《社説①・12.27》:学習指導要領 現場の主体性 柱に据えよ
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説①・12.27》:学習指導要領 現場の主体性 柱に据えよ
学校現場は余力を失って疲弊し、閉塞(へいそく)感を強めている。裁量をわずかに広げるだけでは足りない。上意下達の縛りを根本から見直すことが不可欠だ。
小中学校、高校の学習指導要領である。2030年度以降の導入に向けた改定を、阿部俊子・文部科学相が中央教育審議会に諮問した。学校現場の裁量を拡大し、教育課程を柔軟に編成できる仕組みの検討を求めている。
授業1こまの時間を5分短くして、空いた時間を個別の学習や教科を横断した学びに振り向ける、といったことを想定しているという。また、各学年で学ぶ内容の区分を弾力化し、子どもが理解度に応じて授業を受けられるようにすることも挙げた。
不登校の小中学生が35万人近くに上り、過去最多を更新し続けているほか、日本語の指導が必要な外国籍の子も増えている。学校教育の課題として文科省は第一に、学ぶ意義を見いだせず、主体的に学びに向かうことができない子どもが多いことを指摘した。
子どもたちの実態に向き合って教育のあり方を見直していくことは何より重要だ。であればこそ、学校現場がその主体でなければならない。中央で決めた範囲に裁量を限定すれば、現場の自主性をむしろ不必要に制約する。
学習指導要領は、学校教育の最低限の基準を大枠で示すものだ。法的拘束力を持つことを最高裁は判決で認めているが、あくまで大綱的な基準としてである。
にもかかわらず、絶対的な基準のように現場を縛り、学校教育を窮屈にしてきた。そのことにあらためて目を向け、実際に教育を担うのは教員と学校であることを根幹に据えて、指導要領の位置づけを明確にし直すべきだ。
2000年代以降、指導要領が改定されるたびに、教える内容は増えてきた。教員の多忙さに拍車がかかり、創意工夫を生む余裕が失われている。現行の要領が掲げる「子どもの主体的な学び」も、型通りに対話や討論を取り入れるだけになりがちだ。
学校に余裕を生まなければ、教育の充実はおぼつかない。中教審は、現場の実情を踏まえ、指導要領で示す学習内容や年間の総授業時間を減らすことに踏み込んで議論する必要がある。
学校は文科省の下部組織ではない。政府の役割は、学校の自主性を最大限確保して、その取り組みを下支えすることにある。学校現場から声を上げ、地域が後押ししていくことが欠かせない。
元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】 2024年12月27日 09:31:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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