■20才になったら c/w ローリング・ストーンズが鳴ってた / 古井戸 (CBSソニー)
昨日と今日、日本中が成人式なんてもので騒いでいるというよりも、成人式に集う若者が提供する(?)あれやこれや、しかもそれに事件性があれば尚更に嬉しいというマスコミ主導の年中行事には、いやはやなんともの気分に満たされるサイケおやじです。
もちろん新成人としての大人の自覚ってものは、人間社会には絶対的な必要事項だとは思いますが、それにしても激しく(?)着飾って、楽しく騒ぐという祝祭ムードには、本当に世の中の移り変わりを感じてしまうばかりです。
と書いたのも、少なくともサイケおやじの周辺では、リアルタイムの成人式なんてものは、体制側に取り込まれるお仕着せの儀式! という見方が強く、つまりはそんなところノコノコ出席するなんてのは、旧世代への迎合に他ならないという、如何にもロック的な反抗姿勢が当たり前だったんですよ。
そして当然ながら、サイケおやじは、そんな式典には出ていませんので、なにも成人式を某巨大遊園地でやったり、売れっ子タレントを登場させたりする、子供っぽい演出企画にも失笑するばかりですねぇ~~♪
さらに深読みすれば、そこに集っている新成人は選挙権を与えられるわけですから、そういう楽しみを提供した、ありがたぁ~い施主として、選挙で選ばれる首長や議員の先生方がその場に居並び、顔を売るという絶好の機会でありましょう。
そんなふうに思えば、そこで使われる税金についても、何かふっきれないものを感じますが、ただし、それで双方が納得出来れば、あえてツッコミを入れる当事者もいないわけで……。
結局、サイケおやじが嘆いてみても、なんらの問題提起にさえならずですか。
さて、そこで本日は成人式に事寄せて、加奈崎芳太郎とチャボこと仲井戸麗市が組んでいた古井戸が昭和52(1977)年に出した隠れ名曲「20才になったら」をご紹介させていただきます。
ご存じのとおり、古井戸は昭和40年代後半の歌謡フォークブームで売れたデュオで、その空前の大ブームを牽引していた吉田拓郎や泉谷しげる等々と同じく、エレックレコードに所属していた所為もありましょうが、所謂「四畳半」と呼ばれた私小説的フォークソングや軟弱な抒情派フォークの味わいにハードな本音や反抗的姿勢をミックスさせた芸風(?)がありましたから、女性ファンが多かったのは当然であり、また今日の先入観よりもずぅ~っと野郎どものファンがそれなりに存在していたという現実がありましたですね。
で、この「20才になったら」はシングル盤B面曲でありながら、有線放送で流れる事もありましたから、当時かなりの人気があったのでしょう。実際、加奈崎芳太郎が自作自演で歌う、それは恥ずかしながらサイケおやじも否定出来ない、心に滲みるフォークソングの決定版!
そんなに急がないで
越えていくための道は遠い
という一節が、実に琴線に触れてしまうのです。
一方、ついでと言っては失礼千万、メーカーがイチオシのはずのA面曲「ローリング・ストーンズが鳴ってた」は、仲井戸麗市が作詞作曲、そして自ら歌った当時流行りのウエストコーストロック風のラブソングなんですが、歌詞の中の迷い道的煮え切らなさとは相反するような大野雄二のアレンジが賛否両論でしょうか。
う~ん、失礼ながら、せっかくの素敵な曲タイトルが、どうにも真価を発揮しているようには思えません……。
ちなみに仲井戸麗市は、後にストーンズっぽいサウンドにシフトしたRCサクセションに合流したわけですが、その時代に「ローリング・ストーンズが鳴ってた」を歌う事はあったのかなぁ~~~。
等々、本日も不遜な事ばっかり書いてしまい、申し訳ございません。
という事で、新成人だった頃なんて、遥か大昔のサイケおやじにとって、「成人の日」が毎年不定期に変わるという現実そのものに対しても納得していません。
ど~して本日は休みなのか?
という意義が曖昧になってしまう気がしますし、無暗矢鱈に連休を作ってしまう為政者どもの魂胆が、それも選挙の票集めに繋がる思惑みたいな……。
今年に限らず毎年、成人の日は天邪鬼な気分で過ごしています。