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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「メディアの憲法報道を問う」④  飯室勝彦氏

2009年10月18日 12時14分24秒 | Weblog
「メディアの憲法報道を問う」④  飯室勝彦氏

「新聞を読まない若者」

それにしましても、僕は相変わらず「風」、冒頭に申し上げた風というのをたいへん怖いと思ってます。小泉さんと云う強風のお陰で今のワーキングプアとかそういうたいへん悲惨な状態が生まれています。こんなこと申し上げると有権者のみなさんを前にたいへん失礼な言い方ですけども、あの安倍さんという危険人物でさえ一時は、日本の有権者は酔ったんですよね。血筋がいいだの、なんだのって言って、ね。
だからいつなんどき風が吹く、どんな風が吹くか判らない、そういう警戒感は持っていたいなぁと云う気はするんです。
身の回りで見てるとほとほと感じるんですが、今の若い人たちは新聞を読まないんです。全然読んでません。
活字は割りに冷静な議論をしようと思えば、冷静な議論を伝えることも出来ますし、読み取ることも出来ます。新聞を読まないで何から情報を得るかというと、インターネットの一行情報、テレビの云って見れば情報番組ですね。で、今度もたいへん失礼なことを申し上げますが、新聞の社説なんてお読みいただけるのは年配の方ばっかりなんですね。お手紙やメールをいただくのは年配の方ばっかりで、めったに20代の若者から感想は来ません。
僕は何を言ってるかとというと、その若い人たちが実はこれからの日本を決めていくんですよね。そうすると、その冷静な活字による論理というものの読み取りをしないで、空気のようなテレビの報道とか、インターネットの一行情報で動いてしまう、という危険性をいつも感じているんです。
じつはこれまでの憲法改正報道問題って云うのは、テレビはあんまりやってこなかったんですね。テレビは抽象的な概念、理念的な部分の報道ってのは苦手ですから、あんまり詳しくやってきません。ですから良かったと思ってるんですが、もし憲法改正が具体的な議論になってきたら、テレビもジャーナリズムですから、そんなこと言ってられません。当然報道に参戦してくるでしょう。そうなると僕は怖いと思いますね。あのある種感覚的な手法で改憲問題に参戦してきたら、風がたちまち吹き起こりかねない。そういう意味で僕はテレビを一所懸命、警戒しています。

「風」の怖さと脆さ
 
冒頭で私は風がまた吹くかも知れないと申しました。憲法に関する基本的な流れは変わっていないと思います。国会がああいう状況になっちゃいましたから、改憲論というのは一見鳴りをひそめているように見えますが、構成員は替わっていません。民主党のなかだって、まぁ小選挙区制になって自民党に席がないから民主党から出るという人たちがいっぱいいるわけですから。そうすると、護憲の政治的な陣営ががっちりしているということも云えない。
他の政党を見ましても、公明党は憲法擁護と言ってますが、与党から離れないということがむしろ至上命題ですね。そうしますと、公明党が身体を張って最後まで改憲を阻止するかって言われるとなかなか難しい場面があるかもしれない。民主党はさっき言ったような状態ですし、それから、社民党、共産党はあまりにも非力すぎて、みんなが社民党候補に投票して、あるいは共産党候補に投票して議席を増やせば別ですけども、現状ではどうも防波堤にはなりそうもない、という状況です。
もうひとつ気になるのは財界が自信をつけてきている、と云うことですね。この前の衆議院選で、トヨタ自動車の首脳は初めて公然と自民党の応援をしました。それまでトヨタ自動車はあまり自民党の応援をしなかったですよね。で、その後の経済改革で財界の言う通りにいろいろ改革してきており財界自身も政治に対して口出しすることの面白み、実益を感じていることがあると思うんです。
そうしますと、決して流れは変わってないし、僕には、風が吹けばどうなるか判らないという危機感はあります。

「ベタ記事から見えてくるもの」

もう一つありました。今年の5月21日、ある新聞にベタ記事が載りました。
衆議院と参議院にさきほど申し上げたように憲法審査会を作ることになりました。国民投票法が成立して、憲法審査会をつくることになったけれども、未だに審査会の規則も出来てない、審査会の委員も決まってない、という状況のときに、衆議院と参議院の議員運営委員長が、自民党と民主党に早く審査会の規則を作って委員会を発足させろという申し入れをしたというベタ記事です。 衆議院の委員長は自民党ですが、参議院の委員長は民主党なんです。自民党と民主党が揃って、審査会を早く作って憲法の議論を出来るように設定しろ、って言ってるんです。そうすると、民主党が防波堤になるということもあり得ないんではないか、という気がしておりまして、警戒する必要があると思っています。
ちなみに新聞記者38年の経歴から若干みなさんに秘訣をお漏らしすると、新聞はベタ記事が大事なんです。今云ったようなベタ記事のなかに、もの凄く重要なことが入ってることがあるんです。そのベタ記事を憶えてたら何年か後に、「おっ、あの時に書いてあった」というような大ニュースに結びつくことがあります。
私どもの大先輩の佐藤毅さんという中日新聞の編集局長をやって、ドラゴンズの社長をやった人は、「ベタ記事恐るべし」という本を書きましたが、確かに何年か前のベタ記事が今のトップ記事に結びついてるってケースがいっぱいあります。ひょっとしたら、憲法問題もこの自民党と民主党の委員長の申し入れが、ウワァー、あれが生きてきたんだ、なんてことになるかもしれないという感じがしています。

「小さな積み重ねが未来を開く」
 
とりとめもないことを話してきましたが、そうかと云って僕は決して絶望、悲観だけはしておりません。
さきほど申し上げましたように、戦後生まれが三分の二ですから、憲法の制定にも、憲法の熟成にも直接関わっていない人たちが三分の二です。まして、制定の背景まではなかなか知らない。それを僕はけしからんと云うことは出来ない。むしろその人たちに語り掛けて行くのが我々の責任ではないのか、という気がしています。理論だけではとても人のこころに響きません。一つひとつの事実を積み重ねていくことによって、若い人たちの胸を撃つことが出来ると僕は信じています。
大学でいろいろな授業をやらされているんですけれども、ある授業では、憲法九条を方言に訳してこいなんて授業をやるんですね。愛知県にも方言いろいろありますよね、名古屋弁、尾張弁、三河弁。地方から来てる人も結構いるんですよ。大分県から来てる人とか、徳島県から来てる人。方言知らない人はおじいちゃん、おばあちゃんに訊いて訳してこい、と。
おじいちゃん、おばあちゃんに訊く過程で昔の経験を聴いたりなんかするんですね。そういう小さな積み重ねが将来大きく役に立ってくるではないかなぁという気はしています。

「若い記者たちの実践」

ここではひとつだけ中日新聞東京本社にいる若い記者たちの仕事をご紹介したいと思います。
一昨年から去年にかけて、一部はもちろん中日新聞にも掲載されましたが、東京新聞の若い記者たちが総タイトルは「記者が伝える戦争」で連載記事を何回も組みました。例えばそのものズバリ「新聞記者が語り継ぐ戦争」という連載タイトルで、戦争の犠牲になった人たちの話を聞いて、その聞き書きを連載していったり、戦争の傷跡が残っている場所を、モニュメントを訪ねて写真とともに紹介して、その意味を連載していったり、それから、憲法を歩くという連載記事で憲法問題がいろいろ起きている現場を歩いてルポルタージュをする、それから有識者にインタビューを次々として「試される憲法」という連載記事をする。
これ、みんな若い人たちが自発的にやった仕事なんです。部長がこれやれ、あれやれって指示した仕事ではありません。憲法改正という問題が出てきましたから、若い人たちが、こういうのやろうじゃないかと云って自発的にやった連載なんです。
僕がもっとも感激したのは、その連載をやっていくと、直接連載に関わっていない別の若い人たちがですね、「私にもやらしてくれ、俺にも一本書かしてくれ」って出てきたそうです。それを聴いたとき僕は泣きましたね。それだけでも僕は充分だって云いました。
ですから、若い人の悪口を言うんではなくて、若い人たちに自分たちの経験を、つまり、今時の若いもんはと言ってるんじゃなくて、若い者と経験を共有するということを意識することによって憲法問題というのはやっていけるんだろう。つまり危機を切り抜けていけるんだろうということを思ってます。
いろいろ憲法に関しては格言風な台詞がありますよね。憲法は時代の道しるべだ、とか。前に社説にも書いたことがあるんですけれども、道標だから道に迷ったときには道標に従って進むのが当たり前であって、この道標を勝手に書き換えようっていうのはおかしいんじゃないの、という姿勢が僕は基本だろうと思っています。
                        了
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広島長崎への招致活動は、核廃絶運動の衰退を招くもの  あきの さくら

2009年10月18日 09時14分20秒 | Weblog
私は、広島長崎への招致活動は、核廃絶運動の衰退を招くものと考えています。

招致活動に多額のお金がかかることは、広島長崎市民を疲弊させます。
そして何も成果が上がらなければ、怒りの矛先は核廃絶運動に向かうでしょう。
日頃何か活動をしているわけではないが、
漠然と「核はなくなってほしい」と願っている人たちがいます(私です。東京都民ですが)。
こういう人たちに運動に対する嫌悪感を抱かせ、核廃絶そのものへの無関心を引き起こすことになるでしょう。

誘致活動が開催地争奪戦であること、
「奪い合い」「戦争」であることを忘れてはいけないと思います。
「オリンピックが平和の祭典などとは幻想だ」とは今更ですが、
もう一度考えてみる必要があると思います。
世界中の、オリンピック自国開催を望む人々は、
べつに、平和という理念のために自国開催を望んでいるのではありません。
平和目的なら、どこで開催したって一緒なんですから。
国威発揚つまり偏狭なナショナリズム、経済効果つまり金儲け、
トップアスリートの戦いを間近で見たい、
こういった、およそ世界平和とは関係の無い心情から自国での開催を望むのです(私ごときが今更指摘するまでもないですよね)。

こういう場で多額の金を使って開催地を奪い合うことが、
世界平和につながる行為ですか?
過去に3回も開催した国が、さらに貪欲に争うことが、
端で見ていて美しいことですか?

今回だって、どの候補地も、それぞれ高い理念を掲げていたはずです。
でも誰も「理念のために開催地争いをしているのだ。崇高な戦いだ」なんて思ってなかったでしょ。
「綺麗事ならべてるけど、本心は金儲けなのさ」って思ってませんでしたか?
広島長崎が核廃絶ウンヌンで立候補したところで、
開催地になりたさの綺麗事と外国から受け取られるのは、同じです。


奪い合い、戦いから生まれるのは憎しみです。
それは、今回の東京都知事の悪意のこもった敗戦の弁からもわかるでしょう。
広島長崎が開催地争奪戦に勝てるとは絶対に思いませんが、
百万が一勝てたところで、負けた都市には広島長崎、日本への憎しみが残ります。核廃絶どころではありません。


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加藤和彦さんの死             まもる

2009年10月18日 07時55分49秒 | Weblog
★グループメールに千葉卯京さんからこんな追悼のメールが入りました。
 同感です。時代を代弁してくれた・・・良い曲をありがとう。
===========================
加藤和彦さん

なぜもっと生きてくれなかったのでしょうか?
なぜもっと生きて、『あの素晴らしい愛をもう一度」や「イムジン河」を
歌ってくれなかったのでしょうか?
加藤さんの歌に励まされ、戦争や平和を考えて、そして自分が何を
すべきか、見出された日々もありました。

加藤さん歌は、フォークルの歌は1人1人が伝えていく大切な歌で、
伝えていかなければならない歌だったと思います。

加藤さんが生き急いだこと、死に急いだこと、本当に残念です。
それと同時に何があっても死に急いではだめです。

加藤和彦さん、今は1人のファンとしてあなたの冥福を祈りますが
私はプロの歌手ではないですけれど明日からもあなたの歌を歌い
続けます。
あなたが願った朝鮮半島から、そして世界から本当に戦争がなくなる日を願いながら。


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10月18日のつぶやき     ぐ

2009年10月18日 07時49分03秒 | Weblog
「イムジン河」ソウル旅行で歌えばよかった・・・しかし、早過ぎるよ、加藤さん
コメント (4)
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新政権の威力(6) 日米関係激変ありうる  文科系

2009年10月18日 05時04分14秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
新たな世界情勢に対応していくために、日米関係も50年に1度ぐらいの激変が起こり始めていると考えてきました。今までの延長のような見方では、日米関係においても当てが外れることになるでしょう。その方向性を見るためにも、世界情勢の上で背景となりうるものや、新政権に見え始めた方向性というものを一定まとめて、また、この二つを関連づけて見ておかなければならないのではないでしょうか。
①サブプライム爆発を震源とする「100年に1度の経済危機」から、次のことがおこりました。
護送船団方式輸出依存がもう今までのようにはできなくなりました。別の需要を探さねばなりませんが、超格差社会ではもう土建国家を追求することもできません。それを正せなかったのが、自民党の敗因だったはず。
冷戦体制の崩壊にやや遅れて、アメリカ単独主義世界も消えてしまいました。アメリカの国力もガタガタです。アメリカ経済は、物作りの衰退や、金融商品による世界金集め政策の頓挫やなどから全く先が見えず、世界への公約「金融規制」さえも全く進まない現状です。日本が土建国家を維持できなかったように、産軍複合体国家は縮小方向しかありません。
②新政権の現在の姿勢は、①への一定話し合い、まとまった対応なのだと見ておく必要があると思います。その中身は、「コンクリートから人への、内需拡大方向の転換」、「アメリカから以前よりは距離を置き、国連中心とかアジア重視とかに方向転換していくこと」。これらは、好むと好まざるとにかかわらず、世界情勢と日本の強みなどとから強いられて取る修正資本主義的な道というように見えるのですが、どうでしょうか。
③こういう対応に関わる日本の強みはこういうことでしょう。1500兆円という世界1の貯蓄があること。90年代の国内住宅バブル弾けからサブプライム爆発の今日まで、金融規制の技術、景気回復のやり方において世界で最も苦労してきた先進国だということ。

さて、こういうものを背景として見るとき、今までの判断で言えば一見策略とか口だけとかに見えるような日米両国の「不思議な新政策」「発言」も、僕はすんなりと理解、信用できるような気がするのです。最近の日米のことを挙げてみましょう。
①インド洋給油が無くなっても、アフガンには自衛隊は行きそうもないこと。アメリカでさえ、増派が可能かどうか分からないということ。
②オバマが「12年までに核半減」を表明したこと。90年には21000発あったものが、07年には9900発になり、12年には4900発になると推定されること。この方向はまだまださらに進むと予想されること。
③ルース駐日米大使が、米大使としては戦後初めて広島平和記念式典に参加する可能性が出てきたということ。このことを「真剣に検討したい」と応えたことを報じた毎日新聞記事を抜粋する。
『今月4日、両親と息子と共に広島を訪れたことについて、言葉を選ぶように「深く、心を揺さぶられ、感情的になった」と話した』
それどころか11月のオバマ訪日で、被爆地訪問が期待される情勢さえあるのではないか。
④現在は普天間基地移転が問題になっているが、16日の新聞にはこうあった。
『(平野博文官房長官は)「具体的に物事を決めることになれば、基本政策(閣僚委員会)か関係閣僚(委員会)でやることに当然なる」と述べ、政府方針決定に当たり、社民、国民新両党党首をメンバーとする基本政策閣僚委員会の開催を検討していることを明らかにした。基本政策閣僚委は連立与党間で重要政策を協議するもので、9月28日。10月9日の2回開かれた。社民党の福島瑞穂党首は14日の記者会見で「(名護市)辺野古の沖に基地が造られないよう連立政権の中で頑張る」と述べ、現行計画への反対姿勢を明確にしている』
住民要求にそう形で、別の移転先を捜すようになる気が僕はしてきたのですが、どうでしょうか。二転三転しているような、新政権のぐずぐずした姿勢は、またもこんなことを思わせます。アメリカにもなんとなく強硬姿勢が感じられないのは、影で一定の合意が行われているような気さえしないではありません。ルース駐米大使の普天間移転関連の記者質問応答はこうでした。
「オバマ政権も発足時に政策を再検討した」
「(普天間基地自身については)新しい政権だ。期限を切るのは公平ではない」
(いずれも毎日新聞)

コメント (2)
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