ここのブログ記事がきっかけになったらしく,武藤先生について書くようにとの依頼をいただいた.東京都立戸山高等学校の先生・生徒の関係だったのだが,この戸山高校について,あるいは都立高校一般について,前置きを書いたほうがいいか と迷っているところ.
高校の評価法のひとつは,東京大学へのその年の入学者数である.ぼくが高校を卒業した 1959 年のランキングでは,日比谷,戸山,新宿,西,小石川という都立高校が5位までを占めていた (6位以下,教育大-いまの筑波大-附属,麻布,都立両国,開成,湘南...と続く).当時の東京大学は「東京ローカルの」大学という側面があった.
このように戸山高校は東大への進学校であった.しかし何人かの先生の授業は受験を無視していた.さらに1年生の社会科で「ソクラテスの弁明」を読ませるとか,George 0rwell の Animal Farm を2年生の英語の教材にするとか,不思議な伝統があった.一年浪人すれば東大に入れるだろうというムードがあり,ぼくの場合は幸いそれが実現した.生徒はけっこう高校生活を enjoy したと思う.
旺文社,駿台予備校などの受験産業がのさばってはいたが,まだまだ良い時代だった.
高石ともやの「受験生ブルース」流行はそれから約 10 年後のことである.
東京都が 1967 年に学校群制度を実施した.高校間の格差をなくすためにいくつかの高校で「群れ」を作り,その群れの中で学力が平均になるように合格者を振り分けるという制度である.その約3年後から (戸山をふくむ) 日比谷以下の都立有名校はランキングから脱落した.2024 年度の東大進学校ランキング https://www.inter-edu.com/univ/2024/jisseki/todai/ranking/ によれば,現在の東大は私立高校から全国規模で学生を集めている.
ぼくたちの時代は都立 (一般的には公立) 高校は授業料が安かった.都立高校から国立大学へ,が安上がりコース・親孝行コースだった.
当時 出世民主主義・受験民主主義という言葉があった.貧乏人でも受験戦争を勝ち抜き,旧帝大を出ればそれなりの未来は約束されるということである.現在は良い大学に入るには,良い すなわち授業料の高い私立高校に入らなければならない.
トップ画像は国立大学の授業料の推移.ぼくが在学した1960 年代初頭には年額1万円に届かなかったと記憶している.しかし東大は 2025 年度に入学する学部生から授業料を,現行 53 万から2割値上げし,年間 64 万円超とするそうだ.
貧乏人は東大,いや その前に予備校である高校に入れない.出世民主主義は終焉して久しいらしい.
ぼく的には出世しないで済んだのは幸いだった.1960 年代末,都立高校の凋落は全共闘の時代と同期していた.高校が目指す先では「東大解体」が叫ばれ入試が中止になった.当時は大学院で原子力工学を専攻していたが,院生仲間の議論であっさり原発否定が結論されることとなった.ぼく自身を含む多くの院生が,全共闘の「自己否定」というスローガンを受け入れざるを得ないことになった..
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます