~、実際!

森岡賢一郎のモード系ジャズロック風味のアレンジも素晴らしいですよ♪♪~♪

ちなみに、これを「朱里エイコのデビュー作」と書きましたが、本人の芸歴では、既に「田辺エイコ」名義のレコーディングが残されていて、それらも幻の名盤化している事は、昭和歌謡曲史の中の偽りの無い真相のひとつでしょう。

また、B面収録の「孤独の太陽 / In My Room」はウォーカー・ブラザーズで有名ヒットになったポップソウルの日本語カパーで、こちらも森岡賢一郎のアレンジは秀逸なんですが、ちょいとナンシー・シナトラあたりを意識したんでしょうか。

まあ、それはそれとして、気になるジャケ写に登場している朱里エイコは、丸っきりコシノ三姉妹の血縁みたいな面立ちで、例の「カーネーション」ブームが継続している今日であれば、なかなか印象も強いところですよねぇ~♪

ということで、実はこれの次に世に出たのが、CMヒットソングの「イエ・イエ」でありましたから、当時から朱里エイコは最高の存在であった事が知れようというものです。

このキング時代の音源は現在、CDで纏められていますので、機会があれば皆様も存分にお楽しみ下さいませ。

当然ながら、おやじバンドでもやりたい演目にリストアップしているのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする