前編と同様に、北朝鮮の核保有を米国が認めたという現実を直視し、そこから日本の安全保障政策はどうあるべきか、日本外交はどうあるべきか、について考えることとする。
日本政府は、そこから日本の外交を再出発させるべきである。
おそらく、日本の政治家も官僚も、それでも、いや、こういう時期だからこそ、日米信頼関係をゆるぎないものにしていかなければならない、と繰り返すであろう。
しかし、北朝鮮の核保有さえも認めるに至った米国を信じ続けて対米従属外交を続けていく事は日本外交を今度こそ完全に放棄するということだ。
米国不信を抱きながら、それでも対米従属を続けていくことは、もっと惨めな自主外交の放棄である。いずれにしても、何があっても米国に文句は言わない、ということである。
そこまで覚悟して日本の政治家や官僚が対米従属外交を続けていくのであれば、そしてそれを国民が受け入れるのであれば、もはや議論を続ける必要はない。
だからここからは、ここまで日本を軽視する米国に頼り続けることなく、今こそ、自主・自立した外交を取り戻すべきだ、という立場から議論を続ける事になる。
対米自立外交を主張するということは、同時に米国に依存しない日本独自の安全保障政策を確立するということである。
そして日本独自の安全保障政策を確立するという事は、突き詰めれば、憲法9条をあらため軍事力を強化して日本を守るという方向と、憲法9条を維持し、専守防衛の自衛隊と外交力をもって平和を確保するという二つの方向のいづれかを選ぶという究極の選択の問題である。
このうち、軍事力を強化して自国を守る場合は、核兵器を保有し、ミサイル攻撃能力、ミサイル防衛能力を強化するところまで行き着かないと軍事力による安全保障は確保できない。中途半端な軍事力ではかえって不安となり、戦争の危険さが高まる。
しかし日本が核武装をするということは、米国がまずこれを認めないであろうし、すべての核保有国、さらには世界中の国に警戒心を抱かせることになる。日本は孤立する。
おまけにミサイル戦争とも言われる現代の戦争が起きれば、どのように軍事力を高めようとも、日本が受ける被害は深刻である。つまり日本はその被害の大きさと軍事的脆弱性(バルネラビリティ)を考えれば、もはや戦争の出来ない国になってしまっているのだ。
しかも日本の財政状況を考えれば、軍事力増強に予算を使う余裕はもはやない。戦争で国が滅びる前に、経済的に国民生活が滅びることになる。
そう考えたとき、憲法9条を積極的に掲げて、外交力で日本の安全保障を確保することが唯一、最善の方策であることがわかる。
日本から米軍基地をなくし、専守防衛の自衛隊の能力を作り直すとともに、憲法9条を掲げて、攻撃しない、攻撃させない、事を世界に宣言する。
これこそが日本が目指す安全保障政策であり、自立した平和外交である。
もう一つ、北朝鮮に核保有を許した米国に対し、これからは地球上から核兵器を全廃する事を提案するのである。現にテロ組織に核兵器がわたる事をおそれた米国の内部から、核兵器全廃の提言がなされ始めた(キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナン共同提案)
それを契機に核兵器の全廃を本気で提唱していくのだ。
さもなければ北朝鮮につぐ核保有国が中東に現れ、気がつけば核のない日本の発言力がますます小さくなることになる。
日本政府がなすべきことは、今回の米国の北朝鮮外交をいたずらに批判し、嘆くよりは、これを奇禍として自主外交を取り戻し、核兵器全廃の指導力を発揮することである。
それぐらいの発想の転換と外交力がない限り、日本はますます世界の中で埋没していくことになる。