OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

最後の本音は何時言える

2016-01-21 17:06:18 | 日本のロック

最後の本音 / Sooo Baad Reveu (フィリップス)

いやはや、仕事は縺れ、会議は紛糾という本日の流れの中、サイケおやじの胸中に浮かびっぱなしだったのが掲載のシングル盤A面曲「最後の本音」です。

とにかく、

 俺は決して 悪い人間じゃない
 ただ考えが甘いだけ

というキメの一節が痛切、こみあげてくるわけですよぉ。 

演じているソー・バッド・レヴューは昭和50(1975)年頃から2年に満たない期間に存在していた関西のバンドで、メンバーは山岸潤史(g)、石田長生(g)、国府輝幸(key)、チャールズ清水(key)、永本忠(b)、土井正和(ds)、北京一(vo)、砂川正和(vo,per) という8人をベースに、時折はトラも入れていたようですが、やっていたのはソウルでファンクで、しかもブルースな歌謡曲という、コテコテの関西ロック!?

うむ、確かに関西出身のバンドではありましたが、本場アメリカのソウルフィーリングをロック的に解釈し、さらにライブの現場ではジェームス・ブラウン等々のステージレヴューを巧みに折衷した笑いと涙と熱血のギグを披露していましたですねぇ~~♪

ただし、サイケおやじがソー・バッド・レヴューのライブに接したのは、たったの2回だけですので、勘違いだったらご容赦願いたいところです。

しかし、それでもジミヘンかジェフ・ベックみたいに唸っては燃える山岸潤史のギター、その相方としてファンキーなリズムプレイやオカズの妙義を聞かせてくれる石田長生の存在も侮れず、加えて国府輝幸とチャールズ清水のダブルキーボードの達者な演奏がニクイばかり!

そこには永本忠と土井正和が作り出すリズムとビートの土台もがっちり固まっている事は言わずもがな、その頃は漫才師としても知られていた北京一のコミカルな語りと熱い節回しに義理と人情が入ったとしか思えない、ど根性のボーカルこそが、この「最後の本音」をメインで歌っている砂川正和の真骨頂でしょう。

ちなみに作詞作曲は石田長生なんですが、楽曲そのものは既に下北(下北沢)のジャニスと云われていた金子マリが歌っていたのをサイケおやじは知っていまして、前述のように接した最初のライブが昭和51(1976)年春の日比谷野音、そしてこのレコードが出たのは同年晩秋頃でしたから、ど~ゆ~経緯や交友関係があったのか、その真相は興味津々、当時の我が国のロック分布図を解き明かす要点のひとつに成りうるような気がしています。

緩和休題。

しかし、バンドとしてのソー・バッド・レヴューは既に述べたとおり、本当に短命で、このシングル曲を含むアルバムを同年に出したっきりで解散……。一応、それを前提にしたとしか思えない巡業から作られたライブ盤も残していますが、驚いた事にアメリカ録音という件のデビューLPがあればこそ、記録と記憶がリンクしてしまいます。

告白すれば、ここまでサイケおやじが書いていながら、実は2回だけ接したソー・バッド・レヴューのライブには、どこかしら和めないものを感じていたのも本音です。

そりゃ~、始まりはバンドだけのインスト演奏、そしてボーカリストがステージの上手&下手から飛び出し、続けて繰り広げられるのは熱~~いライブという構成は凄いものでしたが、メンバー各々がウルトラ級の個性派だったという事でしょうか、なんとなく意地の張り合いみたいな場面も散見され、後に知ったところでは、どうやらバンド内の人間関係は縺れていたとか……。

ですから解散後、メンバーがそれぞれの道で活躍したのもムベなるかな、しかしソー・バッド・レヴューの記憶は幻影を超越して、今に伝えられているんじゃ~ないでしょうか。

ということで、ど~でもいいことかもしれませんが、この「最後の本音」はレコード化された時、オリジナルの歌詞の一部に問題有りという理由から、ライブで親しんだものとは異なる仕上がりになっていますが、そんなの関係ねぇ~~~!

サイケおやじは、ただただ、本音を吐露したいという気分に満たされているのでした。

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追悼・グレン・フライ

2016-01-20 19:44:18 | 追悼

New Kid In Town / Eagles (Asylum / ワーナーパイオニア)

イーグルスの創設者にして、ウエストコーストロックの全盛期を導いたひとりでもあるグレン・フライの訃報に接しました。

皆様ご存じのとおり、グレン・フライはイーグルスにおいて数々の名曲を作り、またリードを歌ったヒット曲も多いので、そのまんま、リーダー的な存在と目されていたわけですが、個人的には同バンドの歴史を鑑みても、一番に地味な存在という印象です。

もちろん、と書いてしまったのも、失礼ながらギタリストとしてはバーニー・レドン、ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュという歴代名手の後塵を拝し、またボーカリストとしてもドン・ヘンリーという哀愁のソウルシンガー、あるいはハイトーンボイスにコーラスも上手いランディ・マイズナーがあまりにも強い存在感を発揮してしまえば……。

しかし、それでもグレン・フライは「イーグルスの」という冠が一番に相応しいメンバーであり、それはイーグルス解散後にヒットレコードを作った時でさえ、失せる事はなかったと思います。

つまりグレン・フライが参加しなければ、解散後のイーグルスが再結成した時も意味が無かったはずであり、逆に言えばグレン・フライが仲間のレコーディングセッションに参加しただけで、仕上がったレコードにはイーグル風味を我々は期待してしまうという現実が確かにあったんじゃ~ないでしょうか。

また、グレン・フライの音楽性やキャリアを紐解けば、駆出し時代はアメリカ中西部あたりで骨太ロックをやっていたらしく、ロスに移ってからはフォークロックやカントリーロックに傾倒したレコードを出しながら、結果的には鳴かず飛ばずだったんですが、その流れの中でボブ・シーガーJ.D.サウザージャクソン・ブラウン、そしてリンダ・ロンシュタットのマネージャーだったジョン・ボイラン等々の名士(?)と知り合い、共に明日に向かって友情と音楽的交流を深めていったのは、汎用性の高い故人の曲作り、殊更R&Bやソウルミュージックの白人的解釈やAORど真ん中の雰囲気でありながら、不思議と懐古趣味に彩られた楽曲の味わい等々に反映されていたと思います。

で、そんなこんなの印象から、サイケおやじとしてはイーグルスが1976年に出した驚異のメガヒットアルバム「ホテル・カリフォルニア」から先行シングルとしてカットされた「New Kid In Town」を故人を偲ぶ1曲と致します。

いゃ~、もう、とにかく最初に聴いた瞬間から、この穏やかにしてせつない曲調の魅力は、まさにソングライター&ボーカリストとしてのグレン・フライならではの世界ですよねぇ~~♪

しかも楽曲を印象づけているエレピが、バンド内では堂々とキーボードを演奏する事になっているグレン・フライじゃ~なく、なんとっ! 剛腕ギタリストのジョー・ウォルシュが弾いていたという現実が、如何にも「らしい」真相というのも、味わい深いところでしょう。

ということで、グレン・フライについては、もっともっと書きたい気持ちがあるんですが、とりあえず本日はここまでとさせていただきとうございます。

ただ、願わくば前述したイーグルス以前のキャリアの中で、J.D.サウザーと共にロングブランチ / ペニーウィッスルと名乗ったデュオ名義のLPを完全公式盤として復刻して欲しいものです。

なにしろこれが和みのフォークロックが満載なんですよっ! 決して「ぬるま湯」とか云って欲しくはないほどの穏やかさは、たまらない魅力ですから!

衷心より、ご冥福をお祈りいたします。

合掌。

 

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最高ぉ~♪ 暴走列車の懐古趣味

2016-01-19 17:46:50 | Rock

ロコモーション / Grand Funk (Capitol / 東芝)

やっぱり昨日と今日は各交通機関が乱れまくりでしたねぇ~。

天変地異には勝てないのが人間の営みと諦めるのも、何か悔しいと思うのは、明らかに思い上がりと分かってはいるんですが……。

てな事をツラツラ考えながら、それでも列車で移動中のサイケおやじですから、本日はそのまんまの名曲ロックを懐かしさと共にご紹介♪♪~♪

それが掲載したシングル盤A面曲「ロコモーション / The Loco-Motion」で、原曲は作詞:ジェリー・ゴーフィン&作曲:キャロル・キングが提供し、リトル・エヴァが歌っては1962年に大ヒットさせた、この時点では所謂アメリカン・オールディズだったんですが、ご丁寧にそれをグランド・ファンク・レイルロード改めグランド・ファンクがカバーしてしまうなんてのは、ストーンズがボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」をやらかした様な、シャレにならないファンサービス!?

なにしろ発売された1974年にはヒットチャートの首位に輝くという、まさに目からウロコが落ちまくる会心の一撃でしたからねぇ~~♪

いきなりマーク・ファーナーが「素」で曲頭を歌い出し、次いで楽しくもファジーなメンバーの合唱追従から、ドッカァ~~ンッとヘヴィなハードロックが始まれば、それでツカミはすっかりOK♪♪~♪

そして以降はグイノリのアメリカンロックが展開されるんですから、ロックファンというよりも、既に洋楽好きにはたまらない世界が披露されるというわけです。

ちなみに当時のグランド・ファンクはマーク・ファーナー(vo.g)、クレイグ・フロスト(key)、メル・サッチャー(vo,b)、ドン・ブリューワー(vo,ds) という4人組で、しかもプロデュースを担当したのがトッド・ラングレンであれば、デビューの頃の猪突猛進から、さらに大衆性を追求する姿勢にモデルチェンジした証が、バンド名の短縮とパワーポップなサウンドの提示であり、この「ロコモーション / The Loco-Motion」こそが単純にして明快な結論だったのでしょう。

何を言われたとしても、ヒットチャートを席巻し、ライブの現場でも大ウケしていたのは間違いのない結果でありました。

また、こうした方法論はアマチュアバンドを「その気」にさせる効果も満点で、恥ずかしながらサイケおやじも学生時代に入れてもらっていたバンドで、このコピーに勤しんだ過去もあり、特に演奏アンサンブルのリフの構成とか、間奏のギターソロの如何にもハードロックな風情は、自分らにだってっ!?!

そんな決意を煽るのには絶好だったんですよ♪♪~♪

しかも後に知ったことではありますが、グランド・ファンクがこのレコードを作った発端が、最初はスタジオでのお遊びであったとか!?

思わず納得させられてしまう逸話も、俺達だって、やろうぜっ!

なぁ~んていう意気込み(?)に繋がったというわけですが、その頃はオールディズのリバイバルブームが広がっていた事も、大切な要件だったと思います。

ということで、久々の列車の旅も悪くありませんねぇ~~♪

これから駅弁、食べますよぉ~~♪

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雪の朝、旅に出ました

2016-01-18 07:29:03 | Weblog

予報どおり、今朝は見事に雪が積もったので、移動日のサイケおやじは午前5時に家を出ました。

おかげさまで雪国の生活も体験しているサイケおやじは、それなりに慣れているんですが、皆様はいかがでしょうか?

交通事故や歩行中の転倒等々、危険がいっぱいですから、注意しすぎるなんて事は絶対にありません。

さて、ようやくここまで辿り着いたので、ちょっと安心して、こんなブログを綴ってみました。

本日の1枚は休載させていただきますが、明日はどうにかなると思います。

それでは、お気をつけてぇ~~。

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今も忘れられない歌

2016-01-17 15:32:57 | 歌謡曲

遠くで汽笛を聞きながら / アリス (リードボーカル / 堀内孝雄) (東芝)

あの大惨事・神戸地震から21年が過ぎ去りました。

以前にも書いた事があったと思いますが、実はサイケおやじには、件の大災害で死んでも不思議ではなかった運命のいたずらがあったのです。

それは悲劇の前日、ちょうど関西へ出張していたサイケおやじは珍しく仕事が順調に捗り、昔っから様々にお世話になっていた、その時は神戸在住の先輩を訪ねる約束が早くなるというウキウキした気分でした。

そして先輩の自宅を訪ね、ご家族と一緒に旧交を温めるという楽しい雰囲気から、自然に今夜は泊まっていくようなお誘いを先輩の奥様から頂き、すっかりサイケおやじもその気になってしまったところが、流石は先輩から厳しい一言がっ!

それは、仕事に余裕が出来た時は、早く次の段取りをやっておけという、つまりは明日は東京で1日早く、次の仕事に入れっ!

という、実に当たり前の現実に即したアドバイスでありましたので、サイケおやじはご厚意に甘えたいという気持ちを抑えつつ、最終の夜行バスで別れを告げたのですが……。

なんとっ!

その翌日早朝、あの大震災がっ!!

しかも先輩の家は全壊し、先輩と奥様は命を落とし、溺愛していたお嬢様だけが、どうにか助けられたという悲劇の顛末は、ひとつ間違えれば、サイケおやじも同じ家で被災していたわけですから、今も複雑な心境で、1月17日は、ご冥福を祈るばかりです。

さて、そこで本日は、そういう経緯で亡くなった先輩がカラオケで十八番にしていた「遠くて汽笛を聞きながら」を取り出してしまいました。

説明不要かと思いますが、これは昭和51(1976)年に発売されたアリス名義のシングル曲でありながら、実質的にはメンバーの堀内孝雄が自作のソロプロジェクト的名唱であり、アリス解散後も自分の代表作として歌い続けている傑作ですから、カラオケでも人気があるのは当然でしょう。

そう……、あの夜も先輩は、降りかかって来る悲劇を全く知らず、カラオケ屋で気持ちの入った「遠くで汽笛を聞きながら」を歌っていました。

その歌声も、あの時のご家族団らんも、サイケおやじは決して忘れていません。

生かされている自らの運命を大切しようと思うばかりです。

合掌。

 

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浮き足立ちたいねっ!

2016-01-16 16:05:41 | 歌謡曲

マグネット・ジョーに気をつけろ / ギャル (キングレコード)

昨日、一昨日は失礼致しました。

おかげさまで本調子ではないものの、PCの機嫌もどうにか上向きみたいなんで、とりあえず今日は様子見ということで、取り出しましたのは実力がありながら、イノセントなアイドルとしてはイマイチ大きなブレイクまで届かなった黒木真由美、目黒ひとみ、そして石江理世が組んでいた再生プロジェクトみたいなボーカルグループのギャルに登場をお願い致しました。

で、掲載したのは彼女達の2ndシングルで、ジャケ写共々、殊更A面曲「マグネット・ジョーに気をつけろ」が、如何にも発売された昭和53(1978)年がど真ん中のディスコ歌謡♪♪~♪

とにかく作曲:川口真&編曲:馬飼野康二が提供した、それこそ足が地に着かないようなゴージャス感&軽薄(?)なソウルサウンドもさることながら、阿久悠の綴った歌詞が丸っきり子供向けっぽい幼稚な真実に満ちているのですから、たまりません。

しかもギャルの3人の迷いの無い歌いっぷりも痛快で、サビメロで滲む歌謡演歌っぼさも、アイドル出身ならではフィーリングが、本当に上手いですねぇ~~♪

こ~ゆ~歌って、現代の集団アイドルが披露しても全然OKだと思うんですが、本音を吐露すれば、例え歌唱力のあるピックアップメンバーで挑んだとしても、今の時代感覚とは似て非なるズレがギャルの存在にはありましたから、果たして結末はつ!?

ということで、実は昨夜から新年会という顔繋ぎ行事に連荘で出席する強行軍は、本来楽しいはずの集いであったとしても、あんまりノリが良く無い自分を感じるばかり……。

ですから、こんな歌でパァ~~~ッと盛り上がってみたいものです。

 

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これも人生の壁

2016-01-15 14:29:19 | Weblog

昨夕から、PCが全くゆ~こときかなくなりました!?

スマホと連動しないし、もしかしたらスマホがイカレている可能性も???

とにかくゆっくり復旧のあれこれをやる時間も無いというのは、焦ります。

一応、ブログファイルの入ったハードディスクは隔離しましたが、前途多難……。

訪れていただいた皆様には、心からお詫び申し上げます(__)

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本格的に寒くなったと思ったら

2016-01-14 16:36:00 | Weblog

うわっ、急にPCのリモートが利かなくなってしまった……。

ファイルが全く開けないので、本日の1枚は休載させていただきます。

復旧に専念する時間が欲しいなぁ~~。

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やっぱり珈琲が好きっ!

2016-01-13 18:19:52 | 歌謡曲

コーヒールンバ / 西田佐知子 (ポリドール)

巷間、あまり云われませんが、ドイツは珈琲が上手い国だと思うのはサイケおやじだけでしょうか。

もちろんドイツで産出の珈琲豆云々じゃ~なくて、あくまでもドイツで煎れられて供される珈琲という話なんですが、それはなかなか丁寧な味わいがあって、サイケおやじは好きなんですよ♪♪~♪

で、思い出してみると、あの紙フィルターを使う「メリタ式」の淹れ方って、ドイツで考案されたわけですし、珈琲豆の産出国のひとつ、ブラジルには昔っからドイツ系の資本や人脈が入り込んでいるあたりにも、何かの関連があるのかもしれません。

あっ、それともうひとつ、サイケおやじが美味しいと感動した珈琲が、マレーシアで飲んだ1杯で、それはそれは不思議なほど陶酔させられる香りとコクのある味わいが今も忘れられない、通称「ルアック」と呼ばれる品種なんですが、その時に仰天させられたのが、件の珈琲豆が山猫の糞から採取されたという事実!?

いゃ~、飲んだ後に聞かされたその真相には、なにか騙されたような気分でしたが、所謂「騙されたと思って~」という慣用句って、まんざらウソでもないと目からウロコでしたねぇ~~♪

ちなみに「ルアック」は、美味しい豆しか食べないとされる山猫が出した糞の中の未消化な残滓という事らしく、その山猫の腹の中で発酵熟成みたいな結果として、前述したような不思議な美味が生まれるというんですから、これを最初に飲んだ人物の偉大さは、神様の思し召しかもしれません。

そして当然ながら少ししか採取されない貴重品ということで、とても高価なところから、サイケおやじが飲む事が出来たのは、本当に小~さなカップ、ちょいと大きめの盃ぐらいの量でしたが、結局は少量飲むからこそ、美味しいという気もしています。

さて、本日、そんなこんなの珈琲の話ばっかり書いてしまったのは、ある事情から美味くもない珈琲ばっかり、何杯も飲まされたからで、本音の愚痴の裏返しを皆様には、ご容赦お願い致しとうございます。

そして掲載したのは、ご存じ、西田佐知子が昭和36(1961)年頃からロングセラーの大ヒットにした「コーヒールンバ」であります。

とにかくエキゾチックと言えば簡単明瞭ではありますが、原曲は確かベネズエラの大衆曲で、そこに附された日本語の歌詞は中沢清二の作であり、それほど本歌とは関係ないと言われていますが、我々日本人にとっては西田佐知子のバージョンによる珈琲賛歌は絶対的でしょう。

また、もうひとつ有名なのがザ・ピーナッツの歌詞違いバージョンで、両方の印象が異なる理由は、アレンジの味わいである事も確かだと思います。

それは西田佐知子のバージョンではジャズっぽいベースやギター、マラカス等々のシンプルなスタイルにフェロモンの滲みも絶妙な彼女の節回しがたまらないのに対し、ザ・ピーナッツのバージョンは派手なストリングも入ったラテンポップスがど真ん中という仕上がりで、好き嫌いを別にすれば、実は両者に優劣なんかは無用でありましょう。

本日、サイケおやじが、あえて西田佐知子のバージョンを選択したのだって、実は気紛れという事も否定致しませんよ。

ということで、さあ、これから珈琲、もう一杯♪

あっ、そういえば、ボブ・ディランにそんな歌もありましたですねっ!?!

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悲しみを踊り飛ばそう!

2016-01-12 14:33:55 | Rock

Let's Dance / David Bowie (EMI / 東芝)

デビッド・ボウイが星の世界へ帰還されました。

この世での時間は決して長かったとは申せませんが、それでも及ぼした影響力は各方面に多大であり、歴史というよりも記憶や伝説に残り続けるスタアだと思います。

そこで本日は何をメモリアルにしようか悩んだ末、虫の知らせというか、ちょうど手元にあった掲載のシングル盤A面曲「Let's Dance」に致しました。

いゃ~、これはもう、説明不要というか、1983年に発売された同名アルバムからシングルカットされ、全世界規模で爆発的にヒットしたディスコロックの大名曲なんですが、それまでのキャリアを超越する幅広い人気を確立させたという意味においても、まさにデビッド・ボウイの存在証明!?!

もちろん、そんなふうに書かねばならないところに悲喜こもごもがあるのは言わずもがな、しかしそれはそれとして、サンプリングされたベースラインは確かにキャッチーですし、シンプルにしてシャープなギターソロ、さらにはデビッド・ボウイならではの幾分勿体ぶったボーカルの節回しが最高のハイブリットを演じている事は否定出来ません。

実はご存じのとおり、この曲はオシャレ系(?)ファンクバンドのシックを率いていたナイル・ロジャースによってプロデュースされているのが大きなポイントであり、実は予めそれを知っていたサイケおやじは、ここでのギターは、てっきりナイル・ロジャースかと思いきや!?!

その真相は当時全くの無名だったスティーヴィー・レイ・ヴォーンが、そこに登場していたんですねぇ~~♪

今となっては、それも伝説になっていますが、スティーヴィー・レイ・ヴォーンは1982年のモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演中のところをデビッド・ボウイに発見されたとか!?

まあ、それも諸説あるみたいですが、とにかくこの稀代のギタリストを広く世界的に押し出した功績も、決して忘れてはならないでしょう。

実は告白すると、サイケおやじは、この「Let's Dance」をリアルタイムで聴いていた時、全くスティーヴィー・レイ・ヴォーンなんていうギタリストは知らず、後にスティーヴィー・レイ・ヴォーンのデビューアルバムにシビレた時、そのキャリアに接して仰天させられたという、素敵な思い出があるんですよ。

そして本音では、この頃のデビッド・ボウイには、ほとんど興味を抱けなかったわけで、「Let's Dance」という楽曲の上手過ぎる仕上がりの妙は認めざるをえなくとも、そこを彩ったギターの存在そのものについては、ふ~ん、そんなもんか……、という不遜の極みだった気持ちは、いやはやなんとも、額に汗が滲みます。

また、こういう白人ロッカーが演じるファンク系のパフォーマンスにハードロックなギターを入れるという企画は、何もデビッド・ボウイの発明ではないにしろ、「Let's Dance」の大ヒットがそれに拍車をかけた事は間違いなく、我が国でも例えば吉川晃司が1985年頃のライブツアーで、子供バンドのうじきつよし(g) をサポートメンバーに招いていたのも、そのひとつだったと思われます。

うむ、こ~ゆ~温故知新もあるんだなぁ~~♪

ちなみに何故に現在、サイケおやじの手元に掲載の私有盤があったかと言えば、またまた最近になってスティーヴィー・レイ・ヴォーンに惚れ直しているからで、あれやこれやとレコードを引っ張り出している最中にデビッド・ボウイの訃報に接してしまったのも、冒頭に述べたとおりの事情でしょうか……。

きっと未だ辿り着けていない彼岸では、「Let's Dance」の魂のセッションが行われているに違いないと思うばかりです。

また逢える日まで……、合掌。

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