ここ150年の日本人の変化は、日本の歴史上、最大のものかも。
とくに、ここ20年の変わり方には、不気味な感じさえする。
大きな底なしの闇の海があるような。
その闇の正体とは、何なのか?
人間ひとりでは生きていけない。どこかに帰属して、はじめて安心。
安心・安全が今のキーワードだが、安全はともかく
安心は帰属できるものが不可欠。
毎年のふるさとへの大移動。
もうそこに生活の土台はないのに、人々はふるさとへ帰る。
土地に根付いて生活してきた日本人。
それを支えたのが、血族・親族というシステムだった。
その時代への先祖がえりであろうか?
しかし、それはもう願望のなかでしか存在しない幻。
一年に一度のセレモニーとしての意味しかない。
近代以降、製造業が日本の経済発展を支えた。
人々は土地から引き剥がされて都会へ。
新しく帰属すべきシステムとして会社が構築された。
戦後の高度経済成長が、これを可能にした。
定年退職した男が濡れ落葉になってしまうのは、
地域が消えてしまっていたから。
ここ20年で、この会社も帰属できるシステムではなくなった。
対抗すべき左翼も、同時に、魅力を失ってしまった。
人々は大都会のなかで孤立している。
個々の知恵で、安心の場を見つけなくてはならない。
これは、良い意味では、個が自由を獲得したこと。
そういった意味で、女性の力で、小さいが安心の場が誕生してきている。
だがまだまだ小さい。
都会の孤独な人々をひきつけたのが「ナショナリズム」では?
新自由主義経済の台頭と、ナシュナリズムの台頭の間には、深い関連がありそう。
そういう意味では、もう天皇はナショナリズムの核にはなりえないかも。
もっと強力なカリスマとしてのリーダーを熱望しているのか。
一億中流時代が終り、富裕層と貧困層が並存する現代。
先進国と後進国がふたつ混在する日本。
貧困にあえぐ孤独なココロが、安心できる港を求めている。
こうした人々に現在の天皇がこころの支えになるのか?
安心を与えられるのか?
誰かが、不安を忘れさせるようなパフォーマンスを展開し、
ナショナリズムの核になる時、天皇はどういう役割を果たすのか?