路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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《斜面・01.01》:太陽のほとりで

2025-01-01 09:30:40 | 【社説・解説・論説・コラム・連載】

《斜面・01.01》:太陽のほとりで

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《斜面・01.01》:太陽のほとりで

 詩人の石垣りんさんは太陽を〈天の井戸〉に例えた。

 人間はたった一つの井戸を囲み、どこにいても同じように光をくみながら生きている。

 くみ上げる音は〈いのちの鼓動〉。

 元日の朝、その音を、胸に手を当てて聞こう、とつづった

 ◆〈新年の光/満ち あふれる 朝です。〉と結ぶ…、

 ◆太陽のほとり

太陽

天に掘られた 光の井戸。

私たち

宇宙の片隅で 輪になって

たったひとつの 井戸を囲んで

暮らします。

世界中 どこにいても

太陽のほとり。

みんな いちにち まいにち

汲み上げる

深い空の底から

長い歴史の奥から

汲んでも 汲んでも 光

天の井戸。

(日本の里には 元日に 若水を汲む

という 美しい言葉が ありました)

 昔ながらの

つるべの音が 聞こえます。

胸に手を当てて 聞きましょう

生きている いのちの鼓動

若水を汲み上げる その音を。

新年の光

満ち あふれる 朝です。

 太陽を「天に掘られた 井戸」と、光を「水」ととらえる、この独創性がまず素晴らしい。

 構成は、前半と後半に分かれる。

 前半では、「宇宙」「世界中」といった大いなる空間を提示し、また「長い歴史の奥」というふうに悠久の時間をも描き出す。

 ここまでは、視覚のみの世界。「光」が主役。

 中盤過ぎで、以下の二行が挿入され、転調する。

 (日本の里には 元日に 若水を汲む

 という 美しい言葉が ありました)

 そして後半。ここからは、聴覚の世界。「音」が主役に。

 「若水を汲む音」を「いのちの鼓動」ととらえる。

 最後の連では、再び「光」が主役に。

 生命の歓びを「光あふれる朝」に象徴させて終わる。

 「太陽のほとり」「光」「水」「若水を汲む音」「光あふれる朝」などの言葉が示すとおり、この詩「太陽のほとり」は生命賛歌だ。

 ただ、詩のタイトル「太陽のほとり」と、前半の大スケールの映像、後半の「若水を汲む音」、そしてラストの「光あふれる朝」までの流れが、今一つ、しっくりこないと感じたのは私だけだろうか。

 時空を前半は宇宙まで広げ、後半は日常の時空間で結ぶという大胆な試みは良いと思うが、その挑戦的な試技の着地は、ピタッと決まっているだろうか。

 この点については、ワークショップなどで、いろんな人に感想を求めてみたい。

 もし、着地に成功していれば、大傑作と言っていいのではないだろうか。

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 元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【斜面】  2025年01月01日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。


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