九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

天皇即位 20 周年記念式典 DVDを全国の学校配布?

2009年10月16日 21時28分59秒 | Weblog
★メール仲間から表題のようなメールをもらいました。
 内閣府大臣官房総務課が当日上映予定のDVD「天皇陛下 御即位から20年」を作成し、全国の各学校へ一枚ずつ配布するらしいのですが、どういう趣旨で配るのか不明ですし、その予算はどこから出て、どのくらいなのか?政府が血眼で無駄な予算を削ろうというときほとんど見られることもなく図書・視聴覚資料室の片隅に眠ってしまうDVDをなぜ配るのか?私は税の無駄遣いという点からも、まったく理解できません。(まもる)
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今年11月12日の「天皇即位20周年記念式典」を前に、内閣府大臣官房総務課は当日上映予定のDVD「天皇陛下 御即位から20年」を作成し、文部科学省を経由して各都道府県教育委員会などに送付しました。マスコミ各社に配布した件についての報道がないですが、文部科学省は都道府県教育委員会・市町村教育委員会を通じ、このDVDを各学校へ一枚ずつ配布するとしていることが、内部情報で明らかになっています。
 私の住む北海道について・・・北海道教育委員会では各教育局に対し、9月11日付の事務連絡「『天皇陛下 御即位から20年』の送付について」で、北海道内の公立学校への配布を連絡しました。

 現在のところ、文部科学省・北海道教育委員会の事務連絡において、各学校への配布については依頼しているだけで、特別に配慮して取り組むことについての依頼はありません。

 天皇即位20年に対して祝意を表すかどうかについてはご承知のように、憲法19条「思想および良心の自由」、21条「集会・結社・表現の自由」および23条「学問の自由」が定められ、国民一人ひとりの内心に関わることであり、学校が配布されたDVDを児童生徒に対し、「強制して」行事や授業で使用することはあってはならいことです。

 記念式典まで一ヵ月を切り、ますます過度になっていくことも予想されます。一国民として児童生徒への「押し付け」とならないよう、今後の動向に注意深く見ていくことが迫られると思います。

              海川 史博(フリージャーナリスト)
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アメリカ側が強気に出るなら「日米安保条約を破棄する」と言えばよい    

2009年10月16日 13時14分17秒 | Weblog
★政権が交代したとはどういうことか。国の方向が変わることを国民が支持したことです。
 何を誰に遠慮しているのだろう。きちんと外交カードを切って交渉すべきだと思います。そういう意味で「あつこばブログhttp://atsukoba.seesaa.net/article/129938420.htmlの小林アツシ氏の下記の意見に賛成です。       (一寸の虫)              
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鳩山首相は辺野古(へのこ)での基地建設(いわゆる「普天間移設」)を「容認」したとも受け止められる発言をした次の日、記者団から真意を問われて「そういうことは一言も申し上げてないでしょう」と否定しました。(10月9日、沖縄タイムス)
そして、「時間により変化する」と言ったのは「未来永劫、この国の土地に他国の軍隊が存在することが必要かどうか。そういうファクター(要素)もあるということ」と説明したそうです。(同)
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2009-10-09-M_1-001-1_001.html

10月9日の東京新聞の社説では、「県外・国外移設を十分に検討することなく、検証作業も終わらない中での首相の容認示唆発言は、唐突で国民を惑わす。」と厳しく指摘しています。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009100902000091.html

ところで、鳩山首相の発言の2日前にアメリカで行なわれた日米局長級会談で、アメリカ側は「日本側の話には耳を傾けるが、日米合意の実現が基本だ。再交渉するつもりはない」と語り、「民主党の一部に代案として浮上する普天間基地と嘉手納基地の統合案も「非常に困難」」としました。(共同通信の9日の記事)
http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100901000673.html

こうしたアメリカ側の強硬姿勢が伝わって鳩山首相の発言に微妙な変化が現われたのかもしれません。

その日米局長級会談にも参加していたキャンベル国務次官補が来日し、12日に行なわれたインタビューでは、今後日本側と十分に協議していく意向を示しながらも「すべての代案の中でも(辺野古への移設が)最良の方法だ。(オバマ大統領の訪日前に)十分に進展させてほしい。結論は、オバマ大統領の訪日後になると思う」と発言しました。(日本テレビ)
http://www.news24.jp/articles/2009/10/12/10145631.html#

このように、アメリカ側は強硬姿勢を示していますが、これは「今は強気に出たほうが交渉が有利になる」という判断もあるのではないでしょうか? それであれば日本ももっと強気に「辺野古での基地建設はできない」と示すべきです。

アメリカ側が強行姿勢を崩さないのであれば、日米安保条約を破棄してもいいのです。日米安保条約の第10条には、
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いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。
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と書かれています。つまり日本が「やめる」と通告すれば1年後には安保条約は無くなるのです。

これは別にアメリカとの関係を破壊するわけではありません。軍事同盟である安保条約の変わりに「日米平和友好条約」を結んでもいいのですから。

現実問題としては、「日米同盟は基軸」としている鳩山首相がアメリカに対する交渉材料として日米安保条約の破棄を示すのは、そう簡単ではないかもしれません。

アメリカ側と交渉する政治家や官僚は、こう言えばいいのです。
「日本には安保条約を破棄しようと主張している人達がいます。このままアメリカ側が強硬姿勢を示し続けると、安保条約を破棄しようという声が高まり、米軍は日本にいづらくなります。」

軍事アナリスト 小川和久さんの『日本の防衛力』によると、日本列島は「アメリカが世界のリーダーであり続けるために必要不可欠な戦略的根拠地」だそうです。つまり日米安保条約は、アメリカが世界を支配し続けるために必要としているものなのです。
「万一、日本が「日米安保解消」という最悪の方向に向かい、日本から出ていかざるをえなくなったら、アメリカは世界のリーダーの地位から滑り落ちるかもしれない。」 とのことですから、アメリカ側との交渉のうえでは非常に有効なカードになります。

辺野古での基地建設を許さないためには、「安保条約破棄」という声を広めていくのも有効です。
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つぶやきコメントを。  らくせき  

2009年10月16日 09時53分40秒 | Weblog
NHKのニュースを見ていたら、
つぶやき投稿、というサイトがあって、人気だそうです。
アメリカ発で、オバマさんも政策をつぶやいているそうです。

そこで、しばらく、このブログでも
つぶやきコメントという試みをしてみませんか?

○月○日のつぶやき。
前後の関連一切なし。
今日のつぶやきを一言。


まず、私から「金木犀が良い香り」








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「メディアの憲法報道を問う」②  飯室勝彦氏

2009年10月16日 09時28分18秒 | Weblog
「メディアの憲法報道を問う」②  飯室勝彦氏

「長沼ナイキ基地訴訟の衝撃と脱力感」

38年間新聞記者をやって、なおかつ個人的な関心の面もあるせいですか、裁判を長いこと眺めていることが多かったですね。そうしますと、憲法に関わる問題、或いは憲法が関係してくる場面というのに遭遇することはもう頻繁にありました。そういうなかで、最も印象に深いのが「長沼ナイキ基地訴訟」という裁判です。
1973年1月27日に札幌地方裁判所で「自衛隊は憲法違反である」と明白に言った判決が出ています。福島重雄さんという裁判長が言い渡したんですが、どういう訴訟かということを知らない人のためにちょっと説明しますと、北海道の長沼町というところに自衛隊のナイキJというミサイルの基地を造ったんですね。山の上にミサイルの基地を造りますから山の上を開発します。ただその辺は保安林として大事に保護されている地域です。基地を造るためにはその保安林の指定を解除しなければいけない。当然その保安林の指定を解除しました。
長沼という町は北海道を開拓する人たちが一所懸命切り開いた町なんです。農民運動なんかもかつては盛んだった町なんですが、そこで、山の上に基地をつくるというんで、住民が反対して、保安林解除を取り消せという訴訟を起こしたんですね。論理は要するに、自衛隊の基地を建設するために保安林の指定を解除するんだが、自衛隊というのは憲法違反だから、そのために保安林指定を解除するのは憲法違反だという理屈で訴訟を起こしました。
紆余曲折がありまして、73年の1月、僕はちょうど新聞記者になって未だ10年たっていません。元気盛りのころですね。東京本社にいましたし、この裁判は札幌本社ですから日常的にいつもウオッチしているというわけにはいかないんですけれども、大事な場面にはしょっちゅう取材に行って、判決の日ももちろん法廷で判決を聞いておりました。福島さんという人は明確に言ったんですね。「自衛隊は憲法違反である。だからそのために保安林の指定を解除するのは憲法違反だから取り消す」と。はっきり言ったんです。
いろいろな曲折がありましたから、出ることは予想していました。判決はまぁこんな判決だろうと。しかし、実際に出てみるとですね、これはやっぱり凄い衝撃なんですね。目の前で自衛隊は憲法違反って判決を裁判官が読んだというのは凄い衝撃で、出るべき判決がやっと出たなぁという気持ちが一つです。ところが同時にその反対の気持ちがしましてね、出てしまったなぁ、後は坂を下るだけだなぁというある種の虚脱感ですね。
なぜかと言うと、このまま高等裁判所、最高裁判所に行って、最高裁判所が支持するわけがない。それまでの幾つかの判決を見ていますと、最高裁判所は、例えば在日米軍は憲法違反であるという判決が東京地裁で出たときも、「こういう高度な政治問題に司法は立ち入ってはいけないんだ」と言って逃げました。
統治行為論と言うんですけれども、裁判官は選挙で選ばれてない。政治家は選挙で選ばれてる。選挙で選ばれた人たちが決めた行動は国民の意思を反映した行動だから、選挙で選ばれていない裁判官が迂闊に別の判決を出しちゃいけないんだという、こういう思想なんですね。高度な政治的な問題は司法は立ち入らないんだ、という理屈なんです。
最高裁がそういう姿勢をとってきていますから、こりゃあ頂上に登ったけど後は落ちるだけだなぁと思いました。現にそうでしたね。その後いくつか憲法違反だという判決、もちろん自衛隊違憲判決というのはそうたくさんはないんですけれども、憲法のいろいろの条文に反してるよという判決は結構出てるんです。その後、憲法違反という判決に遭ってもあまり感動しなくなっちゃったんですね。一番大きな問題で憲法違反って判決を僕は目の前でもう聞いちゃってるわけですから。その意味では非常に残念でしたけども、この判決のことでご披露したいのは、私個人の感慨みたいなものでなくて、もっとショッキングなことです。

「私もそう学んだ、しかし判決を書くとなると」

札幌地裁の法廷で自衛隊は憲法違反って判決を聞いて廊下に飛び出しました。社に一報を入れなければいけませんから。その時に知り合いの裁判官にバタッと会ったんです。その裁判官はどういう人かというと、最高裁判所の事務総局というところにいて、課長をしていた裁判官で、旧知の関係にある人なんですね。その時は関西地方のある裁判所の裁判長をしていて、出張尋問と言って、札幌にいる証人を調べるために出張してきていたんです。その人もきっと関心があったんでしょう、廊下で僕にばったり会った時に、「おい、飯室君、どういう判決だ」って言うから、僕がもう、息せき切って興奮して内容を話したんですね。彼が何と言ったと思います。「そうだろう、俺もそう教わったんだよ」ってここまではいいんですよ。「でも俺、今判決書けって言われたら、そう書かねえぞ」って。
正直な男でしてね、これはビックリしましたね。そういう書かないぞって言う人だからかどうかは知りませんけれども、その人はその後、裁判所のなかでは順調に地位が上がっていって、さる高等裁判所の長官になりました。
「自衛隊は憲法違反」と言った福島重雄さんという裁判長はこの判決を言い渡した後、東京地裁に転勤になりました。一見栄転のように見えます。札幌から東京ですから。ところが裁判所にはルールがありまして、地方の裁判所をやったら大きな都会の裁判所に戻すというルールがあるんです。ですからこのルールに従っただけで、栄転でもなんでもありません。まわされたところが手形部で、まさに政治的な判断とか思想的な判断だとか全然入る余地のないところへ異動になったんです。つまりもうこの人には政治的な判断に関わる事件はさせないぞという人事担当者の意思表示ですね。で、その後もこの人は田舎の地方裁判所に転勤しまして、今は公証人をやっていらっしゃるのかな。高裁長官にはなりませんでした。
ただ、やっぱり僕はね、いくら親しい仲だから正直に言ったとしても「教わったけれどもそういう判決は書かないぞ」ということを言ったこともビックリしましたし、その人が出世していったというのは当然だろうなとは思いましたけれども、ものすごく残念だなぁという気がありましたね。

「沖縄で見えてくるもの」

そういうわけで、自衛隊は憲法違反という判決を聞いて感激もしたけどある種の脱力感も持っていた。その脱力感を持っていた自分が打ちのめされたのはそれから約28年ぐらい経ちました2002年のことです。
何があったかと言いますと、憲法改正すべきかどうかが国会で議論になり、衆参両院に調査会が出来ました。衆議院の憲法調査会は中山太郎さんというお医者さんが委員長で、両論併記みたいな意見にまとめたんですが、その意見の議論で、各地で公聴会をやりました。その一環として沖縄にも行って、沖縄の人たちの意見も聴いたんですね。
ここで沖縄と憲法の関係を少し説明しておきます。沖縄の県民は日本国憲法の制定に関わってないんです。憲法が出来たときには本土返還されてませんから、国会に議員を送ってないんです。1946年に日本国憲法が出来た時に沖縄は米軍の統治下ですから代表が来てないんです。沖縄の県民が日本国憲法について公式の場で意見を述べるのは、この2002年の公聴会が初めてなんです。
それで、その沖縄でどういう意見が出たかといいますと、本土の国会での憲法変えろという議論に対する激しい反撃でしたね。政府は平和憲法を活かす努力をしたのか。この憲法じゃ何にも出来ないと言ってるが、本当に平和憲法を活かすという努力を日本政府はしてきたのか。俺たち沖縄では日本国憲法が完全に適用されてねぇじゃねぇか。米軍がいて、米軍が沖縄の県民を轢き殺しても逃げれば裁判も出来ないじゃないか。なのに憲法が古くなったから捨てるって言うの、って迫り方をする人もいました。別の言い方で、今本土は有事法制が必要だなんて言ってるけど、沖縄はもうとっくに有事体制に入ってるんだ。ベトナム戦争のころから有事体制なんだ、という意見が出て、最後は司会をしてた中山太郎さんがえらく怒っちゃうような事態にもなりました。

「目の前にある軍事、戦争」

そういう声を聴いているうちに、何だ虚脱感なんか持ってはいられないなぁと云う感じになりました。そのころ既に論説委員でした。憲法に関する論説を書くことも多かったんですが、沖縄での経験は中日新聞の憲法に関する論説に大きく響いていると思います。
それでは沖縄の人たちが何故そんなに平和憲法を大事にしてるんだろうということをもう少し深く掘り下げて見たいと思います。
今日お出での方の中には戦争を体験された方々もいらっしゃるんでしょうけども、敢えて失礼な言い方をさしてもらいますと、年配の方でも戦争の体験ってのはある種想い出の部類に入っているんじゃないか、と思うんですね。ところが沖縄の人たちにとっては戦争というのは現実体験なんです。
嘉手納基地に行ってみると、基地の脇に安保の丘というちょっと高いところがあるんですね。そこに行くと嘉手納基地が一望に出来るんです。でっかい爆撃機がグゥアーンってしょっちゅう飛び立つんです。僕も嘉手納基地とか普天間基地をのぞき込もうと思ってフェンスの外側を歩いていたら米兵に追っかけられたことがありました。追っかけられると本能的に逃げるんですよね。しばらく逃げたあとに、おい、待てよ、ここは何も米兵に追っかけられる理屈がねぇなぁと思って、あわてて止まるんですけども。つまり沖縄ではそれが現実なんです。話で聞く話ではないんですね。
米軍用地は、数字のことはいろいろ言っても仕方がないかもしれませんが、70%、80%を基地に取られてるって町もあります。返還という方針は決まったが移転が難航している普天間基地は話の上では何パーセントという基地用地の数字が話題になってますが、数字よりも普天間基地のある町の地図を眺めてもらうほうがよっぽどよく判ります。楕円形の市があの市です。基地はその真ん中に玉子の黄身のように占めてるんです。玉子全体があの町で、その真ん中の黄身が基地だと思って下さい。ここからあそこに行くのに基地が真ん中にあるから行けないんですね。ぐるっとまわって行く。下水管引こうと思ったって、真っ直ぐ引けないんですよ。行ってみるとものすごく生で判るんです。

「憲法は憧れの対象」

それから数字で言えばイラクの戦争が始まってから明らかに沖縄では米兵の犯罪か増えてるそうですね。酔っぱらったトラブルも増えてるそうです。アメリカの兵隊さんにしてみればイラクに行ってきて酷い思いをしてきて神経が苛立っているから酒を飲んで、それで、暴走しちゃうという場面、ベトナム戦争のころもそうでしたよね。
もっと酷いのはあそこには県道越え訓練というのがあります。米軍基地と米軍基地の間に県道がはしっているんですね。公道が。で、大砲を撃つ訓練をやるときに県道越しに大砲の弾を撃つんです。ドーン、ドーン。その近くに住んでいる人たちはそのドーン、ドーンを聞いてるんです。戦争が記憶にある戦争じゃないんです。現実にある戦争っていうイメージなんです、あそこでは。
だから僕はよく沖縄旅行にいく学生に、沖縄に行ったら南部戦跡をまわってこないと単位やらんぞなんて冗談を言うんですがね。そのくらいあすこに行くと見えなかったものが見えてくる。別の言い方をすると、平和とか戦争というのが理屈で判るんじゃなくて皮膚感覚で判る、ということだろうと思うんですね。ですから、沖縄の人たちにとっては平和憲法というのは憧れの対象なんです。未だ憧れの対象なんです。私どもは平和憲法を空気のように感じちゃってるかもしれませんが、沖縄の人たちにとっては未だ憧れの対象なんです。そうすると、それを何か履き古した草履のように捨てるのかって公聴会で意見が出るのは、僕は、それは当然だと思いました。
                    つづく

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