第三の選択肢は、外国の軍隊の侵攻にたいして、
自衛力でもゲリラ戦でもなく
組織的な非暴力不服従運動で対抗すべきというもの。
これをさらに突き詰めて、道徳的に正しいから絶対平和主義を貫くというもの。
9条を守ろうと言う方のなかには、この考え方をする方は多いかもしれませんね。
私の奥さんも、この考えのようです。
これは成功するでしょうか?
これが成功するためには、相手側の兵士の民度が高いという前提が必要。
ここが私の?です。
長谷部さんは、これは個人レベルの考えとしては良いが、
国の政策としては立憲主義の原則に反するのではないか、と指摘していました。
立憲主義は多様な価値観を持つ人々が、それでも協働して、
社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために
必要な基本的枠組みを定める理念。
そのためには、生活領域を公と私とに人為的に区分すること、
社会全体の利益を考える公の領域には、自分が一番大切だと考える価値観は
持ち込まないように自制すること。
ありのままの人間が自然に受け入れられる考え方ではない。
立憲主義にもとづく憲法は、人の生きるべき道や、
善き生き方を教えてくれるものではない。
憲法が教えているものは、世の中には多様な生き方がある時、
どうしたら平和に暮らせるのかということである。
ともかく軍備を放棄せよ、善き生き方をという考えは
信仰ではありえても立憲主義と両立しうる平和主義ではない。
別の側面から見ると、立憲的な憲法は、
民主政治のプロセスが自分では処理できない問題を抱え込まないように、
決められることをあらかじめ限定する枠組みでもある。
根底的な価値観の対立を公の領域に引きずりこまないように仕切りを設ける。
ということだそうです。
愛国心なども、このケースに当てはまるのでしょうね。
自衛力でもゲリラ戦でもなく
組織的な非暴力不服従運動で対抗すべきというもの。
これをさらに突き詰めて、道徳的に正しいから絶対平和主義を貫くというもの。
9条を守ろうと言う方のなかには、この考え方をする方は多いかもしれませんね。
私の奥さんも、この考えのようです。
これは成功するでしょうか?
これが成功するためには、相手側の兵士の民度が高いという前提が必要。
ここが私の?です。
長谷部さんは、これは個人レベルの考えとしては良いが、
国の政策としては立憲主義の原則に反するのではないか、と指摘していました。
立憲主義は多様な価値観を持つ人々が、それでも協働して、
社会生活の便益とコストを公正に分かち合って生きるために
必要な基本的枠組みを定める理念。
そのためには、生活領域を公と私とに人為的に区分すること、
社会全体の利益を考える公の領域には、自分が一番大切だと考える価値観は
持ち込まないように自制すること。
ありのままの人間が自然に受け入れられる考え方ではない。
立憲主義にもとづく憲法は、人の生きるべき道や、
善き生き方を教えてくれるものではない。
憲法が教えているものは、世の中には多様な生き方がある時、
どうしたら平和に暮らせるのかということである。
ともかく軍備を放棄せよ、善き生き方をという考えは
信仰ではありえても立憲主義と両立しうる平和主義ではない。
別の側面から見ると、立憲的な憲法は、
民主政治のプロセスが自分では処理できない問題を抱え込まないように、
決められることをあらかじめ限定する枠組みでもある。
根底的な価値観の対立を公の領域に引きずりこまないように仕切りを設ける。
ということだそうです。
愛国心なども、このケースに当てはまるのでしょうね。