九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「メディアの憲法報道を問う」  飯室勝彦氏 東海放送人九条の会の記念講演会から

2009年10月15日 22時09分38秒 | Weblog
★東海放送人九条の会の2周年記念(昨年の十一月)に、中京大学教授で、中日新聞論説委員でもある飯室勝彦氏を迎え、「メディアの憲法報道を問う」という記念講演がありました。会のHPでそれを拝見し大変に興味深く読ませてもらいました。読者の皆様にぜひ紹介したいと連載掲載したいと思います。 (まもる)
        
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 「メディアの憲法報道を問う」①  飯室勝彦氏

自己紹介を簡単に申し上げます。私は中日新聞に入社しまして38年間中日新聞の記者をやっておりました。記者として取材対象にしたのは裁判が比較的長かったんですが、最後は論説委員として12年ぐらい社説を書いておりました。今本業の方は中京大学で、こそばゆいんですが、一応教授として学生の相手をしております。
メディアの方の仕事は従でございまして、時に、私が書くべきだと社の論説の責任者が思ったテーマを書かしてもらうということでございます。ですから皆様方のなかにも中日新聞の社説をお読みになって、時に腹をお立てになったり、或いは共感を得られた方の文章の中に私が担当したものがあるかもしれません。
どっちの反応にしましても、新聞社およびライターにとっては非常に励みになるものでして、今後もどんどん手紙、メールなどで新聞社に感想をお寄せいただきたいと思います。
新聞社の中にいると見えないものが外にいると見えてくるという部分もあるんですね。自己批判を込めて今の報道に少し私の考えをご披露させていただきたいと思います。

「改憲熱は下がったのか」

導入部として新聞記事の話から入ります。今年の5月2日、朝日新聞の二面の時時刻刻という欄に「政界、改憲熱 今は昔」という記事が載りました。時時刻刻というのはその時々の一番大きな話題を解説を交えて掘り下げる欄なんですが、「政界、改憲熱 今は昔」というメインタイトルで「首相抑制、民主も乗らず」という見出しがついています。
首相というのはこのころは福田さんでした。要旨を簡単に言いますと、憲法改正の国民投票法案は成立したが、憲法審査会は未だ国会に出来ていない。当時の福田康夫首相は安倍さんと違って改憲ということを全然口にしなくなった。民主党もいまや政権を取ることに必死で憲法には全然関心がなさそうだ、という記事です。
福田さんは改憲のことを何も言わないまま政権を放り出し、いま麻生さんですね。麻生さんも経済問題の対応に追われて憲法改正ということは何も言いません。本来なら麻生さんも安倍さんと同じぐらい改憲意見のはずなんですが何にも言いません。
民主党の方も政権が取れるかもしれないと言うことで憲法にあまり関心を示さない。
とすると5月の朝日新聞の「政界、改憲熱 今は昔」という記事は正しかったのかなぁと思われるかもしれませんが、僕の見方はまったく違います。この記事を読んだときから、そんなことはないぞ、いま熱が下がったように見えるだけで、政界の改憲熱は相変わらず高いよというのが僕の意識でした。
この見方は甘いんじゃないのと思っていた矢先に、田母神論文問題なんですね。航空自衛隊のトップが侵略戦争を美化して、憲法改正すべきだということまで言い出した。
これは僕にしてみれば「やっぱりなぁ、それ見ろ」という感じだったんです。だって、その前後の選挙を見てますと、とても政界の、或いは国民一般の雰囲気が変わったとも思われないんですね。確かに参議院選では自民党を大敗させました。ですから今やとても三分の二なんて取れませんから憲法改正なんてことは言い出せない雰囲気になっていますが、その前の衆議院選では自民党を大勝させています。
そうしてみると、憲法を守る運動が拡がっているのは事実なんだが、その運動とは関係のないところでは、もっと風のようなもの、吹いてくる風のようなものが動かしているんではないか。ですから僕はいつも別の風が吹いてくると怖いなぁと思ってたんです。そういう時に、あの論文が出て来たわけです。ですからあれは、今新聞で扱われている以上にタイヘンな問題だと思っています。ゾッとしています。あれは形を変えた二二・六事件ではないか、という気がしています。
二二・六事件は言ってみれば政治のやり方が気に入らないと言って、軍の指導者たちがクーデターを起こそうとした事件ですね。
あの論文そのものは、あれで3百万円くれれば美味しいなぁという論文です。インターネットでアパグループというページを呼出しますとそこに論文の発表というウェブがありますから、そこで全文引き出せます。

「田母神論文の背景に眼を」

報道で一般的に言われていることは、あの論文は「政府見解と異なることを書いた」ということですが、もっと判りやすく言えばあの侵略戦争を美化し、正当化して、ねじ曲げた歴史の事実の上に日本の立場を組み立てている論文です。
ですから、表面的には「政府見解と異なることを自衛隊のトップが言っている」ということです。これ自体も問題です。政府にきちんと従って、政府の統制に従わなければならない人間が、統制に従わなかったんですからそれ自体問題ですけれども、しかし背景にはもっと重大な問題があるのではないか。第一にあのような人物をトップにした政治の責任という問題があります。任命したのは安倍内閣です。
あの人は隊内の雑誌などにあのようなことを書いてきていますし、発言もしているんですね。それを承知のうえで政府はトップにした。彼があの論文を発表出来たというのは、発表出来る雰囲気が自衛隊内にあったんじゃないでしょうか。これ発表したら「俺えらい目に遭うなぁ」ということを意識してたら、あんな論文を発表しないと思います。だから発表出来ると少なくとも彼が受け止める雰囲気があったんではないか。
三番目は自衛隊の航空幕僚幹部の教育部長とか教育課長という人が論文の募集に応募するよう隊員に働き掛けたという事実ですね。それに応じた人も、或いは自分で独自に出した人もいるんでしょうが、とにかく百人近い人が論文の募集に応募した。これは自衛隊の人事教育部が、隊員の教養を高めるためだ、教養教育のためだと言っているんですが、もっと別のテーマの論文募集だったら、それに応募するように勧めたでしょうか。そこは僕は疑問だと思っています。更に言えばそれに応じて百人もの人が応募する雰囲気があった。もっと問題なのは新聞の伝えるところによると、田母神さんの行動を擁護する声が自衛隊員のなかにも、自民党の国会議員にもあるということですね。自民党の外交国防部会では田母神さん擁護の声がしきりで、辞めさせたことに対する怒りがたくさん出たというくらいですから。
自衛隊の中に政府の見解や方針に不満を抱くグループが存在してきているのかなぁ――そういう「ゾッ」という感じなんですね。だとしたらこれはもう、単なる田母神さんの暴走では済まない問題なんだろうと、政府のコントロールがまったく効いていないおそれがあるということを考えましてゾッとしたんです。ですから結論を言ってしまうと、あれは田母神さんという特異なキャラクターの人が暴走したということで片づけるんではなくて、文民統制という憲法原理が揺らいでいるという捉え方をしないと正しくないのではないか、というのが僕の見方です。

「憲法の文民統制に違反した行為」

じつは、今回の報道では僕自身もちょっと物足りなさを感じます。新聞もテレビもあの報道の初動はよかったと思います。立ち上がりは鋭かったと思います。きっかけは、アパグループが問題になることには気づかないでニュースリリースを自慢げに防衛省の記者クラブに持ってきたというところにあるんですね。防衛省にいた記者たちはそれを見て、これは問題だと言って動き出して当日のあの記事になった。その初動を僕は、非常に立ち上がりは良かったと思って、さすがだなぁと思ってます。
ただ、ちょっとまだ踏み込みが浅いんじゃないかと言ったのは、先ほど私が申し上げた「政府見解と異なることを書いた」ということに眼を奪われすぎて、その言葉が盛んにニュースのなかに出てくるんですが、それは文民統制に反しているんだという集約の仕方が非常に弱かったんです。
文民統制という言葉が頻繁に出てきたのは参議院の外交防衛委員会が田母神さんを参考人に呼ぶということが決まった日からです。「今日、田母神さんが国会に出てくる」という記事あたりから、文民統制という見地の記事になっています。田母神さんを呼ばなくたって、あの論文を書いたこと自体が文民統制の問題だ、という鋭さは未だなかった。
参考人喚問が終わったら途端に報道が止まっちゃいました。今朝はもう田母神問題なんてほとんど新聞記事に載っていません。でもやることは未だいっぱいあったと思うんですね。田母神さんというヘンな人が突然現れたのか、という見地の検証が必要だろうと思うんです。つまり、自衛隊員の中にも自民党の国会議員のなかにも、あの幕僚長を擁護する声があるというのは、田母神さんがあの論文を書いても大丈夫だと思う雰囲気があるんだろうということなんです。
もっと遡って考えましょう。小泉内閣は中谷元という元職業軍人を防衛庁長官にしたんです。防衛大学校を卒業して職業軍人として防衛庁の高級幹部にいた人がたまたま今国会議員だからといって防衛庁長官にしたんです。
それからあのヒゲの隊長、イラクに行って水を配って有名になった佐藤さんと云う人は、国民に人気がありそうだというので自民党が国会議員にしたんですね。その人は現に今度の騒動のなかで田母神さんを擁護しています。新聞記事のなかに談話が載ってます。

「制服組が平気で首相官邸に出入り」

細かく新聞記事を読んでいる人は既にお気づきだと思いますが、そのころから制服の自衛隊員が公然と政治家に接触出来るようになっています。それまでは文民コントロールということを非常に重視して、政治家に説明するのは、同じ防衛庁の職員でも内局という、軍人じゃない人たちがやるという職掌になっていた。それを、判りにくいからと直接制服組に説明させた。
これは石破茂さんが最初の防衛庁長官のころにやった政策の変更ですよね。
新聞記事を読んでみますと、制服組が平気で首相官邸に出入りしている。今申し上げたことは僕固有の知識でもなんでもありません。みんな新聞に載ってます。田母神問題が起きた時その辺を掘り下げて歴史的に振り返って欲しかった。それによって、あの問題に対する理解はもっと深まったんじゃないか、という気はしてるんです。
ただ、そんなまとまった形にしない気持ちというのは僕は38年新聞記者をやってますから判るんです。さっき、今話したことはみんな新聞で知ったことだと云いました。で、記者にしてみれば、もう書いてあるという意識があるんですね。書いてあるから読者もみんな知ってるという気になっちゃうんです。
だけども立場を変えてみると新聞記者は自分は書く側だから書いたことを憶えているんですけれども、読者の側は新聞で読んだって三日も経てば忘れちゃうと思うんですね。大事な問題はこういう時には繰り返し繰り返しまとめて総括していかなければいけないんじゃないかなぁという物足りなさを感じました。
田母神問題は突発的な事態ではなくて、深い根のある問題だと考えた方がいいんではないか、とまとめて別の話題に入りたいと思います。

                          つづく
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転載 ガザからの声 そこに踏みとどまり続けること

2009年10月15日 20時28分08秒 | Weblog
★グループメールにガザで続けられている封鎖や包囲と静かに抵抗している人々を支援している方から重い記事が寄せられました、紹介します。 (ネット虫)
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京都の岡です。

わたくしはかれこれ25年、レバノンのパレスチナ難民の子供たちをケアする
NGO「ベイト・アトファール・アル=ソムード(パレスチナ 子供たちのソムードの家)」の支援をしています。

この「ソムードの家」は、1976年、パレスチナ難民3000人が殺されたタッル・エル=ザァタルの虐殺で親を失った子供たちの孤児院として設立されました。
6年後にはサブラーとシャティーラの虐殺がおこり、ふたたび、大勢の子供たちが親を失いました。
80年代半ばにはキャンプは包囲・封鎖され、長期にわたって攻撃され、大勢がなくなりました(昨年暮れから1月にかけてのガザのように)。

「子供たちのソムードの家」は、パレスチナ人に対して差別的なレバノン社会で、
繰り返し虐殺にさらされながら、貧困と差別と困難のなかで生きる子供たちとその家族を支える活動に30年以上、地道にとりくんでいます。
人権を否定されている子供たちに、教育の機会と職業訓練の機会を提供することによって、未来の可能性を創っているのです。

この7月、訪問したとき、代表のカーセム・アイナさんが、「子供たちのソムードの家」が ノーベル平和賞にノミネートされていますと、たいへん慎ましやかにおっしゃって、私たちはみな、大喜びいたしました(結果的に、同賞を受賞したのはオバマ大統領でしたが・・・)。

この「ソムード」というアラビア語、辞書を引くと Registance とあります。
でも、いわゆる「レジスタンス」や、イスラーム抵抗運動(「ハマース」の正式名称)の「抵抗」とは違います。
アラビア語独特の言葉で、日本語では、それを一言で言い表す、しっくりした言葉が見つからないのですが、「それでもなお、そこにふみとどまってがんばり続ける」、そのような意味での「抵抗」です。

武器をもって、武装闘争をすることだけが、「抵抗」ではありません。
民族浄化の結果、60年以上にわたり難民であることを強いられ、繰り返し虐殺にさらされ、そして、今は封鎖され、じゅうぶんな栄養もなく、人が人間らしく生きるということのすべてを奪われているなかで、それでもなお、そこに踏みとどまって、明日への希望を失わずに自らを支え、ほかの者たちを支え続けること、それがソムードであり、ソムードとしての抵抗です。

JVC(日本国際ヴォランティア・センター)の招聘によって、ガザから来日されたモナ・アブラマダンさんとムハンマド・スカフィさんのお二人は東京で精力的にスケジュールをこなし、本日、京都にいらっしゃいます。
きのう、東京大学のセミナー(英語)で、ムハンマドさんがおっしゃったという言葉(参加された方の感想が、MLでまわってきました)、
「あなた方も是非、ガザのボランテイアに来てください。それは( ボランテイアは、)グッド レジスタンスに他ならないから。」

英語でムハンマドさんが、「グッド・レジスタンス」とおっしゃった、その「レジスタンス」は、アラビア語の「ソムード」です。
それは、殺戮と破壊と封鎖という圧倒的な暴力に対するソムードであり、同時に、あらゆるテロルに対するソムードでもあります。

10ヶ月前、ガザで起きていることに対して、各地で緊急集会が開かれ、会場の定員をはるかにうわまわる人々が駆けつけました。
あれから10ヶ月、もう、マスメディアに「ガザ」の言葉は登場しません。
ガザの虐殺は、忘却の淵に沈もうとしています。

忘却されるという以前に、なおも続く封鎖が、ひとたびでも私たちの記憶に刻まれたことがあったのでしょうか。

忘却があの殺戮と破壊を生み出したのなら、いまの私たちの忘却は、次の、新たな、さらに大規模な殺戮への序章です。
私たちはこれからも、ガザの人々の状況を皆さんに伝え、ソムードを支援したいと思います。
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保守系さん教えて下さい   落石

2009年10月15日 18時55分03秒 | Weblog
大塚英志の「少女tたちの『かわいい』天皇を
よんでいたら、
天皇なきナショナリズム、という考えがあると
書いてありました。

保守主義の考えのひとつに、天皇を抜いた考え方も
あるのでしょうか?

コメント (2)
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「あいち九条の会のHP」に活気が!!     まもる

2009年10月15日 11時35分20秒 | Weblog
★久しぶりに「あいち九条の会」のHPを開いてみた。
 僭越な感想だが、前と比べて「やる気」というか「活気が」が感じられた。
とうやら、広報担当に東海放送人の会の「大西氏」がなったかららしい。
「あいち運動紹介」に彼の次のようなアピールが載っていた。
 期待の持てる愛知九条の会の姿勢を紹介したい。
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愛知県県下の九条の会の皆様へ

      あいち九条の会世話人(広報委員会担当)大西 五郎
 
「ホームページは経験と教訓の宝庫です」
  
 みなさんはあいち九条の会のホームページをのぞいてご覧になったことがありますでしょうか。
 Yahooでもgoogleでも、「あいち九条の会」で検索するとホームページを開くことができます。表紙の左側の目次の一番下に「新着情報 県内各九条の会の催しのお知らせ」がありますから、そこをクリックすると、各九条の会から寄せられたニュースが紹介されています。

 私はあいち九条の会で広報委員会を担当し、ホームページの編集に当たっています。
 各九条の会から寄せられた集会や講演会などの案内や集会の結果の報告、会報に載っていた参考情報などをニュ-スにして載せる作業を行っています。
 そこで感じたことをお話したいと思います。

  ◇「九条を守れ」は誰にも受け入れられる幅広い運動です。

☆市と教育委員会が品川さんの講演会を後援、商工会議所会頭、医師会会長も賛同者に

 6月に、つしま、かにえ、さやの三つの九条の会が合同で品川正治さんを招いて講演会を行いました。津島市と蟹江市に協力を要請したところ、津島市と蟹江町、それに両方の教育委員会の後援を得ることができました。
 また、中日新聞に27,000枚のチラシを折り込みましたが、その賛同広告に津島商工会議所会頭、津島市医師会長らが賛同してくださいました。
 当日の講演会には450名の参加者がありましたが、その中に保守系市会議員4名、元弥富市長や津島市・蟹江町の総務部長ら幹部職員も多数参加していました。

☆地区の区長が「天ちんさん」の講演会のビラを回覧板で回してくれた。 
 
 甚目寺九条の会が「天ちんさん」ことあいち九条の会代表世話人の天野鎮雄さんの講演会を行ったときのこと、甚目寺町にはいくつかの町内会をまとめる区が12ありますが、その全区長に講演会のチラシを区内に回覧してほしいとお願いしました。8つの区長が回覧板で町内に回してくれました。また16人の町会議員全員を講演会に誘ったところ半数の人が協力券を購入してくれたそうです。

☆元町長や高校校長が「戦争を語る」集会の発言者に

 渥美半島九条の会が行った「戦争体験を語る会」で元福江町長が中学生だった戦争中に敵の上陸に備えて海岸に塹壕掘りをした経験を語ってくださったり、結成一周年記念集会で福江高校の元校長が渥美半島の戦跡について語ってくださったりしました。

  ◇集会に大勢の人の参加を得ています。

☆尾張旭での澤地久枝さん講演会に1000人を超す参加者

 九条の会尾張旭が5月に結成3周年集会を行い、九条の会(中央)呼びかけ人の作家・澤地久枝さんの講演を行ったところ、尾張旭以外から参加した人もあって1000人を超える参加者がありました。この講演会はあいち九条の会のホームページでも予告・紹介しましたが、これを見て参加された他地区の九条の会会員の方もかなり あったということです。

☆いなざわでもジェームス三木さんの講演会に600人

 いなざわ九条の会が昨年秋に行った3周年記念のジェームス三木さんの講演会に600人が参加しました。いなざわ九条の会では会員一人ひとりが3枚の入場券を持って知人によびかけたり、近隣の九条の会の集会やコーラスグループの集会などでも宣伝した結果です。

 このニュースを書くために取材していて、一定の努力をすれば報われることを示していると思いました。

☆ひしの九条の会は菱野団地6000戸に全戸ビラ

 瀬戸市のひしの九条の会は3月に結成三周年集会を開き、宗教者九条の会の大東仁さんに「反戦を唱え続けた僧侶竹中彰元」という話をしてもらいました。
 団地内での集会としてはいつもより多い60人ほどの参加がありましたが、「初めて九条の会の集会に参加した」という人が17人もいました。
 ひしの九条の会では、毎回会報を団地の6000戸全部に配布しています。こうした努力が新しい参加者を増やしているのだと思います。

☆九条の会・尾張旭が初詣客向け宣伝で、2人が会員に

 九条の会・尾張旭は今年の元日に初詣客を対象に「九条を守りましょう」と入会の呼びかけのビラ撒きを行いました。このビラをよんだ人2人が後日入会してくれました。
 岩倉9条の会でも成人式の会場で新成人にむけて入会の呼びかけを行いました。

◇集会の開き方に様々な努力が払われています。

 各地の九条の会は、集会に一人でも多くの人に参加してもらうため、集会の持ち方に様々な工夫が凝らされています。

 豊田九条の会は「落語DE平和と九条」(イラク派兵差止め訴訟の岡村晴美弁護士と落語家の古今亭菊千代さん)を、萩原九条の会(一宮市)は「コーヒーを飲みながら文化講演会」を、富田地域九条の会(名古屋市中川区)は「憲法全文をみんなで読む会」を終わって、さらに「あたらしい憲法のはなしを読む会」を行いました。

 岩倉9条の会は花見を兼ねて航空自衛隊小牧基地と岐阜基地を見て回るツアーを、勝川九条の会(春日井市)は戦争を記録する会の案内で市内の戦跡めぐりを、豊明九条の会は熱田空襲の跡めぐりと白鳥庭園の見学を組み合わせた会を催し、それぞれいつもより大勢の参加を得ました。

  ◇趣味で集まったユニークな会も

 走ることの好きな人集まれと「RUNNERS9(ランナーズ・ナイン)」は愛知県や東海地方の戦跡を訪ねるマラソンとピクニックを併せた“マラソニック”を行っています。
 全国各地で行われる「9条ラン」にも参加、先日は遠く鹿児島に遠征しました。この他ゴルフ好きの人が集まった「golfけんきゅう会」などもあります。

 ◇ホームページのニュースを活用しましょう。

 この地方の放送関係者で作る東海放送人九条の会は、この文章でも報告した岩倉九条の会が愛知県平和委員会の高橋信理事長の案内で基地巡りを行ったということをホームページで見て、高橋理事長にお願いして9月に基地めぐりを行うことにしました。
 このようにホームページで紹介された各九条の会の催しが自分たちの会の行事企画の参考になります。

 ホームページの「新着情報 県内各九条の会の催しのお知らせ」のページの左側に「最新記事」のタイトル紹介と月ごとに整理された「バックナンバー」がありますので、そこをクリックすると各九条の会の活動の様子がわかるようになっています。
 みなさんも時々(できればしばしば)ホームページにアクセスしてください。ホームページは経験と教訓の宝庫です。
                                            以上

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今日のことば   らくせき

2009年10月15日 09時45分33秒 | Weblog
「被害者が加害者を許せない限り、いつまでたっても被害者」
(元テロリストの牧師ヒュー・ブラウンさんの言葉)

        中日新聞の「特報」より

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