《斜面・01.01》:太陽のほとりで
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《斜面・01.01》:太陽のほとりで
詩人の石垣りんさんは太陽を〈天の井戸〉に例えた。
人間はたった一つの井戸を囲み、どこにいても同じように光をくみながら生きている。
くみ上げる音は〈いのちの鼓動〉。
元日の朝、その音を、胸に手を当てて聞こう、とつづった
◆〈新年の光/満ち あふれる 朝です。〉と結ぶ…、
◆太陽のほとり
太陽
天に掘られた 光の井戸。
私たち
宇宙の片隅で 輪になって
たったひとつの 井戸を囲んで
暮らします。
世界中 どこにいても
太陽のほとり。
みんな いちにち まいにち
汲み上げる
深い空の底から
長い歴史の奥から
汲んでも 汲んでも 光
天の井戸。
(日本の里には 元日に 若水を汲む
という 美しい言葉が ありました)
昔ながらの
つるべの音が 聞こえます。
胸に手を当てて 聞きましょう
生きている いのちの鼓動
若水を汲み上げる その音を。
新年の光
満ち あふれる 朝です。
太陽を「天に掘られた 井戸」と、光を「水」ととらえる、この独創性がまず素晴らしい。
構成は、前半と後半に分かれる。
前半では、「宇宙」「世界中」といった大いなる空間を提示し、また「長い歴史の奥」というふうに悠久の時間をも描き出す。
ここまでは、視覚のみの世界。「光」が主役。
中盤過ぎで、以下の二行が挿入され、転調する。
(日本の里には 元日に 若水を汲む
という 美しい言葉が ありました)
そして後半。ここからは、聴覚の世界。「音」が主役に。
「若水を汲む音」を「いのちの鼓動」ととらえる。
最後の連では、再び「光」が主役に。
生命の歓びを「光あふれる朝」に象徴させて終わる。
「太陽のほとり」「光」「水」「若水を汲む音」「光あふれる朝」などの言葉が示すとおり、この詩「太陽のほとり」は生命賛歌だ。
ただ、詩のタイトル「太陽のほとり」と、前半の大スケールの映像、後半の「若水を汲む音」、そしてラストの「光あふれる朝」までの流れが、今一つ、しっくりこないと感じたのは私だけだろうか。
時空を前半は宇宙まで広げ、後半は日常の時空間で結ぶという大胆な試みは良いと思うが、その挑戦的な試技の着地は、ピタッと決まっているだろうか。
この点については、ワークショップなどで、いろんな人に感想を求めてみたい。
もし、着地に成功していれば、大傑作と言っていいのではないだろうか。
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元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【斜面】 2025年01月01日 06:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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