【主張②・11.17】:女川原発送電再開 過度の懸念は払拭したい
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【主張②・11.17】:女川原発送電再開 過度の懸念は払拭したい
東北電力・女川原子力発電所2号機(宮城県)で生まれた電力が15日夕刻から、送電線に乗って同電力管内の家庭や商店、工場などに届いている。
平成23年の大震災後、東日本における初の原子力発電再開だ。電力安定供給力の増大効果は、東北地方をはじめ、首都圏にも及ぶ。再稼働を達成した東北電力と協力企業の長年の努力を高く評価したい。
東北電力の女川原発。左手前から2号機、1号機 右は3号機
女川2号機の送電開始は、もう1つの見地からも注目に値する。沸騰水型軽水炉(BWR)の再稼働は全国初なのだ。
大震災後、時の民主党政権下で国内の全原発が停止に追い込まれた。その中で原子力規制委員会の安全審査に合格し、27年以降、再稼働に進んでいったのは、九州電力、関西電力、四国電力の加圧水型軽水炉(PWR)の原発だった。
これに対してBWRは、再稼働の前提となる安全審査の合格も遅れた。最大の理由は大津波で炉心溶融事故を起こした東京電力福島第1原子力発電所の原発がBWRであったためだ。
またBWRには、万々が一の事故発生時に周辺への放射性物質の拡散を防止するためのフィルター付きベント設備の導入が義務づけられた。これも遅れの一因となった。
13年前の大震災で海抜14・8メートルの敷地に立地していた女川原発は、高さ13メートルの津波に耐えた。今回の再稼働のために、東北電はさらなる安全対策として海抜29メートル、総延長800メートルの巨大防潮堤を完成させている。
こうした安全対策の大幅強化にもかかわらず、女川原発が牡鹿半島に位置していることなどを理由に、住民避難の難しさを主張する声もある。そうした懸念に固執する人々は、23年3月の大震災当時の出来事を思い出してはどうか。
大津波で被災し、寒さに震える地元住民が女川原発に助けを求めた件である。発電所員は自分たちの食事を減らして被災者に毎日2食を提供して守り抜いた。一時は364人を数えた地元の人々が約3カ月、原発の施設で暮らしたのだ。
女川2号機の送電再開を、原発への偏見や過度の恐れを改め、冷静な視点で日本のエネルギーを考える糸口としたい。地政学的リスクも踏まえ、原発の役割を評価すべき時機にあることを忘れてはならない。
元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【主張】 2024年11月17日 05:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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