「メディアの憲法報道を問う」④ 飯室勝彦氏
「新聞を読まない若者」
それにしましても、僕は相変わらず「風」、冒頭に申し上げた風というのをたいへん怖いと思ってます。小泉さんと云う強風のお陰で今のワーキングプアとかそういうたいへん悲惨な状態が生まれています。こんなこと申し上げると有権者のみなさんを前にたいへん失礼な言い方ですけども、あの安倍さんという危険人物でさえ一時は、日本の有権者は酔ったんですよね。血筋がいいだの、なんだのって言って、ね。
だからいつなんどき風が吹く、どんな風が吹くか判らない、そういう警戒感は持っていたいなぁと云う気はするんです。
身の回りで見てるとほとほと感じるんですが、今の若い人たちは新聞を読まないんです。全然読んでません。
活字は割りに冷静な議論をしようと思えば、冷静な議論を伝えることも出来ますし、読み取ることも出来ます。新聞を読まないで何から情報を得るかというと、インターネットの一行情報、テレビの云って見れば情報番組ですね。で、今度もたいへん失礼なことを申し上げますが、新聞の社説なんてお読みいただけるのは年配の方ばっかりなんですね。お手紙やメールをいただくのは年配の方ばっかりで、めったに20代の若者から感想は来ません。
僕は何を言ってるかとというと、その若い人たちが実はこれからの日本を決めていくんですよね。そうすると、その冷静な活字による論理というものの読み取りをしないで、空気のようなテレビの報道とか、インターネットの一行情報で動いてしまう、という危険性をいつも感じているんです。
じつはこれまでの憲法改正報道問題って云うのは、テレビはあんまりやってこなかったんですね。テレビは抽象的な概念、理念的な部分の報道ってのは苦手ですから、あんまり詳しくやってきません。ですから良かったと思ってるんですが、もし憲法改正が具体的な議論になってきたら、テレビもジャーナリズムですから、そんなこと言ってられません。当然報道に参戦してくるでしょう。そうなると僕は怖いと思いますね。あのある種感覚的な手法で改憲問題に参戦してきたら、風がたちまち吹き起こりかねない。そういう意味で僕はテレビを一所懸命、警戒しています。
「風」の怖さと脆さ
冒頭で私は風がまた吹くかも知れないと申しました。憲法に関する基本的な流れは変わっていないと思います。国会がああいう状況になっちゃいましたから、改憲論というのは一見鳴りをひそめているように見えますが、構成員は替わっていません。民主党のなかだって、まぁ小選挙区制になって自民党に席がないから民主党から出るという人たちがいっぱいいるわけですから。そうすると、護憲の政治的な陣営ががっちりしているということも云えない。
他の政党を見ましても、公明党は憲法擁護と言ってますが、与党から離れないということがむしろ至上命題ですね。そうしますと、公明党が身体を張って最後まで改憲を阻止するかって言われるとなかなか難しい場面があるかもしれない。民主党はさっき言ったような状態ですし、それから、社民党、共産党はあまりにも非力すぎて、みんなが社民党候補に投票して、あるいは共産党候補に投票して議席を増やせば別ですけども、現状ではどうも防波堤にはなりそうもない、という状況です。
もうひとつ気になるのは財界が自信をつけてきている、と云うことですね。この前の衆議院選で、トヨタ自動車の首脳は初めて公然と自民党の応援をしました。それまでトヨタ自動車はあまり自民党の応援をしなかったですよね。で、その後の経済改革で財界の言う通りにいろいろ改革してきており財界自身も政治に対して口出しすることの面白み、実益を感じていることがあると思うんです。
そうしますと、決して流れは変わってないし、僕には、風が吹けばどうなるか判らないという危機感はあります。
「ベタ記事から見えてくるもの」
もう一つありました。今年の5月21日、ある新聞にベタ記事が載りました。
衆議院と参議院にさきほど申し上げたように憲法審査会を作ることになりました。国民投票法が成立して、憲法審査会をつくることになったけれども、未だに審査会の規則も出来てない、審査会の委員も決まってない、という状況のときに、衆議院と参議院の議員運営委員長が、自民党と民主党に早く審査会の規則を作って委員会を発足させろという申し入れをしたというベタ記事です。 衆議院の委員長は自民党ですが、参議院の委員長は民主党なんです。自民党と民主党が揃って、審査会を早く作って憲法の議論を出来るように設定しろ、って言ってるんです。そうすると、民主党が防波堤になるということもあり得ないんではないか、という気がしておりまして、警戒する必要があると思っています。
ちなみに新聞記者38年の経歴から若干みなさんに秘訣をお漏らしすると、新聞はベタ記事が大事なんです。今云ったようなベタ記事のなかに、もの凄く重要なことが入ってることがあるんです。そのベタ記事を憶えてたら何年か後に、「おっ、あの時に書いてあった」というような大ニュースに結びつくことがあります。
私どもの大先輩の佐藤毅さんという中日新聞の編集局長をやって、ドラゴンズの社長をやった人は、「ベタ記事恐るべし」という本を書きましたが、確かに何年か前のベタ記事が今のトップ記事に結びついてるってケースがいっぱいあります。ひょっとしたら、憲法問題もこの自民党と民主党の委員長の申し入れが、ウワァー、あれが生きてきたんだ、なんてことになるかもしれないという感じがしています。
「小さな積み重ねが未来を開く」
とりとめもないことを話してきましたが、そうかと云って僕は決して絶望、悲観だけはしておりません。
さきほど申し上げましたように、戦後生まれが三分の二ですから、憲法の制定にも、憲法の熟成にも直接関わっていない人たちが三分の二です。まして、制定の背景まではなかなか知らない。それを僕はけしからんと云うことは出来ない。むしろその人たちに語り掛けて行くのが我々の責任ではないのか、という気がしています。理論だけではとても人のこころに響きません。一つひとつの事実を積み重ねていくことによって、若い人たちの胸を撃つことが出来ると僕は信じています。
大学でいろいろな授業をやらされているんですけれども、ある授業では、憲法九条を方言に訳してこいなんて授業をやるんですね。愛知県にも方言いろいろありますよね、名古屋弁、尾張弁、三河弁。地方から来てる人も結構いるんですよ。大分県から来てる人とか、徳島県から来てる人。方言知らない人はおじいちゃん、おばあちゃんに訊いて訳してこい、と。
おじいちゃん、おばあちゃんに訊く過程で昔の経験を聴いたりなんかするんですね。そういう小さな積み重ねが将来大きく役に立ってくるではないかなぁという気はしています。
「若い記者たちの実践」
ここではひとつだけ中日新聞東京本社にいる若い記者たちの仕事をご紹介したいと思います。
一昨年から去年にかけて、一部はもちろん中日新聞にも掲載されましたが、東京新聞の若い記者たちが総タイトルは「記者が伝える戦争」で連載記事を何回も組みました。例えばそのものズバリ「新聞記者が語り継ぐ戦争」という連載タイトルで、戦争の犠牲になった人たちの話を聞いて、その聞き書きを連載していったり、戦争の傷跡が残っている場所を、モニュメントを訪ねて写真とともに紹介して、その意味を連載していったり、それから、憲法を歩くという連載記事で憲法問題がいろいろ起きている現場を歩いてルポルタージュをする、それから有識者にインタビューを次々として「試される憲法」という連載記事をする。
これ、みんな若い人たちが自発的にやった仕事なんです。部長がこれやれ、あれやれって指示した仕事ではありません。憲法改正という問題が出てきましたから、若い人たちが、こういうのやろうじゃないかと云って自発的にやった連載なんです。
僕がもっとも感激したのは、その連載をやっていくと、直接連載に関わっていない別の若い人たちがですね、「私にもやらしてくれ、俺にも一本書かしてくれ」って出てきたそうです。それを聴いたとき僕は泣きましたね。それだけでも僕は充分だって云いました。
ですから、若い人の悪口を言うんではなくて、若い人たちに自分たちの経験を、つまり、今時の若いもんはと言ってるんじゃなくて、若い者と経験を共有するということを意識することによって憲法問題というのはやっていけるんだろう。つまり危機を切り抜けていけるんだろうということを思ってます。
いろいろ憲法に関しては格言風な台詞がありますよね。憲法は時代の道しるべだ、とか。前に社説にも書いたことがあるんですけれども、道標だから道に迷ったときには道標に従って進むのが当たり前であって、この道標を勝手に書き換えようっていうのはおかしいんじゃないの、という姿勢が僕は基本だろうと思っています。
了
「新聞を読まない若者」
それにしましても、僕は相変わらず「風」、冒頭に申し上げた風というのをたいへん怖いと思ってます。小泉さんと云う強風のお陰で今のワーキングプアとかそういうたいへん悲惨な状態が生まれています。こんなこと申し上げると有権者のみなさんを前にたいへん失礼な言い方ですけども、あの安倍さんという危険人物でさえ一時は、日本の有権者は酔ったんですよね。血筋がいいだの、なんだのって言って、ね。
だからいつなんどき風が吹く、どんな風が吹くか判らない、そういう警戒感は持っていたいなぁと云う気はするんです。
身の回りで見てるとほとほと感じるんですが、今の若い人たちは新聞を読まないんです。全然読んでません。
活字は割りに冷静な議論をしようと思えば、冷静な議論を伝えることも出来ますし、読み取ることも出来ます。新聞を読まないで何から情報を得るかというと、インターネットの一行情報、テレビの云って見れば情報番組ですね。で、今度もたいへん失礼なことを申し上げますが、新聞の社説なんてお読みいただけるのは年配の方ばっかりなんですね。お手紙やメールをいただくのは年配の方ばっかりで、めったに20代の若者から感想は来ません。
僕は何を言ってるかとというと、その若い人たちが実はこれからの日本を決めていくんですよね。そうすると、その冷静な活字による論理というものの読み取りをしないで、空気のようなテレビの報道とか、インターネットの一行情報で動いてしまう、という危険性をいつも感じているんです。
じつはこれまでの憲法改正報道問題って云うのは、テレビはあんまりやってこなかったんですね。テレビは抽象的な概念、理念的な部分の報道ってのは苦手ですから、あんまり詳しくやってきません。ですから良かったと思ってるんですが、もし憲法改正が具体的な議論になってきたら、テレビもジャーナリズムですから、そんなこと言ってられません。当然報道に参戦してくるでしょう。そうなると僕は怖いと思いますね。あのある種感覚的な手法で改憲問題に参戦してきたら、風がたちまち吹き起こりかねない。そういう意味で僕はテレビを一所懸命、警戒しています。
「風」の怖さと脆さ
冒頭で私は風がまた吹くかも知れないと申しました。憲法に関する基本的な流れは変わっていないと思います。国会がああいう状況になっちゃいましたから、改憲論というのは一見鳴りをひそめているように見えますが、構成員は替わっていません。民主党のなかだって、まぁ小選挙区制になって自民党に席がないから民主党から出るという人たちがいっぱいいるわけですから。そうすると、護憲の政治的な陣営ががっちりしているということも云えない。
他の政党を見ましても、公明党は憲法擁護と言ってますが、与党から離れないということがむしろ至上命題ですね。そうしますと、公明党が身体を張って最後まで改憲を阻止するかって言われるとなかなか難しい場面があるかもしれない。民主党はさっき言ったような状態ですし、それから、社民党、共産党はあまりにも非力すぎて、みんなが社民党候補に投票して、あるいは共産党候補に投票して議席を増やせば別ですけども、現状ではどうも防波堤にはなりそうもない、という状況です。
もうひとつ気になるのは財界が自信をつけてきている、と云うことですね。この前の衆議院選で、トヨタ自動車の首脳は初めて公然と自民党の応援をしました。それまでトヨタ自動車はあまり自民党の応援をしなかったですよね。で、その後の経済改革で財界の言う通りにいろいろ改革してきており財界自身も政治に対して口出しすることの面白み、実益を感じていることがあると思うんです。
そうしますと、決して流れは変わってないし、僕には、風が吹けばどうなるか判らないという危機感はあります。
「ベタ記事から見えてくるもの」
もう一つありました。今年の5月21日、ある新聞にベタ記事が載りました。
衆議院と参議院にさきほど申し上げたように憲法審査会を作ることになりました。国民投票法が成立して、憲法審査会をつくることになったけれども、未だに審査会の規則も出来てない、審査会の委員も決まってない、という状況のときに、衆議院と参議院の議員運営委員長が、自民党と民主党に早く審査会の規則を作って委員会を発足させろという申し入れをしたというベタ記事です。 衆議院の委員長は自民党ですが、参議院の委員長は民主党なんです。自民党と民主党が揃って、審査会を早く作って憲法の議論を出来るように設定しろ、って言ってるんです。そうすると、民主党が防波堤になるということもあり得ないんではないか、という気がしておりまして、警戒する必要があると思っています。
ちなみに新聞記者38年の経歴から若干みなさんに秘訣をお漏らしすると、新聞はベタ記事が大事なんです。今云ったようなベタ記事のなかに、もの凄く重要なことが入ってることがあるんです。そのベタ記事を憶えてたら何年か後に、「おっ、あの時に書いてあった」というような大ニュースに結びつくことがあります。
私どもの大先輩の佐藤毅さんという中日新聞の編集局長をやって、ドラゴンズの社長をやった人は、「ベタ記事恐るべし」という本を書きましたが、確かに何年か前のベタ記事が今のトップ記事に結びついてるってケースがいっぱいあります。ひょっとしたら、憲法問題もこの自民党と民主党の委員長の申し入れが、ウワァー、あれが生きてきたんだ、なんてことになるかもしれないという感じがしています。
「小さな積み重ねが未来を開く」
とりとめもないことを話してきましたが、そうかと云って僕は決して絶望、悲観だけはしておりません。
さきほど申し上げましたように、戦後生まれが三分の二ですから、憲法の制定にも、憲法の熟成にも直接関わっていない人たちが三分の二です。まして、制定の背景まではなかなか知らない。それを僕はけしからんと云うことは出来ない。むしろその人たちに語り掛けて行くのが我々の責任ではないのか、という気がしています。理論だけではとても人のこころに響きません。一つひとつの事実を積み重ねていくことによって、若い人たちの胸を撃つことが出来ると僕は信じています。
大学でいろいろな授業をやらされているんですけれども、ある授業では、憲法九条を方言に訳してこいなんて授業をやるんですね。愛知県にも方言いろいろありますよね、名古屋弁、尾張弁、三河弁。地方から来てる人も結構いるんですよ。大分県から来てる人とか、徳島県から来てる人。方言知らない人はおじいちゃん、おばあちゃんに訊いて訳してこい、と。
おじいちゃん、おばあちゃんに訊く過程で昔の経験を聴いたりなんかするんですね。そういう小さな積み重ねが将来大きく役に立ってくるではないかなぁという気はしています。
「若い記者たちの実践」
ここではひとつだけ中日新聞東京本社にいる若い記者たちの仕事をご紹介したいと思います。
一昨年から去年にかけて、一部はもちろん中日新聞にも掲載されましたが、東京新聞の若い記者たちが総タイトルは「記者が伝える戦争」で連載記事を何回も組みました。例えばそのものズバリ「新聞記者が語り継ぐ戦争」という連載タイトルで、戦争の犠牲になった人たちの話を聞いて、その聞き書きを連載していったり、戦争の傷跡が残っている場所を、モニュメントを訪ねて写真とともに紹介して、その意味を連載していったり、それから、憲法を歩くという連載記事で憲法問題がいろいろ起きている現場を歩いてルポルタージュをする、それから有識者にインタビューを次々として「試される憲法」という連載記事をする。
これ、みんな若い人たちが自発的にやった仕事なんです。部長がこれやれ、あれやれって指示した仕事ではありません。憲法改正という問題が出てきましたから、若い人たちが、こういうのやろうじゃないかと云って自発的にやった連載なんです。
僕がもっとも感激したのは、その連載をやっていくと、直接連載に関わっていない別の若い人たちがですね、「私にもやらしてくれ、俺にも一本書かしてくれ」って出てきたそうです。それを聴いたとき僕は泣きましたね。それだけでも僕は充分だって云いました。
ですから、若い人の悪口を言うんではなくて、若い人たちに自分たちの経験を、つまり、今時の若いもんはと言ってるんじゃなくて、若い者と経験を共有するということを意識することによって憲法問題というのはやっていけるんだろう。つまり危機を切り抜けていけるんだろうということを思ってます。
いろいろ憲法に関しては格言風な台詞がありますよね。憲法は時代の道しるべだ、とか。前に社説にも書いたことがあるんですけれども、道標だから道に迷ったときには道標に従って進むのが当たり前であって、この道標を勝手に書き換えようっていうのはおかしいんじゃないの、という姿勢が僕は基本だろうと思っています。
了