学 友 H.Sさんの作品です
「七月六日の食事会断ろうか?」と、体調の悪い私を気遣って夫和夫が聞いた。
「断らないで、私行くよ」と、答えた。七月六日は、タウリンというニックネームで呼ばれている夫の学友とその妻夕見子さんに会う予定になっている。この人たちとは長い年月にわたる付き合いだ。
〈あの時あっておけばよかった〉ということになりかねない。だからお誘いがあるときは多少のことがあっても会っておけば、後で悔やむことはない。コロナ禍でいつ緊急事態になるかもしれないと、私は考えたからだ。
タウリンと和夫は大学で出会ってから約七十年の付き合いだ。おたがい歳を重ねた。八十七歳だ。学友は老友になったともいえる。
鈴鹿からくる二人との待ち合わせはいつも近鉄名古屋駅正面の乗降口だ。夫が今池のうなぎ屋を予約したのでそこへの案内となる。
約束の日がやってきた。待ち合わせ時間に遅れないようバスに乗った。バスが発車する。車外の景色が動き出す。コロナで県が出した条例を守り巣ごもり状態だった私だ。バスに乗るそれだけの行為で、こんなに気持ちが好くなるのか。人とは、目にすること、耳にすることを楽しむ生き物のようだと、知らされた。
店に到着した。広い個室に案内された。四人では広すぎるテーブルだった。店の配慮だろう。席に着く。三月のタウリンの写真展で会ってから四ヵ月ぶりのことだ。何とか元気で会えたことを喜び合う。それがすむとお互いの身体の不調の話になる。タウリンは猫を抱き上げようとして尻もちをつき腰椎を圧迫骨折。現在は痛みに耐えながら、毎日自分で皮下注射でカルシュウムを注入。骨量を増やすことに挑戦している。でも、歩けなかった人が歩けるようになっているのだからこの注射は効果があるようだ。
和夫の方は、一月の終わりにあおむけにこけて後頭部を強打。一瞬にして身体能力が急激に落ちた。ふらふらするので何かにつかまらないと歩けない。一つの個体が三つにダブって見える。だからお箸で何かをつかむことができない。字が書けない。新聞は、見出しのみ読めるだけ。幻覚が出て見えないものが見える。こんな状態だったので介護保険を使う手続きを収ろうと主治医と相談。知り合いのケアマネジャーに連絡をつけた。和夫の今の状況を知らせ「何かにつかまらなくても歩ける。トイレに行ける。風呂に一人で入れる。しっかりご飯が食べられる。これが出来るようになりたい。これが夫、和夫の希望です」と、伝えた。これができないと本人が落ち込み、幸せな気持ちにならないでしょうと、私の日ごろからの心情をも、ケアマネジャーに伝えた。
「主治医の先生に会ってきます」と、ケアマネジャーが手続きを進めた。和夫は、要支援二度の判定を受け、デイケアセンターで支援メニューの運動とマッサージを受けている。五月から始めた。二か月が経過した。最近転ぶ回数は少なくなり、杖の助けをかり外出もできるようになっている。
「タウリンは、ここまで歩いて来られたのだから、今日のこの状態を維持するため、介護保険の手続きをして支援を受けたほうがいいよ」と、私は夕見子さんに勧めた。
大学で出会った八入の学友は一人、また一人と旅立ち、いまはタウリンと和夫の二人だけとなった。二人は、医療の助けを借りて何とか生きている。この現状維持がいつまでできるのだろう・・・?
〈小さな旅を楽しんだ日々の思い出を語りながら、食事をする〉、たったそれだけのことだが、去年は次に会う計画を話し合い、約束を交わし、食事会を解散したが、今日はどちらからもその話は出なかった。先の見通しが立たないと思えるようになってきたからだろう。会えば心が和む。会えたうれしさで気持ちの明るい日々を手にしている。永年にわたり、和夫の学友夫妻が和夫と私に心を寄せてくれたことは、何物にも代えがたい素敵な時間の共有だった。
治まることのないコロナ禍、体温よりも上昇する気温、降りやまぬ雨等、体を危険にさらすことばかりだ。あちこちの不具合を抱えながら日々をやり過ごしているタウリン夫妻と私たち。お互いが何とか無事に生き延びられることを祈願する日々が続いている。