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「都心の庭」は、自然のオアシス? 文科系  

2021年10月15日 22時09分12秒 | 文芸作品

 五〇歳直前に都心に近い父母の家に入ったが、現役時代は家の庭など見向きもしなかった。僕が二十歳を過ぎた頃父母が初めて我が家を構えたその母と連れ合いとに任せっぱなしで、僕の出番は、いつの間にかあっという間に大きくなった自然生えの木を切るとか、多い花木の枝払いなどたまにある力仕事だけ。ちなみに、父は若い頃から庭に手を出したことなど皆無だった。そんな僕が、定年退職以降二〇年、この三〇坪ほどの庭の仕事を次第に増やしてきて、今では連れ合いと対等に、手だけではなく口まで出すようになった。この年月が、「都心の庭」のあれこれを楽しみ、味わい、識るという思いもしなかった贅沢をもたらしてくれた。

 我が家のまず春先に咲くのが、白木蓮、木瓜、梅、ユキヤナギで、やがてツツジに卯の花、アヤメなどを経て、ムクゲの夏から、秋は金木犀、秋明菊。果樹、野菜の収穫もあって、梅酒はできるし、金柑、柚、葡萄に、毎年の雑煮に入る餅菜を摘み残しておくと育ち上がっては菜の花になり、やがて菜種の実が付く頃には、毎年のようにつがいのカワラヒワが枝を揺らして啄みに来る。

 ところで、庭を通してこの家の周辺一帯を眺める機会がどんどん増えていき、やがてこんな事に気づいた。名古屋市のど真ん中、中区との東境に近いこの一帯には近辺のどこにも庭らしいものなどなくなっているのである。持ち主の二代目、三代目になると、売って引っ越した跡などに、どんどん住宅が立つ。百坪以上の土地には庭は無い集合住宅。それ以下には、三階建ての建売住宅がギリギリ4~5軒も。時節柄、分割相続とその税などにも替わっていくのだろうが、親の家を残している所など、どんどんなくなっていく。東西に走る飯田街道、この辺りで南北に抜けている旧「塩の道」など、古くから栄えた庶民の街がごっそりと変わっていく。それぞれの近いご先祖にこれが見えるならさぞ寂しい気持になることだろう。が、時節柄先代よりもはるかに貧しくなったはずの二代目、三代目にとっては、金に換えたい財産なのだ。東西の道路を挟んだ我が家の斜め北東向かい十メートルほどの土地が、先年坪百万で売られたというのだから、お金に換えることによってなんらか人生を進め、救われた子孫も随分多いにちがいない。
 我が家でもちょっと前に連れ合いがこんな事を言い出して、一悶着が続いた。築六〇年になるこの家を壊して、百坪ちょっとの敷地一杯に自宅兼集合住宅を建てようと。激論の末にこれは退けたが、「古い物には価値がない」というような現代生活消費文化を僕は嫌いなのだ。ましてやこの家は、無一文で出発した父母が先ず土地を買い、共働きで金を貯めて、伊勢湾台風の直後に父の好みでいろいろ注文した超頑丈な鉄筋コンクリート造。それだけの使用価値を遣い尽くしてやるのが、父母や地球への道義というもの。「この土地に僕らの家が建つんだ」、小学生から大学二年まで、他人に貸した畑時代のここを何度見に来たことだったか。古い、衣食住などを大事にしないって、結局自分をも大事にしないということではないのか。
 
 連れ合いとのこの激論以来、この庭を僕はもっともっと見直し始めた。カワラヒワだけではなく、こんな鳥が来る。ヒヨドリ、ドバト、メジロ、ムクドリはもちろん、喧しいシジュウカラ。臆病なツグミ、人懐っこいジョウビタキ、どこから来るのか姿は見せぬ鶯の声まで。そして短い盛夏にきっかりと合わせて、クマゼミの大合唱である。付近には古い庭がないのだから、僕の庭で生まれたものばかり。先日も白イチジクを植えるために土を掘ったら大きな幼虫がのこのこと現れて、早速、近くの土に戻してやった。と、こんな事はもう度々だから、我が家の庭の蝉口密度は凄まじいのだろう。多分、過去の夏に潰した古い家の蝉の子孫で溢れかえっているのではないか。

 さて、もうすぐ11月。我が家はこれから半年近く、2本の梅の老木どっさりの梅から作った梅酒が飲める期間に入っていく。亡くなった母もこれを作っていたが、わが連れ合いは最近ネットで研究し直して、一段とこの腕を上げている。今年は新たにブランデーに浸けた梅酒もスタートさせているから、若い頃からブランディー(とウイスキー)好きの僕は、今からもう涎を出しつつ、待ち構えている。

 

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