OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

すずめに覚醒

2021-08-21 17:48:18 | 歌謡曲

すずめ / 増田けい子 (ワーナーパイオニア)

グループやユニットで大きな人気を掴みながら、そこから諸々の事情で独立・ソロデビューした芸能人が、以前同様の活躍を見せる事の難しさは、あらためて述べるまでもないでしょう。

あくまでも個人的な考察になりますが、そ~なるためには全く違うキャラクターやジャンルを選ぶ必要性は言わずもがな、さらに大変なのが、同じ道筋を踏襲する事であるとすれば、最も成功した例のひとつが、クール・ファイヴから独立した前川清という現実を鑑みても、納得するしかありません。・

さて、そこで本日掲載したのは、ピンク・レディー解散後の昭和56(1981)年11月に発売された「ケイ」改め「増田けい子」がソロシンガーとしての再デビューシングルで、特にA面収録の「すずめ」が大ヒット!

それは作詞作曲:中島みゆき!

という恐るべき(?)制作クレジットも眩しい歌謡フォークのAOR的展開とでも申しましょうか、ちょいと歌詞の世界に意味不明なところがある様にも思えたんですが、ところが増田けい子の歌唱そのものに幾分気持ちが入っていないというか、必要以上の感情移入を意図的に避けている感がある気がするんですねぇ……。

普通であれば、あの中島みゆきの世界を歌うわけですから、力んだり、熱が入っても不思議じゃ~ないと思うんですが、あっさりしているとか、爽やかだとか、そんな感じよりも、極言すれば、表面を撫でただけの歌い方かもしれないなぁ~んて、失礼千万な独断と偏見が…… (^^;

しかし、結果は既に述べたとおりの大ヒットで、彼女は元ピンク・レディーでありながら、それとは別次元のボーカリストとして蘇ったわけですが、ルーツを探れば、後にピンク・レディとなるミーとケイはヤマハ系の音楽スクールに通いながら、歌謡フォークのユニットを組んで、あの「スター誕生」に出演し、素朴な佇まいでポップス歌謡を披露していた事は確固たる真実ですからねぇ~~。

ケイが増田けい子になって、その路線へ帰還したって、何らの不思議も無いはずなんですが、それにしても、一方のミーがピンク・レディーの路線をアダルトっぽく解釈した歌謡ロック~ブラコン系AOR風味の楽曲を歌っていた事を思えば、一概に全てを決めつけるなんてのは、愚の骨頂かもしれません。

もちろん、サイケおやじは当時、ここで言うほど納得はしていなかったんですが、それが覆ったというか、このレコード化されたトラックのカラオケパートは青木望のアレンジが素晴らしい、その完璧な仕上がりに覚醒させられてからは、話が別です (^^;

後で知った事ではありますが、同時期には、この掲載盤の収録両面曲共にカラオケだけを入れたシングル盤が堂々と売り出された現実があるんですから、もう何も言えませんですよ (^^;

ということで、彼女は以降もボーカリストとして主にニューミュージック系の楽曲を歌っていくのですが、それに賛否両論があろうとも、翌年末頃までに吹き込まれた音源には名曲・名唱が多数ありますので、これからも追々にご紹介させていただく所存です。

アルバムが、これまたイイんですよねぇ~~ (^^;

やっぱりピンク・レディーはキワモノでは無かったという思いが、曖昧ながらも沸き上がるのは、我ながら面映ゆい気持ちなのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現状から逃げて、ど~なるものか

2021-08-20 17:25:44 | サイケおやじの日常

本日、千葉真一の訃報に接し、衷心よりご冥福をお祈りいたします。

確かに高齢ではありましたが、まさか……、死因がコロナ感染による肺炎だとはっ!

ワクチン未接種だったという報道もありますが、それよりも、ちゃんとした治療が受けられていたのか……?

同じ状況に陥っている患者だって数知れずという現状の中、口先だけの「お願い」で逃げている為政者どもは、何をしているのでしょうか?

もはや……、感染しても、きちんとした治療が受けられないという現実を確実に国民に伝えるべき時が来ているわけで、そこまで言うのも権力者の役目でありましょう。

また、そ~した現状を伝えるよりは、飲食店や各種業界の苦境ばかりを伝えているマスコミだって、それこそ意味の無い報道ってやつでしょう。

そんな愚痴を報道したって、我々が、ど~することも出来ないのが現在の社会状況でしょう。

そんなことよりも、医療現場の逼迫を偽り無しに伝え、感染したって真っ当な医療行為は受けられないから、自己防衛として感染対策を個人主義でやるしかないという事を広めるほうが、所謂「社会の公器」というジコマン的大義名分を証明出来るってもんでしょう。

あぁ~~、こんな状況は、この先……。何十年も続くと予測するのは、サイケおやじだけでしょうか……。

本日は嘆き節になってしまい、申し訳ございません <(_ _)>

千葉真一の追悼記事は、何れ日をあらためての掲載ということで、ご容赦ください。

失礼致しました <(_ _)>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金沢の雨の思い出

2021-08-19 16:04:52 | 歌謡曲

金沢の雨 / 城之内早苗 (CBSソニー)

城之内早苗は説明不要、あの「おニャン子クラブ(フジテレビ)」出身の演歌歌手というだけで記憶されている感もありますが、今日に至るも息の長い活動を継続しているだけあって、なかなか表現力に個性があるシンガーかもしれません。

しかし、そんな事を書いてしまったサイケおやじにしても、最初は軽く見ていたのが本当のところであり、昭和61(1986)年のソロデビュー曲「あじさい橋」が大ヒットした結果にしても、前述した「おニャン子」の御威光ゆえの事!

なぁ~んて、決め付けていたわけですが、それが……、そ~でもないなぁ~~、と思わされたのが本日掲載のシングル盤A面曲「金沢の雨」でありました。

ただし、これが発売されたのは、これまでも度々述べてきたサイケおやじの島流し期間中だった昭和62(1987)年10月ですから、異郷の地で実際に聴けたのは同年末、故郷から届いた支援物資の中に入っていたカセットコピーの中の1曲だったわけでして (^^;

つまりは、所謂「望郷の念」が作用していたのか……?

と問い質されれば、全否定するのは嘘になりましょう (^^;

なにしろ、その島流しを宣告されたのが同年初頭、ちょうど金沢への出張の最中だったというわけでして、予測はしていたんですが、何も旅先へ連絡してくるこたぁ~~、ないだろぉ……、と無慈悲な境遇を嘆いた記憶は今も鮮明ですからねぇ……。

で、肝心の「金沢の雨」は作詞:秋元康&作編曲:見岳章が提供した、ちょいとモダンな(?)ご当地歌謡という感じで、城之内早苗の歌唱も幾分細い声質による節回しが、如何にも曲想に飲み込まれた(?)雰囲気が濃厚なんですが、中盤以降のジワジワと盛り上げていく感情表現、そして終盤での張詰めた声の使い方は、彼女の歌謡魂が本物という証なんじゃ~ないでしょうか。

まあ、このあたりは既に述べたとおり、サイケおやじの感傷が作用した思いなんでしょうが、気分や環境の変化の中で耳にする音楽ってのも、忘れ難い印象を残してくれるわけでして (^^;

そして帰参が許された7年後、その間の空白を埋めるべく勤しんだ中古屋での猟盤活動においては、優先度も上位の1枚でありました (^^)

また、その過程で知り得た情報によれば、城之内早苗にはメジャーデビュー以前に地元茨城において吹き込んだインディー盤があり、それには寺内タケシが作曲やバックの演奏に関わっているという事ですから、ぜひとも欲しい!

それが叶わずとも、一度は聴いてみたいと願っております。

ということで、人其々に様々な思い出が作られていくのは、生かされている喜びでありましょう。

それを粗末にせず、一期一会の気持ちが心の豊かさに繋がっていくのであれば、そこまで自意識過剰にならずとも、好きなものを追求する言い訳にはなるんじゃ~ないでしょうか?

そんな姑息なことを考えてしまうが、サイケおやじの本性というわけです (^^;

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日は愚痴、ご容赦

2021-08-18 18:05:40 | サイケおやじの日常

リモート会議には、すっかり慣れたはずが、それでもやっぱり、意思の疎通が上手くいかないと思うのは、サイケおやじだけでしょうか?

せっかく用意した資料が、きちんと表示されなかったり、大切なデータが壊れたりして…… (>_<)

結局はモニター画面を前にして、スマホで連絡し、それで話し合っているというテイタラクは、お恥ずかしいかぎりでしょう (>_<)

う~ん、コロナ! 憎し!

おまけに、朝から私用のPCが絶不調で、もしもSSDがイカレていたとしたら、困ったもんですよ (>_<)

明日の風に期待するだけの心境であります (^^;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これが好きだと言える幸せ

2021-08-17 18:00:01 | 歌謡曲

アップル・ドール / カルメン (ブラック / テイチク)

掲載したのは、六本木のオールディズ系ライブハウス「ケントス」に出演していたボーカリストのカルメンが昭和52(1977)年に出したシングル盤でして、このジャケ写の雰囲気からして、彼女はハーフ?

と思いきや、実は昭和47(1972)年から始動した第二期のジャッキー吉川とブルー・コメッツに5年間ほど参加していた佐伯芳江が、その正体です。

もちろん、彼女に日本人以外の血縁があるのか、否かは知る由もありませんが、それはそれとして、ここにA面収録された「アップル・ドール」は作詞:さいとう大三&作曲:小杉保夫から提供された楽しいオールディズ歌謡の決定版 (^^♪

アップテンポでサックスやギターを如何にも「らしく」使った若草恵のアレンジも好ましく、それゆえに男性コーラスを上手く意識したカルメンのボーカルは溌剌としていながら、ソフト&ハスキーな声質を存分に活かした節回しからは程好いセンチメンタルなフィーリングが滲み出て、正にベリィ~グッ!

本気で、何度でも針を落としたくなる衝動が抑えきれませんよ (^^♪

ちなみに前述した第二期のジャッキー吉川とブルー・コメッツは、もちろんジャッキー吉川(ds) と小田啓義(key) の旧メンバーに加えて、姫神じゅん(g,vo)、白鳥健二(b,vo)、ヒロ池ヶ谷(per,ds)、山根宮子(vo)、そして佐伯芳江(vo) だったと思われますが、何故か当時は女性のツインボーカルが流行だったみたいで、例えばピンキーが抜けたキラーズがニューキラーズとして再出発した時も、女性のツインボーカルを前面に出していましたし、ベンチャーズでさえも、巡業ステージでは、幾人かの女性ボーカリストをペアにして起用していたという事を付け加えておきます。

閑話休題。

しかし、結局は彼女もメジャーなブレイクは叶わなかった様で、むしろ今となっては昭和55(1980)年、芦原由季と改名して出したシングル曲「クロース・トゥ・ユー」が、エルビス・コステロの某曲を焼き直した、所謂ニューウェイヴ歌謡の裏傑作として、そっち方面のマニアには絶大な人気があるそうですよ (^^;

一応、サイケおやじも件のシングル盤は所有しておりますが、そこまでの不愛想な歌いっぷりよりは、この「アップル・ドール」に聴かれる仄かな胸キュンフィーリングを好むのは、言わずもがなであります (^^ゞ

ということで、あまりにもマニアック過ぎるかもしれませんが、彼女の残した音源も、レーベルを超えて集成されたら、絶対に面白いと思うんですけどねぇ~~、いかがなものでしょう。

そんな思いが関係者各位に伝わる事を願いつつ、この拙文を書いているのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最終列車のマーガレット・ポー

2021-08-16 18:08:42 | 歌謡曲

空の終列車 '80 / マーガレット・ポー (東芝)

全くの独断と偏見ではありますが、エレキインストの魅力は歌謡曲メロディでも活きるという自説に拘るサイケおやじですから、そ~ゆ~レコードにはノー文句で惹きつけられるわけでして、マーガレット・ポーが昭和54(1979)年末に出した本日掲載のシングル盤も、そのとおりの1枚でありました。

なにしろA面に収録されているのが、スプートニクスの代表的なヒット曲のひとつである「空の終列車 / Le Dernier Train De L’espace」に日本語の歌詞を附したという、好きな人には好きとしか言えない企画ですからねぇ~~ (^^♪

つまり、サイケおやじはもちろんの事、エレキブーム真っ盛りの時代に強い影響を与えられたテケテケシビレ者にとっては、台湾からの出稼ぎシンガーだったマーガレット・ポーが、あえてベンチャーズではないエレキ歌謡をやってくれたっ!

というだけで、それでブレイクした欧陽菲菲とは絶対に異なる魅力を発散させているものと信じさせられてしまうわけですよ (^^ゞ

しかし、こここでは、そこへ「'80」と注釈(?)が付けられているのが大きなミソ!?

ですから、あらためて制作クレジットを確認すれば、作曲は当然ながら、Albert Raisner と記載されておりますが、作詞は林春生、そして編曲は高田弘ということで、見事なまでのファンキー歌謡に変換されているんですねぇ~~、と書きたいところなんですが、弾みまくったリズム隊と高揚感に溢れたコーラスに彩られたアップテンポの演奏パートに比して、マーガレット・ポーの節回しが爽やか過ぎるというか…… (^^;

もちろん、要所でシンドラが鳴り響いたり、80年代の入り口に相応しいギターやキーボードの存在感にはウキウキさせられる楽しさが満ちていますから、思わずニヤリとさせられてしまうのは、偽りのない気持ちなんですよ。

でもねぇ~~、基本的にスプートニクスは透明感と哀愁が魅力の北欧エレキサウンドがウリだったんですから、マーガレット・ポーの清涼感いっぱいのボーカルを活かすのであれば、もっと原曲のイメージを大切にして欲しかったという本音をサイケおやじは隠せません。

こんなに不必要なエコーって、邪道じゃ~なかろうか…… (>_<)

と、思うほどなんですよ……。

ところが、それでも、この1枚は愛おしいんですよ (^^;

だって、おそらくは日本における、マーガレット・ポーのラストシングルだと思われますからねぇ~~。

そのあたりの天邪鬼な心情、皆様にご理解いただければ幸いでございます。

ということで、何かと沈みがちな世相には、好きなものに対する拘りが大切なんじゃ~ないかっ!?

そんなこんなの確信を抱くのも、暗い時代を生き抜く論法かと思うばかりなのでした。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何処をさすらう小沢深雪

2021-08-15 17:07:44 | 歌謡曲

さすらいの唄 / 小沢深雪 (キャニオン)

掲載したのは昭和50(1975)年にテレビドラマの人気シリーズ「必殺必中仕事屋稼業(TBS~NET)」の主題歌としてヒットした「さすらいの唄」をA面に入れた、これが小沢深雪のデビュー作と思われるシングル盤なんですが、覚えていらっしゃるでしょうか?

結論から述べさせていただきますが、彼女は平尾昌晃の愛弟子として、16歳で公式デビューし、サイケおやじが知る限りでは、2枚ほどのシングル盤を出した後、平尾昌晃との結婚から引退されてしまったわけで……。

この「さすらいの唄」にしても、当然ながら作曲は平尾昌晃ですし、作詞:片桐和子&編曲:竜崎孝路という優れたスタッフが脇を固めていますから、仕上がりが秀逸だったのも、当然が必然でした。

それはソプラノサックスと哀切のコーラスによる如何にものイントロから、裏社会のダーティヒーローが活躍する「必殺シリーズ」に相応しいハードボイルドな歌謡曲であり、芯の強いビートが効いたミディアムテンポの曲調には、ハッとさせられるストリングスがみっちりと使われ、何よりも魅力的なのは演歌調のコブシとロックっぽい節回しを並立させて歌う小沢深雪の声質のせつなさなんですねぇ~~♪

その微妙に幼さが残るフィーリングは、決してロリータボイスではなく、むしろ青春の儚さを滲ませるが如き味わいには、我知らず胸キュンですよ (^^♪

捨て鉢な未練が綴られた歌詞の世界との相性も抜群だと思います ♪♪~♪

そして、もちろん、ジャケ写ポートレートを裏切らないイメージに魅せられてしまうわけですよ (^^♪

しかし、既に述べたとおり、彼女は所謂「お手が付いた」ということでしょうか、平尾昌晃の再婚相手となり、引退されたのが全く残念と思うファンは数知れなかったと思うんですが、如何なものでしょう。

そ~して月日が流れた平成29(2017)年、平尾昌晃の逝去から、莫大な遺産相続問題を巡って、突如として小沢深雪の名前が再びマスコミに取り上げられ、それは彼女の実子である平尾勇気が、再再婚相手とされる故人の事務所社長の女性と裁判沙汰となった時で、なんとっ!

小沢深雪はニューヨーク在住!?

と報じられたんですから、クリビツテンギョウでしたねぇ~~!?

それが真実か、否かは知る由もありませんが、とにかく彼女は何時の間にか平尾昌晃と離婚していたというのは、間違いないというわけで……。

そんなこんなから、サイケおやじは、ますます小沢深雪が歌う「さすらいの唄」が好きになりました。

とにかく、ここに書き記すことは諸事情から出来ませんが、その歌詞の世界はジャストミートの運命のいたずら!?

なぁ~んて、思い込んでしまうほどです。

う~ん、今でも歌っていて欲しいですねぇ~~、彼女には。

ということで、本日は大雨、自室で鳴らす「さすらいの唄」に身も心も惹きつけられているのでした。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松尾久美子に判官贔屓

2021-08-14 17:16:36 | 歌謡曲

メモワール / 松尾久美子 (FOR LIFE)

掲載したのは昭和58(1983)年3月に発売された松尾久美子のデビュー作となったシングル盤なんですが、何と言ってもモノクロのポートレートを用いたジャケ写スリーブに登場している彼女の面立ちにグッと惹きつけられます ♪

それは言うまでもなく、女の子アイドルのブームが真っ盛りだった当時ですから、そんな彼女達のレコードには華やかな色使いが定番であったところを逆手に活かした仕様であり、発売会社が、あの(?)フォーライフ・レコードだったというあたりが、如何にも「らしい」と言えば、それまでなんですが (^^;

また、肝心の収録A面曲「メモワール」の制作クレジットを確認すれば、作詞:松本隆&作曲:吉田拓郎、そして編曲:瀬尾一三という、歌謡フォーク界ならではの豪華(?)なソングライター陣が、これまた「らしい」と思いますねぇ~~。

というのも、説明不要とは思いますが、フォーライフ・レコードという会社はフォーク系シンガーソングライターの大物達が集まって設立されたわけで、だからこそ芸能界の既存レーベルとは異なった特色を打ち出していくはずが、何時しか業績の不振等々もあっての内部分裂……。

そんなこんなから、歌謡曲やアイドル部門にも手を広げざるを得ない現実が、これまた悪循環となったのでしょう、所謂「どん底」状態にあったのが、この松尾久美子がデビューした時期と重なっていたのは、今や歴史でしょう。

それゆえに、社長を降りた吉田拓郎も、必死だったのかもしれず、だからこそ、その「モメワール」という楽曲メロディが十八番のフシに満ちているのも、納得されるんじゃ~ないでしょうか?

ところが……、松本隆の綴った歌詞の世界がイマイチ、アイドルには意味不明と申しましょうか、聊か抽象的な表現が目立つ様にサイケおやじには思えてしまいますし、失礼ながら、松尾久美子の歌唱力も、それについていけない実情が散見され……。

ちょいと勿体ない結果になったのは、現実の厳しさでしょうか。

しかし、松尾久美子のアイドルとしての資質は、なかなか良かったと思うんですよねぇ~~。

正直、彼女には、もっと分かり易いアイドルソングを与えて欲しかったと思うのは、サイケおやじだけでしょうか?

そんな思いがあるもんですから、松尾久美子には妙に肩入れしたくなってしまうんですよ (^^ゞ

ということで、どうにか彼女が残してくれたシングル盤も4枚、おそらくはコンプリートで集める事が出来ましたので、追々にご紹介させていただく所存です。

最後になりましたが、今年もまた……、豪雨災害が発生し、加えて終息の見込みが全く見えないコロナ禍が我々を苦しめているのは、せつなくなります。

そして、皆様からの連日の応援にも、感謝!

求める幸福の形は十人十色ではありますが、この世の安寧を心から願っているのでした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不要不急は、ど~やって判断するの……?

2021-08-13 17:36:26 | サイケおやじの日常

云々、思わず問い質したくなったのが、本日のサイケおやじの偽りのない心境です。

なにしろ……、朝っぱらから仕事の縺れの電話連絡、お盆で菩提寺に出掛けるという毎年の行事、買い出しが続けてあって、ついには愛車の不調、スマホのバッテリーが、これまた不調……。

そんなこんなが積み重なって、届いた宅急便が誤配だったり、もはや何から片付けていいのか、混乱しまくりの1日が、まだまだ続きそうな気配です (>_<)

ということで、本日は……、これから出かけますよ、各方面へ!

明日は、何か……、ご紹介しますね。

失礼致しました (__)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻沢杏子はクールで熱い!

2021-08-12 18:54:28 | 歌謡曲

胸さわぎ c/w 私のかなしみ / 辻沢杏子 (東芝)

俳優が歌手としてレコードを出すのが普通だった「昭和」という時代、殊更アイドル業界においては、それ無くしては芸能界のトップにはなれない!?

みたいな認識が一般社会にもありましたから、女の子アイドルがテレビドラマや映画に出演し、歌と演技の両方で輝いてみせるというのが、ひとつの方程式でありました。

本日の主役たる辻沢杏子も、そ~したアイドルの典型であり、最初は子役からスタートした女優でありながら、女の子アイドルがブームの頂点にあった昭和59(1984)年には本格的なアイドルシンガーとして、長山洋子荻野目洋子と同列に注目された存在でありました。

ただし、結果的に彼女は、やはり女優としての魅力が勝っていたという事でしょうか、大きなヒットは出せず、逆に映画やテレビドラマでは売れっ子になっていき、クールな雰囲気と裏腹に情熱的な演技も強い印象を残しているというところは、皆様ご存知のとおりです。

中でも、アイドルとしてのイメージが消えやらぬ昭和61(1986)年、東映のエロス大作として大いに喧伝された「大奥十八景(鈴木則文監督)」における鮮烈なヌードや濡れ場等々は爆発的な話題となりましたですねぇ~~ (^^♪

実際、この作品は成人指定ということで、アイドル時代からのファンにとっては、ひとつの踏み絵とまで云われていたほどですから (^^;

そして以降、ますます女優としての輝きは増すばかりだったんですが、しかし歌手として出したレコードが凡作ばかりだったはずもありません。

例えば昭和60(1985)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「胸さわぎ」は、作詞:安井かずみ&作曲:筒美京平からの提供なんですが、オンタイムでは幾分古い曲想が、あれぇ~?

これって、どっかで……?

という既視感を覚えるのも道理で、実は昭和50(1975)年に小林麻美に書いた「アパートの鍵」の歌詞と曲タイトルを変えたものだったのが、真相なんですねぇ~~!?!

また、それを温故知新のアレンジで纏め上げた若草恵も、流石に冴えていると思います。

しかも、ご丁寧(?)な事に、同じソングライタートリオのクレジットがあるB面曲「私のかなしみ」が、これまた小林麻美が昭和50(1975)年に前述「アパートの鍵」に続けて出したシングル盤のA面収録曲なんですから、たまりません (^^♪

いゃ~~、告白すればサイケおやじの密かな愛聴盤になっているんですよ、この辻沢杏子の掲載盤はっ!

以下は全くのサイケおやじの独断と偏見ではありますが、流石の御大・筒美京平も、昭和50年代末頃からは幾分ハズし気味の作品も散見され、それゆえに女の子アイドルには往年の名曲をカバーさせる手立てが目立っていた様に思っているんですが、これは小林麻美の裏名曲(?)を見事に復活させた隠れ傑作じゃ~ないでしょうか。

何よりも辻沢杏子のクールで熱い歌いっぷりが最高で、ある意味、これだって歌謡ロックですよねぇ~~~!

また、B面「私のかなしみ」の芝居っ気のある節回しも、ニクイばかり ♪♪~♪

ということで、辻沢杏子は婚約~結婚~再婚があって、芸能活動は中断ばかりしていたというか、一説には玉の輿に乗りまくっているというイメージがあるんで、なかなかアイドルシンガー時代が忘れられてしまったんでしょうか……?

今一度、辻沢杏子の歌が聴きたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする