◆韓国出身戦没者遺骨返還追悼式◆(ルポライター 星徹 週刊金曜日 2月1日号 金曜アンテナより)
東京都目黒区の祐天寺で1月22日、韓国出身戦没者還送遺骨追悼式が厚生労働省主催で行われ韓国人遺族50人が参加した。
太平洋戦争中に朝鮮半島から旧日本軍の軍人・軍属として徴用されて戦死・戦病死した22,205人(厚労省調べ)のうち祐天寺には1,135人分の遺骨(浮島丸事件の非軍人軍属犠牲者を含む)が保管されている。
そのうち韓国側調査により身元が判明した288人分の中で、今回は101人分の返還が決まり、その遺族らが来日した。・・・・・
正面祭壇には、白い布で覆われた骨壺入りの木箱が13個(101柱)が並べられ・・・・・「遺骨」は個人別のものではなく、多くの犠牲者のものが混在している。・・・・・
黙とうが終わると、報道陣は会場から締め出された。日本の外務省・厚労省と韓国政府側との協議の結果だが、ある関係者によると「日本の外務省の意向が大きかった」という。
会場外の小さなスピーカーからは聞き取れないような小音量で式場内の音声が伝えられ、映像情報はなかった。
日本政府からは、厚生労働副大臣が「哀悼の念」を述べ゛外務副大臣は「1998年の日韓共同宣言を引用し、植民地支配の「歴史的事実を謙虚に受け止め」「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した。・・・・・・
日本は日中戦争・太平洋戦争の期間「募集」「官斡旋」「徴用」と言う形で内地企業への朝鮮人「強制連行」の度を強め、44年からは徴兵制も適用した。そのため、多数の朝鮮人が非業の死を遂げ、多くの遺骨は異国の地に残されたままだ。・・・・・
日本はかって朝鮮半島を植民地支配し、そこで暮らす人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。日本政府は自国の「負の歴史」を国民の目から遠ざけることなく、事実を明確に示し、「過去の克服」の在り方を国民とともに模索する必要があるのではないか。
東京都目黒区の祐天寺で1月22日、韓国出身戦没者還送遺骨追悼式が厚生労働省主催で行われ韓国人遺族50人が参加した。
太平洋戦争中に朝鮮半島から旧日本軍の軍人・軍属として徴用されて戦死・戦病死した22,205人(厚労省調べ)のうち祐天寺には1,135人分の遺骨(浮島丸事件の非軍人軍属犠牲者を含む)が保管されている。
そのうち韓国側調査により身元が判明した288人分の中で、今回は101人分の返還が決まり、その遺族らが来日した。・・・・・
正面祭壇には、白い布で覆われた骨壺入りの木箱が13個(101柱)が並べられ・・・・・「遺骨」は個人別のものではなく、多くの犠牲者のものが混在している。・・・・・
黙とうが終わると、報道陣は会場から締め出された。日本の外務省・厚労省と韓国政府側との協議の結果だが、ある関係者によると「日本の外務省の意向が大きかった」という。
会場外の小さなスピーカーからは聞き取れないような小音量で式場内の音声が伝えられ、映像情報はなかった。
日本政府からは、厚生労働副大臣が「哀悼の念」を述べ゛外務副大臣は「1998年の日韓共同宣言を引用し、植民地支配の「歴史的事実を謙虚に受け止め」「痛切な反省と心からのお詫び」を表明した。・・・・・・
日本は日中戦争・太平洋戦争の期間「募集」「官斡旋」「徴用」と言う形で内地企業への朝鮮人「強制連行」の度を強め、44年からは徴兵制も適用した。そのため、多数の朝鮮人が非業の死を遂げ、多くの遺骨は異国の地に残されたままだ。・・・・・
日本はかって朝鮮半島を植民地支配し、そこで暮らす人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。日本政府は自国の「負の歴史」を国民の目から遠ざけることなく、事実を明確に示し、「過去の克服」の在り方を国民とともに模索する必要があるのではないか。