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「海へのだだ漏れ」で、東電は確信犯   文科系

2011年05月18日 00時40分49秒 | 国内政治・経済・社会問題

「海へのだだ漏れ」で、東電は確信犯   文科系

 最近標記の命題を、僕は疑っている。高濃度汚染水を、海にだだ漏れさせているという点に於いて、東電は確信犯なのではなかったか。そして多分、経産省も、これを黙認してきたという点において共犯者である、とも。その証拠は以下の通りである。

 2号機で汚染水が海に漏れていたと、これはかなり前に国際的大問題になった。ところが、最近分かったことなのだが、他の例えば3号機でも高濃度汚染水が海へだだ漏れであった。それどころか、3号機が漏れているかどうかという探査さえ事故発生当初からずっと、行われていなかったと判明した。この点については、13日の当ブログ拙稿において、中日新聞の記事が証明済みであることを示している。これでは、高濃度汚染水を海に流すことを東電が何とも思っていなかったと推論されても自然なはずだ。本当に、そんな確信犯だったのか? いや、僕はこう思う。東電が、高濃度汚染水が海に流れているかどうかを確かめる余裕がないほどに、それほどに切羽詰まっていたのだと。
 最近のニュースによれば、1~3号機全てがメルトダウンしていたようだ。これら全てを再臨界が起こらないように冷やすことに必死だったとすれば、どうだろう。冷やす水がどこへ行くかなどと、心配している余裕はなかったのではないか。というよりも、水の行方を調べて、水かけを制限しなければならない方が、はるかに恐怖だった! これが現在までの真相、実態なのではなかったか。

 とすれば、2号機の垂れ流しも言われてきたように本当に、「低濃度汚染水だった」のか?  また、海の汚染は、ほとんど発表されていないが、もの凄いことになっているのではないか。だとしたらこれは、世界に対する犯罪である。
 また、まだまだ続く汚染水の処理のために、これからも長く四苦八苦することになるはずである。高濃度汚染水の垂れ流しが続いていないかどうか、これはしっかり調査していないといけない。国際環境団体グリーンピースが福島周辺でこの調査を始めて、深刻な結果の一部を公表したらしいが、外国籍の団体の調査を待たなければ真相が国民に分からないなどとは! 日本政府も実に怪しげなことをやっていると言われても、否定はできまい。
 僕は、東電の真相隠蔽に政府も加担しているという事態になり切っていると思う。そして、小出さんらが言い続けてきたように、再臨界防止と大量汚染水の安全な処理とのこの二律背反を、一体どう両立させていくのかが、大変不安になっている。

 以上を投稿し終ったのは、18日未明前のことだったが、その後今朝の中日新聞1面を読むと、この内容をほぼ確証できるに等しい記事が載っている。よって、それを示すべく、この1面記事の要約を追加する。

『(1~4号機で)炉心の冷却に毎日計約500トンを注水しているが、これが漏れて新たな汚染水になっている可能性が高い』

『また、地震で建家地下にひびが発生し、地下水が流入、逆に建家から流出する可能性もあるため、その対策を検討する』

『東京電力は17日午後、福島第1原発3号機のタービン建家と立て坑にたまっている放射能汚染水を集中廃棄物処理施設へ移送する作業を始めた』

『3号機のたまり水の水位は、この一週間で毎日ほぼ2センチずつ上昇してきた。汚染水の量は東電が推計している22000トンより増えているとみられる』

 だだ漏れ対策をやっと「検討」し始めたとか、17日になってようやくその「作業を始めた」とか、一体今まで何をしていたのかと考えるのが自然だろう。そして、一方で「水棺にする」と言って大量の水を入れ、他方で上記のように漏れの探査さえしていなかったとなれば、ただ漏らしていたと考えるのも自然である。これでは「メルトダウンでたまった燃料が水に流されてくれないか」と期待していたに等しく、犯罪的この上ないと言えるのではないか。国際的批判が大きくなることが明らかなこんな行為を、政府も見逃していたということにもなるだろう。恐怖を感じるほどに、酷い所行である。

 

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まだの方は是非ご覧になって下さい。   らくせき

2011年05月17日 19時59分21秒 | Weblog

あのNHK教育テレビの番組が再放送。
「ネットワークで作る放射能汚染地図 福島原発事故から2か月」
20日(金)、13:30~NHKで再放送です。

3月14日から、木村真三氏は、現場へはいって、測定をはじめていた。
東海原発の時、初動において測定が遅れた事を反省し、
氏は、現場へ測定器をもってとびこんでいった。

福島市内の中学校の校庭、チェルノブイリの3kmの放射能値が測定される。
だが、
汚染した表面の土をけずっても、その土をどこにも移動できない。
文科省の、規定値、年間20マイクロシーベルト、
原子力委員会は、それを容認していないと言い、
文科省は安全だと言い、あの学者は泣きながら参与をやめていったが、
規準数値の数字はのこりつづけている。
学校の父兄たちは怒り、役人へつめよるが、
技術官僚たちは、自己の規則仕事しかしていない。
削った土は、東電へもっていけと、郡山の住民は怒る。
子どもたちの校庭に土はつもられたまま、
政府に逆らっている地方行政は、放置される。

木村氏と岡野氏は、原発の門の入り口までいく、
東電側は測定させない。

淡々と事実を積みあげる。ホンモノのドキュメンタリー。

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            その時がきた !?      只今

2011年05月17日 15時44分08秒 | Weblog

     今では数少なくなった若い友人の一人(県職員)から
     「当局は3年連続の給与削減を提示。これをどう思いますか」 というメールがきました。
     そこで、なんと返事をするか、頬杖をついて考えたこと。

   しば= このところの日本は、なにか煉獄にいるかのようですな。
        このまま日本はフライトを続けられるのかどうか疑問ですね。

   いのうえ= 安全神話を始め、官僚諸公は優秀だという神話、会社は絶対だという神話を始め次々に崩れて行く。 
          これはなにか大変なことが始まっているのではないかとびくびくしています。

   しば= もう、だいたいこれで終わりなんでしょう。
        日本のいわゆる発展は終わりで、あとはよき停滞、美しき停滞をできるかどうか。

   いのうえ= 美しき停滞……、それはいい言葉ですね。

       ーしばとは司馬遼太郎、いのうえとは井上ひさし。対談時は、阪神大震災時の1995年。 

       それから10余年を経て311という歴史的転換点を迎えた今、この言辞は現実となった、と思います。
       「よき停滞」と、「公務員給与」については、次のこと、ヒントにはならないでしょうか。

       誰にも命令しなくていい助手という職をあえて選択した小出祐章(京大原子炉研)さんは、
       経済的に苦しくはなかったか、という質問に応えて曰く、
    「子ども二人を育てることはできたし、贅沢を言わなければ生きていけます。
    好きなことを税金でさせてもらってありがたいことです。 
    それだけに、このようなことになったのはなんとも無念。
    原子力の一端に関わってきた私にも責任があり、申し訳けない限りです」   

      ※
      愛知県が提示した給与削減による一般職の平均年収は、6百41万円とのこと。
      ちなみに、昨年の全国民間平均年収は、4百6万円。
      東電は、7百57万円。 東電役員は、七千2百万円。

 

   

 

 

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ホットスポットに避難した人たち     らくせき

2011年05月17日 12時53分35秒 | Weblog

30代の頃、原発関係に勤めて意気揚々としていた。
いまは、朝、起きても、虚しくて虚しくて・・・

これは、NHKのETV特集が紹介していた女性の言葉。
女性は、原発事故のために避難していたが、
まさにその地区が汚染のひどいホットスポットと知らされた。
そこは、浪江町赤宇木地区。

調査は、学者たちが自主的に行ったもの。
放射能の汚染地区を独自に開発した器材で調査、
その結果、ホットスポットと呼ばれる汚染地区に
避難している人たちがいることを発見して、
汚染を知らせたという。

そこが汚染地区であることは、国は把握していたが
風評被害を恐れて、地名を公表していなかったという。
学者たちの自主的な調査が行われなかったら・・・

余りに巨大な、また、初めてのことだから
様々な失敗はある程度、仕方ないとしても
命に関わることに国が、こんなにも無神経なのは
許されることではないでしょう。

また、こんな重要な問題を取材したNHKは
なぜ、教育テレビで放送するのか?
ちょっと疑問があります。

 

 

 

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原発情報です 平 和平

2011年05月16日 11時36分48秒 | Weblog

原発事故は、1号機のメルトダウンが明らかにされました。

 比較的ダメージが少ないと言われていた1号機ですら、大変な事態に

あったことが明らかにされた訳です。

 その他は大丈夫か? という疑問が湧きます。

 

 そこで、以下のアドレスまたは、小出裕章(京都大学助教授)で検索す

ると政府・東電の発表以外の情報を得る事ができます。

 関心のある方は、そちらで情報を確認ください。

 

(アドレス)

http://www.hiroakikoide.wordpress.com/

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       これがプロという名の人の記者会見      只今   

2011年05月14日 19時22分19秒 | Weblog

       東電と保安院の実況記者会見を「ニコ生」で観ました。
   約2時間ですが、一度始めから終わりまで聞いて、観てやってください。 

   〈東電の記者会見〉=15日11時 
    【問】 一号機建屋の地下に、高濃度の汚染水が西から東へ流れているということですが、
      こうした水の動きについて東電はなぜ黙しているのですか? 
    【答】 西から東へですか、そのことについては、ちよっと確認させてください。

    【問】  細野審議官は先ほど心配なのは三号機と言われましたが、これは何を意味しているのでしょうか。
    【答】 1、2号機に比べれば、ということだと思います。
       温度が少し上昇していますのでホウ酸注入などをして
いますが、
       念のためにしているということで
ありまして、現状はなかなか臨海には…
       再臨海にはなりにくいものです。  
   

    〈保安院の記者会見〉=15日17時50分
     【問】 細野審議官が言われる3号機の心配について。
     【答】 消火系ラインで対処してましたが温度が上昇したので給水系に切り替え…。 
        あぁ、最悪の事態は何か、ということですか? それはえーっと
       
 (くどくど言うも、再臨海ということ) 
         えー、しかしそうした「空焚き」状態になったときのことをいま想定するということは、
        あまり意味があることとは思われませんので…

     【問】 東電は先ほど(18時) 1号機の溶融について認めたということですが、
        それについて保安院はどう評価されますか。
     【答】 3月11日から15日までのデーターは、停電などあってないということで、
        これまでは当方も推測が多かったのですが、今後の原因究明には欠かせないもですから、
        それをなんとかと要望し、近く出されるものと思っています。 評価はそれを受けて…。
     
     【問】 死亡者が出て、死因は心筋梗塞と東電は発表していますが、保安院としての見解を。 
     【答】 まだ報告を受けていません。健康管理、安全対策については、東電に委ねています。
 

    ※ 印象的だったのは、質問する記者の「すみませんが」「お教えいただきたいと」「ありがとうございました」
という礼儀正しさと、決して追求質問をしないことでした。

                    

    

 

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  労組の皆さんへ   只今

2011年05月14日 08時11分02秒 | Weblog

 ●原発事故に伴う損害賠償支援の枠組みについては、
「電力系労組の支援を受ける議員(民主党)らから〈国の負担をもつと明確にすべきだ〉との意見が出て」関連法案の今国会提出は見送られそうとの報道(朝日新聞)がみられます。 
 【電力総連】は、旧民社党系を支える有力な労組ではありますが、かっては原発立地反対運動を地元住民と共に展開した中国電力のような労組も傘下にありました。 
 電力総連さん、今は国民存亡の危機であります。小さな枠組みから一歩外に出てくれませんか。

 ●公務員給与の削減を求める管政権に対して、
 【国公労連】は、認められないと12万人の反対署名を提出したとのこと。
 管政権のこの仕業は、平時ならば許されるものではありません。しかし、自ら(議員)の削減を確言した上での交渉にはこの難時です、なんとか乗ってやってください。【自治労】も【自治労連】も。

 ●「テレビ等で原子力推進見直しにつながる発言すると、要注意視される」(落合恵子談)
 このことについては、これまで言論の自由を守るために果敢に闘った歴史を持つ【民放労連】 【新聞労連】さん、
 今こそ、表現の自由を守る真の瀬戸際です。 春闘だけに傾かないでください。

 
 ●しかしこれらのことは、労組の問題とするのは正しくないのかもしれません。
 例えば、『中日新聞労組』は【新聞労連】に加盟していません。 しかし、労組員である知人のAは少なくとも「御用組合労組員」ではありません。 やはり個人の問題なのでしょう。
 中日新聞編集局長の志村清一さんは、14日付コラムで、次のような発言をしていてくれます。
   =管首相は浜岡以外の原発について「見直す考えはない」と明言した。
    これだけ行きづまり、各国から後ろ指をさされているのに、何もしないのは最低=
 こうした発言を管理職の編集局長がしてくれることに、気弱な小生はとても勇気づけられます。
 しかし考えてみれば、極めて当たり前の発言に元気を与えられること自体、異常な事態!

 

 

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辺野古撤回へ、米で超党派提案  文科系

2011年05月14日 08時11分02秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

辺野古撤回が米で提案   文科系

 13日のアサヒ・コムにこんなニュースが載っていた。超党派の有力議員たちの再検討声明だから、どうやら辺野古移転は白紙になりそうだ。

『 米議員提言―脱「辺野古」への一歩に

 誰もが実現は難しいと思いながら、誰も見直しを口にしない。そんな膠着(こうちゃく)状態に大きな一石を投じる提言である。
 米上院のレビン軍事委員長ら超党派の有力議員が、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を断念し、米軍嘉手納基地への統合を検討するよう求める声明を発表した。

 日米両政府とも今のところ、現行計画を見直す考えはないとしている。しかし、国防予算の編成権を握る軍事委の重鎮が、辺野古移設を「非現実的で実行不可能」と断じた意味は重い。
 提言に先立ちレビン氏らは、東京、沖縄、グアムを訪れ、仲井真弘多・沖縄県知事らから実情を聴いた。ゲーツ米国防長官とも意見を交わしたという。
 提言の背景には、軍事費を極力抑えたいという米国側の財政事情もあるのだろうが、ともあれ政治的に高いレベルで熟慮を重ねた上での判断に違いない。

 民主党政権が「最低でも県外」の公約を違(たが)え、自公政権時代と同じ辺野古移設に回帰したことで、県内移設を拒む沖縄の民意は決定的となった。
 昨年5月の日米合意から1年たつのに、両政府はいまだ、辺野古に造る滑走路の具体案も決められずにいる。2014年までの移設完了は絶望的だ。
 「絵に描いた餅」にいつまでも固執せず、次善の策を真剣に探るべき時ではないか――。このメッセージを、日米両政府は正面から受け止めるべきだ。

 嘉手納統合は、これまで何度も検討されながら、日米双方の事情で結局は見送られてきた案である。米側は、空軍の航空機と海兵隊のヘリコプターを同じ基地で運用することに強い難色を示してきた。米側が軟化したとしても、嘉手納周辺自治体の理解を得るのは容易ではない。
 当山宏・嘉手納町長は早速、「町も住民も断固反対だ。国外移転しか道はない」と語っている。2万人を超す嘉手納周辺住民が、夜間、早朝の飛行差し止めと損害賠償を求めて、裁判を起こしたばかりでもある。
 嘉手納の既存の機能を米国や日本の本土に分散移転させ、地元負担は決して増やさない。そんな確かな枠組みでも示さなければ、調整すら難しかろう。
 菅政権は東日本大震災からの復旧・復興や原発事故への対応に手いっぱいなのが実情だ。
 とはいえこれまで辺野古移設を一歩も譲らなかった米国側から、現実を見据えた柔軟な発想が示されたことは貴重である。これを生かさない手はない。日米両政府は、現状を少しでも前に進めるテコとすべきだろう 』

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原発、酷いニュース二つ   文科系

2011年05月13日 11時20分19秒 | 国内政治・経済・社会問題

原発、酷いニュース二つ   文科系

 今問題になっている1号機のメルトダウンは、小出裕章氏がずっと繰り返し指摘、警鐘してきたこと。この指摘は、ここでも何回かご紹介した。彼は今でも、1号機について再臨界発生を恐れているはずだ。


 ところが、昨日と今日、あと二つの非常に深刻と思われる記事が、中日新聞に載った。一つは昨日のもので、「高濃度汚染水 再び海に 福島第1 3号機立て坑から」。
 そしてもう一つは。本日の27面に、「79年に被ばく 元原発作業員」。原発運営が昔から、多くの作業員に酷い被爆状況を強いて成されていたことが分かる。それも無知作業とその黙認のままに彼らを放置して。そんな彼らが今、労災にも認定されないのは何故なのか。「高給だったのだから、覚悟していたはず」とでも言うのだろうか。だとしたら、金で人のほっぺたを叩き、無法を通す確信犯だ。労基局までがこの犯罪のグルだったということなのか? 社会問題にさせないための隠蔽工作をする、「労災」監督官庁? それなら「労災促進官庁」ということになるが。とんでもないことだ。

 ともあれ今日は、3号機立て坑の高濃度汚染水問題を取り上げたい。漁民たちの遠い将来までがかかった、とても恐ろしい事実が、ここには含まれていると考えるから。
 以前2号機が高濃度汚染水を垂れ流しにしていたと、大問題になったことがある。ところが、その2号機の垂れ流し目視点検が、4月20日で打ち切りになったのだという。そして酷いことに、こんなことが書いてあるではないか。
『福島第1原発3号機から11日、高濃度の放射能に汚染された水が海に流出していることが分かり、ほぼ同じ状況で流出した2号機の二の舞となった』
『11日昼に作業員がこの立て坑に水が流れ込んでいるのを見つけた。水位は上がっておらず、近くの海に漏れ出していると判断した』
 そして、今回の何よりも唖然とした話が、こうだ。
『3号機の立て坑は開口部にがれきが積み重なった状態で、11日に取り除くまでそもそも目視確認を一度もしていなかったことも分かった』

 3号機って、恐ろしいモックス燃料を使ったものではなかったか。だから近寄れなかった、だから目視もできなかったと、そんな疑念さえ湧いてくる。それにしても、漏れ始めたのはいつのこと? 3月からずっと垂れ流しだったのだろうが、大変なことだと思う。こんな重大なこと、なぜロボットを使うかなにかしてでも、至急に確認しなかったのか。半減期が恐ろしく長く、かつ透過力が強い放射性物質だったかで、海、漁民への影響は計り知れないと思うのだが。


 東電の事故処理作業はもう、伏魔殿というしかない。今後も何が出てくるか分からなくって、恐ろしい。国民を何だと思っているのか!

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   夕焼けがみられるために    只今   

2011年05月13日 10時33分41秒 | Weblog

  本ブログでのコメントなどをめぐって、かみ合わぬことしばしば。
 その一因に、いわゆる「文系」と「理系」の相克があるのではないか。
と手前勝手に思い、朋友の「文系人間と理系人間」なるエッセイが参考になればと、
その一節を陳列させていただきます。

 =理系人間の文系人間への批判はこうです。
「文系人間のいうことは〈私的経験〉の叙述でしかなく、誰にでも接近できる〈公的経験〉としての科学のように明確性を欠く」

 それに対する文系人間の反論はこうです。
「科学の知は、しょせん、数え、量り、比べるという計量化にしか過ぎない。従って科学は、例えば夕焼けの美しさを天候などの気象条件、日照角度、その折りの空気中の成分などのデーターとしてしか提示し得ず、それらは夕焼けの美しさそのものではない。それを表現しうるのは例えば、詩歌などの文学的表現や絵画などにほかならない。」

 実は、文系人間の私もそう考えていた時期があります。
 しかし、フランスのある哲学者が喝破したように、科学的知であろうが芸術的知であろうが、それらは記憶し記録された現実の代用としてのいわゆる「代補」であるに過ぎないとしたら、ともに夕焼けそのものでは決してないのです。(中略)

 今日、理系人間のある人たちは、自分たちが生み出してきたものを慈しみながらも、
 その未来への恐怖の予感におののいています。
 一方、文系人間はと言えば、実際にはその恩恵に最大限浴くしながら、
 その行く末に眉をひそめて見せたりしており、この段階では理系人間のほうが誠実であるかもしれません。
 いずれにしても、文系や理系の二つの文化の対立という図式がもはや無効であるような事態がすでに現われているのですが、とりわけ、文系人としてはこの事態をシニカルに眺めるのではなく、そこへとわけいり、来るべき時代について考えるべきだと思うのです。=


 

 

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フクシマ1号炉に溶融     らくせき

2011年05月13日 09時21分39秒 | Weblog

東電がフクシマ1号炉の溶融を発表。水を入れても入れても追いつかないのだから

この事態は想定内のはず。では、なぜ、今、発表したのか?

危険が一応回避されて一段落、一時帰宅、補償のワクグミもまとまりかかり、ここを逃しては

これまで公表してこなかった事態の深刻さを国民に知らせるタイミングを逃す・・・

と、こんなことじゃないでしょうか?

国民向けの工程表のほかに、国民に毒薬を飲ませるための工程表もあるみたい。

こういうのを情報操作って言うんでしょうね・・・・

国民がパニックにならないための必要な措置という見方も当然あるでしょうが・・・

いずれにせよ、火事の鎮火には、まだまだ時間がかかるし、方法の再検討も。

 

 

 

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憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑦―

2011年05月12日 23時00分43秒 | Weblog

(8)もし「本土決戦」が行われていたら

 「本土決戦」とはどういうものであったか?国民の前にはどんな運命が待っていただろうか。戦争があと半年、1年続いていたらどうなっていたかということです。それは「狂気」の時代でした。

 1845年6月、連合軍には「沖縄戦」以後の作戦計画が出来上がっていました。「ダウン・フォール作戦」と呼ばれています。

 作戦は2つに分かれていました。1つは45年11月に九州へ上陸するという「オリンピック作戦」、もう一つは46年3月に関東平野に上陸して日本を分断するという「コロネット作戦」です。

 一方、日本側はこのことを知っていました。対抗する作戦を、陸軍は「決号作戦」、海軍は「天号作戦」と名づけていました。国民には「本土決戦」・「一億総特攻」・「一億玉砕」というスローガンが呼びかけられました。

 具体的にはどんな対策だったのか、その一部を紹介します。

 45年6月に「義勇兵役法」が制定されました。「国民皆兵」です。終戦の2ヶ月前でした。中を見ると、「勅令」という言葉がやたら目立ちます。天皇の命令ということです。

 何しろ《人間の姿をした神様》の命令ですから、拒否すれば罰則が付きます。どんな罰則か。2年以下の懲役と言うことになっていますが、現実性が全く無い。戦争が1年も2年も続くと思ったのでしょうか?しかも全土が戦場です。どこへ収容するのか。

 全員が「軍人」であるから、「陸軍刑法」が適用されて「死刑」判決を受け、その場で「銃殺」されたのではないかと思います。 

 大本営陸軍部は「国民抗戦必携」という小冊子を配布していました。そこには国民が用意すべき武器が書かれています。→刀剣、槍、竹槍、鎌、玄能、出刃包丁、鳶口・・・・。

 出刃包丁を手に、槍ぶすまのように並んだ機関銃や火炎放射器、さらには戦車に向かって突撃して行く姿を想像してください。地獄です。

 特攻攻撃機としては「剣」甲型(キー115)や「タ号特別攻撃機」の生産を急がせていました。主翼以外の材料は鋼管、ブリキ、ベニヤ板などの簡単に手に入るもので作られました。1回使えばよいのです。

 離陸したら車輪が脱落してしまうようになっていました。着陸など必要なかったからです。操縦性は最悪で、とても扱いきれるものではなく、実用化のための改修中に終戦になりました。

 海軍も考えました。潜水服を着用した兵士を海中に忍ばせ、棒の先に爆薬を装備し、侵攻して来た敵の上陸用舟艇を下から突き、自分もろとも爆破させようという作戦です。爆雷の数発も投下されたら全滅です。

 なお、作戦決行の前に、足手まといになる赤子、幼児、老人などは「殺害」する計画もありました。45年4月に大本営陸軍部が出した「国土決戦教令」に明記されています。

 「青酸カリ」を飲ませるのです。私の町内ではそれが配られるのを見ています。そのときは分からなかったのですが、大人になってから分かりました。

 こんな作戦が真面目に検討されました。「1億総玉砕」だから、国民の命などどうでもよいのです。「民族抹殺作戦」です。

 これは決して架空の話ではありません。戦争があと半年、1年と続いていたらこうなった筈です。私など、1946年以前に生まれていた人は今日、全員生きてはいませんね。それ以後に生まれた人は・・・・生まれている筈がありません。

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憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑥―

2011年05月12日 22時58分27秒 | Weblog

(7)学童疎開の体験

 空襲があった後、学校ごと「疎開」という引越しをしました。子どもは邪魔であるということと、食糧が足りないというのがりゆうだったようです。

 親戚などを頼って個人的に引越しをする子もいました。こちらを「縁故疎開」、学校ごと「疎開」することを「集団疎開」と呼んでいました。

 私の場合、「集団疎開」でした。三重県の一志郡のある村ですが、この村へ分散して生活するわけです。学校は現地の学校に入るのですが、ここではひどい目に遭いました。

 四男の兄が入れ替わりに卒業して名古屋に帰ったのですが、これがどうも相当な「いじめっ子」だったらしい。”○○の弟がやって来やがった”ということで、今度は私がひどい虐めに遭いました。

 惨めだったのは、近くの寺の本堂で一斉に食べる食事です。少ない量なのに、それを上級生たちが”少し頂戴ね”と言って、入れ替わり立ち替わりに取って行ってしまう。しまいには1口分しか残りません。すぐそばに先生がいたのですが、何も言ってくれません。知っていたはずだと今でも思っています。

 もっと惨めだったのは、親たちが時々日用品や食べ物を持って見舞いに来たときのことです。全員の親が来るのではないのです。見舞い品を持って来られる家だけです。

 3間か4間続きの部屋の真ん中に親が車座になり、横に座った自分の子に持ってきたものを食べさせる。食糧難の時代ですから、我々にくれるはずがありません。来てもらえなかった子たちは空腹のまま外へ行くのです。見たくはないからです。

 夜は最も悲惨です。彼らは見舞いの品の食べ物が亡くなるまで、連日のように車座になってパーティを開きます。

 リーダーが”乾杯!”と叫び、一口ごとにわれわれに見せびらかしながら食べるのです。

 われわれは壁を背にして座ったままそれを見ているのです。仲間入りのできなかった6年生の上級生が”見るな!見るな!”と囁くように怒鳴るので、パーティが終わるまで、じっと下を向いたまま過ごすのです。

 4年生に荻野君という子がいました。いじめられっ子だったのか、よく上級生に殴られていました。この子がよく私を庇ってくれました。

 先生の居室には「乾パン」の入った箱が一杯あったのです。配ってもらった記憶は全くありません。彼は先生の部屋に忍び込んでいくつかを盗んで来るのです。私の手を引い近くの畑の中に入り、そこで食べさせてくれました。こうやって少しではありましたが、飢えを凌いだものです。

 私の様子を知ったのか、母が迎えに来てくれました。しばらく名古屋にいた後、島根県の母の実家へ姉と疎開しました。ここで終戦を迎えています。

 そこでも嫌な体験をしました。田舎の学校で1年生1学級だったのですが、ある日、学級に「雨合羽」が3着支給されたのです。籤引きの結果、1着が私に当たったのです。雨降りの日には藁で作った「蓑」を被って通学していた私にとって、これは天にも上るような嬉しい気持ちでした。

 途端にクラスの子たちから抗議が出されたのです。曰く、”町から来たばかりの者が貰って、前からいた者が貰えないのはおかしい”ということです。

 1着分について直ちにやり直しになりました。私は籤引きに参加できないのです。《よそ者》という扱いだったのです。このような仕打ちをたびたび受けました。

 戦争は人間の心をこんな風に歪めてしまうのです。これも思い出したくない出来事の一つです。

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憲法9条を守る活動を貫いた旧友の遺稿―⑤―

2011年05月12日 22時55分55秒 | Weblog

下前津あたりがまだ燃えていないので、そこを通り抜けて鶴舞公園を目指しました。と友、家々の前にあった防火用水を何度も頭から掛けられました。ものすごく臭かった印象です。機銃掃射を受け、何度も汚い溝の中に突き落とされたような記憶もあります。

 後に読んだ本で、空襲した地域の1ヶ所だけをわざと空けて、そこを通り抜けようとした人に機銃掃射を浴びせるという記事があったことも覚えています。

 やっと、鶴舞公園に来たもののl、長兄はここへ入ることを許しませんでした。”ここは高射砲陣地がる。爆撃されるかもしれない。”ということです。

 北の方へ逃げ、東新町まで来ました。この辺りは少し前に空襲を受けたのでしょう。焼け残ったビルがいくつかあったのですが、ここなら安全と思ったのか、その中の一つに入りました。

 すでに、何人かの人がいました。ひとりのおばさんが、”持ち出すことが出来たのはたったこれだけだった。”と言ってコンロと食パンを見せてくれました。

 ”坊やたちも食べるかい”と言って、ちぎって焼いたパンをくれました。とてもおいしかったことを覚えています。

 やがて空が明るくなったので、家へ戻ることにしました。私の家はもちろん、辺りの家も全て焼け落ちています。

 防空壕を見てびっくりしました。「ぺしゃんこ」に潰れていました。逃げずにそこにいたら、私の命は7歳で終わっていたでしょう。

 近所に父の兄夫婦がいました。ここも命令で建物が壊されていたのですが、奥の「蔵」だけが残され、伯父夫婦はそこに住んでいました。

 父と母はそこにいました。消火の際の煙と炎のせいか、一時的ですが、母は眼を開けることができませんでした。塞がった目から涙が出ていました。”何もかも無くなってしまった”と泣いていた光景がまだ目に浮かびます。

 島根県の母の実家におくろうと準備をしていた荷物は全て燃えてしまいました。残ったものは避難した際、兄たちが引いていた乳母車の下着などと、空襲の数日前に母が庭の一隅に埋めた食器だけでした。

 父の会社の上司の家が昭和区の高辻と滝子の中間にありました。当面そこの家の一部屋を借りて住むことになりました。

 ところが、この辺りは「日本碍子」などの工場がたくさんありました。当時は軍需工場にされていました。1週間後の3月19日の深夜、この地域が空襲を受けました。

 上司の家は建物の下に防空壕が掘られていました。でも、父はここへ避難しることを許しませんでした。もし、家が燃えたら、中に入った人間は「蒸し焼き」になてしまうからです。

 といって、入るところがありません。少し離れたところにある小さな空き地、小公園ともいえるところでしょうか、そこへ避難しました。

 空が丸見えです。近所の人が運び込んだ家具の間から空を見上げているのです。急降下してくるB29の機体が炎を反射して真っ赤になっていること、焼夷弾が花火のように降り注ぐ光景を覚えています。

 少し離れたところにたくさん落ちたのですが、直撃を受けたら即死です。死んじゃうのかなあと思ったりしました。

 幸いにも助かり、家へ戻ったら、上司の家はほとんど焼けていました。もし、防空壕に入っていたらと思うとゾッとします。

 この空襲の夢は60年以上たった今でも夢に見ます。しかも、カラーです。目が覚めると体中が汗びっしょりになっています。

 わたしの平和への願いのささやかな原点がここにあります。《戦争は2度とごめんだ。何としても「9条」を守りたい》と願うものです。若い人たちがこんな体験をされないよう、心から願っています

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またまた、九条改憲の動き  平 和平

2011年05月12日 19時55分42秒 | Weblog

新聞報道によれば、民主党は10日の常任委員会で、党憲法調査会を設置し、前原誠司前外務大臣を会長にしました。
 前原さんは、民主党内の改憲・タカ派リーダーで、改憲運動をするためにつくられた新憲法制定議員同盟(会長:中曽根康弘元首相)の副会長に2008年から就任、外相当時(憲法99条違反)も含め、現在も副会長に在職しています。
 前原さんは「96条を改正(改悪)してハードルを低くすべきだ」また、「現在の憲法には緊急事態に関する規定がない、有事には個人や地方に従ってもらう必要があり、お願いベースではうまくいかない」などと話し、震災や原発事故を利用して、個人の権利や地方自治を抑え込む、強権的な体制整備(自民党の新憲法草案の考え方)をつくり上げることを明らかにしました。
 岡田幹事長は「前原さんのもとで憲法論議(言うまでもなく改憲)をしっかりしていく」と発言し、民主党関係者は「これで衆参両院の憲法審査会が動くことになる」と語ったそうです。
 民主党は、今週にも参議院で憲法審査会の規定の議決を行う、ことにしており、自民党などは、衆参両院で憲法審査会の委員の選任を進め、両院で審査会を始動させることを狙っています。
 民主党の改憲の動きは、政権交代の時に「自公政治からの脱却」を期待した国民を裏切るものであり、恒久平和を求める「平和憲法」をないがしろにする行為です。
 このような民主党、自民党の≪憲法改悪大連合≫の動きを多くの国民に知らせ、平和の声を大きくしないと、大震災・原発事故を逆手にとり、国民を縛り付ける憲法がつくられ、戦争をする国日本ができあがる恐れが十分あります。
 昭和区九条の会をはじめ、全国の九条の会がより一層、護憲・平和運動を繰り広げ、警鐘を鳴らす必要があるのではないかと思います。
                 

コメント (3)
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