山本義隆「核燃料サイクル という迷宮 - 核ナショナリズムがもたらしたもの」みすず書房 (2024/5).
出版社による紹介*****
日本のエネルギー政策の恥部とも言うべき核燃料サイクル事業は、行き場のない放射性廃棄物(核のゴミ)を無用に増やしながら、まったく「サイクル」できないまま、十数兆円以上を注いで存続されてきた。本書は核燃料サイクルの来歴を覗き穴として、エネルギーと軍事にまたがる日本の「核」問題の来し方行く末を見つめ直す。
日本では、戦前から続く「資源小国が技術によって一等国に列す」という思想や、戦間~戦中期に構造化された電力の国家管理、冷戦期の「潜在的核武装」論など複数の水脈が、原子力エネルギー開発へと流れ込んだ。なかでも核燃料サイクルは、「核ナショナリズム」(疑似軍事力としての核技術の維持があってこそ、日本は一流国として立つことができるという思想)の申し子と言える。「安全保障に資する」という名分は、最近では原子力発電をとりまく客観的情勢が悪化するなかでの拠り所として公言されている。
著者はあらゆる側面から,この国の「核エネルギー」政策の誤謬を炙り出している。地震国日本にとって最大のリスク・重荷である原発と決別するための歴史認識の土台、そして、軍事・民生を問わず広く「反核」の意識を統合する論拠が見えてくる労作。*****
1/13 日付で紹介した「プル子よさらば」の序文で,著者は反語的ではあるが,愛国心を標榜している.その底にあるのは,核ナショナリズム...疑似軍事力としての核技術の維持があってこそ,日本は一流国として立つことができるという思想であろう.
この「核燃料サイクル...」には石破茂の発言が紹介されている.「原発を維持すると言うことは,核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れると言う <核の潜在的抑止力>になっていると思います.逆に言えば,原発を無くすということはその潜在的抑止力を放棄することになる」2011 年 10 月「SAPIO」.ノーベル賞を受賞した被団協代表が首相との面会で,核禁条約への姿勢を批判していたが...
このように本書の論拠は,誰にも手に入る新聞雑誌記事である (ただし戦前にまで遡る例もある).特に新しいことが書いてあるわけではない.でも地球温暖化への原発の効用 (がないこと) あたり,教科書的にも役に立ちそう.
核エネルギーという沈没必至の泥舟に日本が乗っていることについて,具体的な解決策が示されていないことに共感した.
学生時代に 16 トンが薫陶を受けたのは,高木仁三郎,水戸巌,古川路明 (敬称略) といった方々であって,山本氏は優秀なアジテータという認識であった.それ以来氏の著書も敬して遠ざけていた.もっと読みたいかと聞かれると,読みやすくはないな と躊躇する.文章に往年のタテカンを思い出させる部分があるのがご愛嬌.
ひさびさの みすず書房の本はやはり美しい.
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