東京新聞記者の彼女のこの書の全7章は、この通り。①会見に出席できなくなった。②取材手法を問い直す。③日本学術会議問題と軍事研究。④フェイクとファクトの境界線。⑤ジェンダーという視点。⑥ウィシュマさんの死が私たちに問いかけるもの。⑦風穴を開ける人たち。
上記においては、③と⑥に特に力が入っていると感じた。③は、最近の思ったより長いこの攻防史を追っているし、⑥はエネルギッシュに足で稼いだ記事で、彼女らしい正義感が清々しかった。なお、この10月に出たばかりの本だから、標記にあること以外にも最近社会で問題になったことが色色入っている。黒川検事長問題、伊藤詩織さんのこと、④に関わって橋本徹氏とのやり取りなどなど。
それぞれの話が独立した物だから、以下に、記者として近ごろの政治で最も重要だと扱われていて、かつ僕にとって興味深かった「安倍政権とマスコミ」と言える部分をそのまま抜粋してみることにした。「記者と政治の関係」という彼女の本領、④の一部である。
『先日、元首相の小泉純一郎氏にインタビューする機会を得た。小泉氏に政治とメディアについて尋ねると、読売であっても朝日であっても「等距離外交がメディア対策の基本」と言っていた。小泉氏は、メディアは基本的に批判する側に立つもの、だから総理になって特定のメディアと懇意にしたり、逆に拒否したりしてはならないと認識していた。
かつ、小泉氏はそこでメディアを敵に回すのではなく、朝夕ぶら下がり会見を行い、その様子がテレビに映ることで支持率を高めていった。ある種の才覚であり、希有な例だろう。
小泉氏だけではなく、歴代の首相は、批判することがメディアの役割と割り切り、一定の距離を置いていたという。元朝日新聞の政治部記者、鮫島浩さんからこんな話をうかがった。
「私が見てきた自民党政権の政治家たちというのは、メディアに対する許容力があった。良くも悪くも批判を受けて立ちましょうという感じでした。今の石破さんのような感じです。いろいろ批判されても無視することはなく、まず批判に耳を傾けていました」
一方で安倍氏は、自身を批判する勢力を敵とみなし、たとえば朝日新聞のことは国会で何度も名指しで取り上げて「ファクトチェックしてください」などと発言した。マス・メディアに対する不信感、左翼やリベラルなメディアに歴史を修正され、自虐史観を煽られてきたと思う人たちから、安倍氏の物言いは、なぜか一定の支持を得ていた。
一部の熱狂的な支持層に乗り、メディアとの等距離外交もすっ飛ばした。朝日新聞の南彰記者の著書『政治部不信』(朝日新聞、20年)によると、在任中の単独インタビューの数は、産経新聞(夕刊フジ含む)32回に対し、朝日新聞は3回だという。
かつてはそういったことを政治家側もしなかったから、メディアもすり寄ることはなかった。安倍氏に気に入られたいというメディアはどんどん近づいていき、安倍氏を批判するメディアを、なぜか産経新聞が批判するという構図になった。産経はネットにいち早く流し、世間では私も含め、「反日認定」「北朝鮮スパイ」などと認定されてしまう。異様な空間がネット上だけではなく、雑誌や新聞といった言論の世界でも広がってしまった。
しかし今、SNSやネット空間を見ていると、かつてのように極端な言説を叫ぶ人は引き続きいるのだが、菅氏の長男である菅正剛氏の接待問題やオリンピックの開催についても、やっぱりおかしいものはおかしいという声が主流になっていると感じている。だいぶ正常化したのではないだろうか。
それは、安倍氏が辞任する流れにもつながったのかもしれない。突然の休校要請やアベノマスクなど、首をかしげる政策が次々と打ち出されて、一方で日々多くの方が感染症で命を落としていく。危機管理を掲げていたのに実際はこうなのか、という批判が噴出していた。安倍氏を応援していた支持者の中にも解雇されたり、店を閉鎖せざるを得なくなった方もいるだろう。そういう怒りもあったのかもしれない。
政権が近づいてきただけではなく、メディア側が政権に気に入られたいと忖度していった。それがメディアの萎縮を生んだ。ビジネスという点で言えば、安倍氏の発信を好意的に扱うことによって一部の支持層に読まれる。ビジネスとしてもかなり回った。』