中島 国彦「森鷗外 学芸の散歩者」岩波書店 (岩波新書 2022/07) .
ご多分に漏れず,漱石はたいてい読んでいるが,鴎外は読んでいない.そのくせ次女・小堀 杏奴「晩年の父」は読んだ.高校の国語の教科書に「渋江抽斎」の一部が載っていたような気がする.「ヰタ・セクスアリス」は高校時代に覗いたが,途中で放り出した.
Amazon の本書の紹介
*****恋愛、性欲、大逆、殉死──多彩な、時に問題視される小説を次々に発表。翻訳や論争や雑誌活動にも精魂傾け、軍医高官として論文執筆や公務もこなす。荷風や啄木や一葉など後進の作家にも目をかけ、子どもたちからは優しいパッパと慕われる。「時代より優れ過ぎた人」鷗外の歩んだ遥かな道程を、同時代の証言とともに辿る決定版評伝。*****
鷗外についてほとんど何も知らないので,ありがたく拝読するしかない.著者はあまり表に出ようとしない客観的な書き方だと思う.山崎正和「鴎外 闘う家長」などと読み比べてみようか.
初期の作品の引用は,高校以来の文語体で閉口した.
舞姫のロマンスとか,最初の妻の離縁とか,下世話な興味は満足されなかったが,そもそも資料がないらしい.Wikipedia には後妻の志げについて「美人の誉れ高かったが、世間的には悪妻として有名だった」とある.本書では,勝手な里帰りを扱った短編小説「半日」に関する記述があるくらい.志げも 20 編以上もの小説を書き,全集も出た.
軍医高官としては左遷されたりする.「医務局に於いて文芸上のものの校正をする」と非難されたりする.江戸っ子だったらせっせと辞めてしまったと思うが,引退は 54 歳になってから.その後も帝室博物館総長兼図書頭とか帝国美術院長とかを引き受けている.
鷗外の子供たちの名前がドイツ人のファーストメームに漢字を当てたものであることは知っていたが,長男・於菟(おと)も父に倣って真章(まくす),富(とむ),礼於(れお),樊須(はんす),常治(じょうじ)と名づけている.於菟だけが先妻の子どもだが,自身は子どものとき,変わった名前で嫌だと感じたことはないとみえる.
巻末の索引が作品名のものだけというのは不満.
岩波新書には,長島要一「森鷗外 文化の翻訳者」(2005/11) も出ている.もちろん読んでいない.
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