今度の五輪チームは強い。本当に強いチームだと思う。昨日のオーストラリア戦。敵監督のゲーム後寸評をよーく理解すれば分かる。こう述べたのだ。
「日本は(五輪でも)高い所まで行くのでは」
「高い所」とは? ベスト8なんかではそうは言わない。ベスト4か2か? とにかく強いチームと語ったのである。
ちょっと前にこのチームがあのオランダと好ゲームを演じたときは、ヨーロッパ崇拝の日本評論家たちはこう語ったものだ。「オランダ戦は相手に名選手たちが不在だった」と。
この批評は、はっきり言って程度の低いものだ。考えてもみて欲しい。日本の昨日の選手たちに対して、青山(清水)とか、梅崎(浦和)とかが入れ替わったチームが、そんなに力が落ちるか? 西欧崇拝もいい加減にしろと言いたい。この日本チームはあのオランダの若手たちと同等の力を持っているのである。しかもオランダと戦った当時よりもさらに力が付いている。すばらしいことではないか。
オシム・スタイルの実に良いチームを、反町監督は造ったものだと思う。流石、オシムを我が父とも思うと語る反町だ。憧れは力を伸ばすものだと、そういうことだろう。
このチーム、第1に、ボール保持率が高い。敵ボールを非常に上手く奪い、味方ボールは敵に取られずに前へ運ぶ。これはオシムサッカーが教えた第1の長所である。代表以上にこの点が上手な、オシムスタイルそのもののチームなのである。
さらに第2に、A代表の最大欠陥がないという長所もある。「決定的な時に、ゴール前に多数が詰めている」という長所を有するに至った。最初の得点などは、その典型だ。
内田の右からの低くて速いクロス。まず李がこれを股を開いてスルー。李曰く「森本が後ろに入るのが見えたので」。そのボールを敵と競り合った森本がヒールでバックパス? 次の香川はドフリーでこのボールに触って、得点。この光景描写の締めくくりを毎日新聞はこう書いていた。
「内田が顔を上げた瞬間、他の3人が連動して動いて生まれたゴール」
そう、この決定的なときにゴール前に皆がゴールに詰め、そこに3人もいて、彼らが「連動して動いて」!!
現代サッカーゲームでこのことより大切なことはないのである。そしてこれが、意外に難しいことなのだ。実力伯仲なら、得点が動くのは後半の後半。疲れてもいるこの時間帯に、前の全員が絶えずゴールに全力疾走で詰め続けること。「無駄かも知れない」と思いつつも、ちょっとの兆候を感じ取ってはゴールに走ること。これが実は至難の業なのである。
なんせサッカーは1ゲームで10数キロも走る。それも非常に疲れる10メートルダッシュを無数に交えてのことなのだ。もっと後に良い場面が来るかも知れないから走力を温存しておこうなどと考えたら、もうこんなことはできはしない。
2点目の岡崎の得点も、周囲に何人かが詰めていたという残像が僕の脳裏にもはっきりと残っている。
それにしても、岡崎のあのヘッド得点は神業に近い。「わずかに頭右にかすらせて、右かなり後方斜めのゴールポストぎりぎりに入れる」などという神業!! 玉突きゲームを比喩に使えば、「もの凄く『薄い』かすり玉」だったのである。流石に名FW長谷川健太の弟子だけのことはあると言いたい。あれが全て意識的なプレーであるとしたら、彼はもっともっと伸びるだろう。「あんなことまで練習しているのだから」というわけである。そして僕の判断では、あれは全て計算された、意識的なプレーであったと考えているのである。
さて、次の壮行ゲームは29日、アルゼンチンだ。去年10月からこの6月まで世界1位の国である。アルゼンチンの「奇跡のドリブラー・リケルメ」もオーバーエージで出場するだろう。日本の評論家たちのこんな声が聞こえてきそうだ。「勝てるわけはない」と。この世代なら僕はそうは思わない。アルゼンチンの得意技ワンツーや、ドリブルには多少は苦しむだろうが、勝負全体は互角と観る。勝敗はディテール(実力勝負の基本線の所ではなくて、枝葉、偶然の所というサッカー用語)で決するだろう、とも。
「日本は(五輪でも)高い所まで行くのでは」
「高い所」とは? ベスト8なんかではそうは言わない。ベスト4か2か? とにかく強いチームと語ったのである。
ちょっと前にこのチームがあのオランダと好ゲームを演じたときは、ヨーロッパ崇拝の日本評論家たちはこう語ったものだ。「オランダ戦は相手に名選手たちが不在だった」と。
この批評は、はっきり言って程度の低いものだ。考えてもみて欲しい。日本の昨日の選手たちに対して、青山(清水)とか、梅崎(浦和)とかが入れ替わったチームが、そんなに力が落ちるか? 西欧崇拝もいい加減にしろと言いたい。この日本チームはあのオランダの若手たちと同等の力を持っているのである。しかもオランダと戦った当時よりもさらに力が付いている。すばらしいことではないか。
オシム・スタイルの実に良いチームを、反町監督は造ったものだと思う。流石、オシムを我が父とも思うと語る反町だ。憧れは力を伸ばすものだと、そういうことだろう。
このチーム、第1に、ボール保持率が高い。敵ボールを非常に上手く奪い、味方ボールは敵に取られずに前へ運ぶ。これはオシムサッカーが教えた第1の長所である。代表以上にこの点が上手な、オシムスタイルそのもののチームなのである。
さらに第2に、A代表の最大欠陥がないという長所もある。「決定的な時に、ゴール前に多数が詰めている」という長所を有するに至った。最初の得点などは、その典型だ。
内田の右からの低くて速いクロス。まず李がこれを股を開いてスルー。李曰く「森本が後ろに入るのが見えたので」。そのボールを敵と競り合った森本がヒールでバックパス? 次の香川はドフリーでこのボールに触って、得点。この光景描写の締めくくりを毎日新聞はこう書いていた。
「内田が顔を上げた瞬間、他の3人が連動して動いて生まれたゴール」
そう、この決定的なときにゴール前に皆がゴールに詰め、そこに3人もいて、彼らが「連動して動いて」!!
現代サッカーゲームでこのことより大切なことはないのである。そしてこれが、意外に難しいことなのだ。実力伯仲なら、得点が動くのは後半の後半。疲れてもいるこの時間帯に、前の全員が絶えずゴールに全力疾走で詰め続けること。「無駄かも知れない」と思いつつも、ちょっとの兆候を感じ取ってはゴールに走ること。これが実は至難の業なのである。
なんせサッカーは1ゲームで10数キロも走る。それも非常に疲れる10メートルダッシュを無数に交えてのことなのだ。もっと後に良い場面が来るかも知れないから走力を温存しておこうなどと考えたら、もうこんなことはできはしない。
2点目の岡崎の得点も、周囲に何人かが詰めていたという残像が僕の脳裏にもはっきりと残っている。
それにしても、岡崎のあのヘッド得点は神業に近い。「わずかに頭右にかすらせて、右かなり後方斜めのゴールポストぎりぎりに入れる」などという神業!! 玉突きゲームを比喩に使えば、「もの凄く『薄い』かすり玉」だったのである。流石に名FW長谷川健太の弟子だけのことはあると言いたい。あれが全て意識的なプレーであるとしたら、彼はもっともっと伸びるだろう。「あんなことまで練習しているのだから」というわけである。そして僕の判断では、あれは全て計算された、意識的なプレーであったと考えているのである。
さて、次の壮行ゲームは29日、アルゼンチンだ。去年10月からこの6月まで世界1位の国である。アルゼンチンの「奇跡のドリブラー・リケルメ」もオーバーエージで出場するだろう。日本の評論家たちのこんな声が聞こえてきそうだ。「勝てるわけはない」と。この世代なら僕はそうは思わない。アルゼンチンの得意技ワンツーや、ドリブルには多少は苦しむだろうが、勝負全体は互角と観る。勝敗はディテール(実力勝負の基本線の所ではなくて、枝葉、偶然の所というサッカー用語)で決するだろう、とも。