【社説①・02.19】:有本明弘さん/娘との再会果たせぬまま
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・02.19】:有本明弘さん/娘との再会果たせぬまま
北朝鮮に拉致された神戸市出身の有本恵子さん=失踪当時(23)=の父、有本明弘さんが15日、老衰のため亡くなった。96歳だった。
長年、妻嘉代子さんとともに支援を訴える署名活動などに奔走してきた。しかし、生存を信じ、待ち続けた娘との再会は果たせないままだった。無念さは察するに余りある。
嘉代子さんも5年前に他界し、帰国できずにいる拉致被害者の親世代で存命なのは横田めぐみさん=同(13)=の母早紀江さん(89)一人となった。家族らが出口の見えない苦しみから救われる日は来るのか。政府はあらゆる手を尽くして北朝鮮と交渉の扉を開き、一刻も早く被害者全員の帰国を実現してもらいたい。
有本さんの三女恵子さんはロンドン留学中の1983年夏、旅先のデンマークから家族にあてた手紙を最後に消息不明になった。88年、他の拉致被害者が日本に送った手紙で恵子さんが北朝鮮にいると判明した。
拉致の疑いが発覚すると、有本さん夫妻は外務省や国会、警察を何度も訪ね、娘の救出を求めた。97年には横田さんらと「家族会」を結成し、耳を傾ける人も少なかった時期から街頭で声を上げ続けた。
事態は2002年、小泉純一郎首相(当時)の訪朝で急転する。北朝鮮は正式に拉致を認め、5人が帰国、恵子さんら8人は死亡したとされた。それでも夫妻は諦めず、政府への要望行動や全国各地での集会に積極的に参加してきた。
明弘さんは歴代首相や米大統領らと相対しても、救出を求めて直言する姿勢を変えない。飾らない人柄と行動力は家族会の中心的存在だった。「恵子の顔を見るまでは死ねない」と訴えてきたが、最近は「年齢的にも限界だ」と漏らすようになった。昨年秋に体調を崩して一時入院し、最期は自宅で家族に見守られ穏やかな時間を過ごしたという。
長女の昌子さん(68)によると、家族の前では拉致問題の話題はほとんど口にしなかった。家族会の活動には嘉代子さんと2人だけで参加し、昌子さんらきょうだいが手伝いを申し出ても「自分たちの代で終わらせる」と受け入れなかった。活動のつらさを誰よりも知っていたからだろう。子どもたちには引き継がせないという決意に込められた、家族への深い愛情が伝わってくる。
石破茂首相はトランプ米大統領との会談で拉致問題解決への支持を取り付けた。だが首相が掲げる日朝相互に連絡事務所を置く構想に関し、家族会は「時間稼ぎに過ぎない」と反発している。政府は外交ルートを駆使するとともに、家族らと丁寧に対話を重ね、解決への突破口を見いださねばならない。
元稿:神戸新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2025年02月19日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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