愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

戦争に突き進んだ歴史に学ばない国民は弾薬供与貸与事件にみる既成事実の積み重ねで憲法も形骸化してきた

2013-12-29 | 日記

安倍首相の本性が、ここにきて顕になってきました。必然です。その必然を必然たらしめた事実はたくさんあります。この間、種がたくさんばら撒かれてきたのです。その種が芽となり、茎となり、葉をつくり、花を咲かせ、また種となるのです。来年は年男・還暦を迎えると言っている安倍首相も、そのような自然界の連鎖のなかで生きているのです。

今年最後の、この12月に、憲法を形骸化する出来事がたくさんありました。日本版NSCと特定秘密保護法も、安全保障戦略も、武器輸出三原則の見直しも、辺野古移設承認も、靖国参拝も、全て日本国憲法の改悪への一里塚としての種と言えます。まき続けてきた種が一気に芽生えてきたと言えます。その種が、更に芽吹いていくと、その先に何があるか、明瞭です。

日本国憲法の改悪が実現すれば、同盟国のアメリカに屈辱的従属している日本の方向がどのようなものになるかは、明らかです。アメリカの代理者・代弁者として、国際社会に札束と軍事力をもって君臨していくことになるでしょう。それはベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などを断行してきたことによって失われたアメリカの政治的経済的威信と威力をカバーするものとしての役割を担わされていくことを意味しています。

それは辺野古移設を高見の見物をしたアメリカ、TPP参加を要求してくるアメリカを見れば明瞭です。それを根拠付けているのは日米軍事同盟です。これは軍事同盟であると同時に政治・経済的従属を強制する装置でもある訳です。安倍首相が靖国参拝の際に、事前にお伺いを立てていたことは、その象徴です。

さて、この12月の諸事件を引き起こした必然を検証するために、教訓として歴史の事実を紹介しておきます。満州事変(柳条湖事件)と北支事変(盧溝橋事件)です。これは現地軍隊の「派遣」という種が、その後、どのように実を結んだことによって引き起こされた事件であったか、その事件に対して、天皇と政府がどのような対応をしていったか、です。それは、きわめて日本的です。この日本的対応は、今日も進行形です。何故か。

戦前の亡霊が、自民党政権に継承されているからです。その自民党が、自民党を支持する国民と結託して侵略戦争を清算させない力が、学校教育やマスコミ、地域社会などで、しっかりはたらいているからです。その結果、いまだ侵略戦争を清算していない日本があるのです。靖国神社に参拝する安倍首相は、こうした「世論」を背景としているのです。しかし、これは極めて国際的常識、歴史の発展を顧みない身勝手な思想と言わなければなりません。しかし、この「非常識」に対して、「外国にとやかく言われる筋合いのものではない」などと傲慢というか、歴史に対する無知をさらけ出しているのです。恥しい限りです。

まず第一には、「満蒙は生命線」論というコピーを扇動して関東軍が引き起こした満州事変と満州占領、そして満州国建国です。天皇は、張作霖爆殺事件の時には元首・大元帥としての役割を果たしました。現地軍隊が引き起こした謀略に対して天皇も政府も追認でした。その結果国際聯盟脱退を選択し国際的に孤立していったのです。

ここで問題は、関東軍は、日露戦争後にロシア帝国から獲得した租借地、関東州と南満州鉄道(満鉄)の付属地の守備をしていた関東都督府陸軍部が前身。1919年(大正8年)に関東都督府が関東庁に改組されると同時に、台湾軍朝鮮軍支那駐屯軍などと同じたる関東軍として独立(ウィキより)したという歴史です。この関東軍が1932年9月18日に謀略事件を引き起こし、その後の戦争に連動していったのでした。

第二には、盧溝橋事件にしても同様です。この事件を引き起こした支那駐屯軍の駐兵は北清事変最終議定書(北京議定書)に基づくもので、1936年5月には従来の二千名から五千名に増強していた(ウィキ)とあります。1901年に調印された北京議定書に基づいて派遣された軍隊が、35年後に起こし、この場合は現地においては、停戦協定が成立した(松井-秦徳純協定)のもかかわらず、近衛内閣、天皇の裁可を得て北「支派兵に関する政府声明」により、北支派兵を発表したのです。

その後の行き詰まりを打開するものとして、「ABCD包囲網」という「脅威」論、「鬼畜米英」論によってマレー・真珠湾奇襲が引き起こされていくのです。そうして戦争の惨禍がつくられたのです。既成事実の積み重ねが、国民の悲惨をつくりだしたのでs。

しかし、そのことについて、いまだ総括させていません。先に80歳を迎えた天皇でさえもあの戦争を不十分ながらも、それなりに教訓化していました。それは日本国憲法の人権と民主主義、平和主義を意味づけたことでした。それは当然です。天皇は憲法を尊重擁護する義務を負っているからです。

しかし、天皇同様に憲法の尊重擁護の義務を負っている安倍首相は、全く逆の改悪を謀っているのです。これが政治家となった目的だと言い放ったのです。そのような安倍氏を首相に任命しているのです。そこに、現局面の最大のポイントがあります。そういうなかで、一連の事件が、12月に引き起こされたのです。この諸事件が、どのような既成事実の積み重ねのなかでつくられたのか、この諸事件が、更に積み重ねられていくなかで、どのような事件を引き起こしていくか、戦前の歴史は教えています。

それでは、憲法違反と批判されたにもかかわらず、多くのスリカエによって国会を通したPKO法にも違反する弾薬供与・貸与が、どのような経過で準備されてきたか、どのような既成事実の積み重ねのなかで、PKO法に違反してもへっちゃらな日本がつくられてきたか、です。

「国際貢献」「カネだけ出して人は出さないのか」「派遣は非戦闘地域」「人道支援」「神学論争」「大量破壊兵器」「テロとのたたかい「自己責任」などなど、一見すると、誰もが「そうだよね」というようなコピーをつくることで、本質的な議論、憲法九条による国際貢献論の具体化をサボっていることをゴマカシ、スリカエ、トリックにかけるのです。

このことは、憲法第9条に対する政府解釈の変化自衛隊海外派遣の歴史をトータルに見ればいっそう明らかになります。原点である憲法の原則を如何にしてスリカエていくか、原点を踏まえない議論をしてきたか、規制事実化の枠内で議論してきたか、そのことを再検証すべきです。憲法九条にもとづく国際貢献を多様に駆使していく為の国民的議論は黙殺してきたことを検証すべきです。

こうした視点を踏まえるのであれば、また南スーダンの現状を踏まえるのであれば、PKO法は適用できないはずです。しかし、そのような議論はほとんどされることなく、「緊急性」と「人道性」が強調され、「無辜の民が殺されるのを黙って観ていろというのか」式の感情論が強調されることで、武器を供与・貸与することを正当化していくのです。この事実が「前例」となり、次の段階へと突き進むのです。武器弾薬の供与貸与が合法化されていくのです。事実上の武器輸出三原則の禁止解禁、集団的自衛権行使への一歩となるのです。憲法九条の空洞化です。この手法がナチスの手口というものです。

そのことは、身長とそれに見合う体重という身の丈にあった服を着る努力を怠った日本が、誘惑に負けて、怠惰な生活をすることで、身の丈に合わなくなり、それまでの服を着ることもできなくなり、体格に合わせて服をつくってきてしまったという譬えを出すだけで十分でしょう。身の丈にあった、健康の基準などは、全く省みることもなくということです。そのうち「成人病」か、ガンに罹って死ぬしかないのかもしれません。

しかし、それではあまりに悲惨です。現代の医学・食育学など、諸科学をもってすれば、健康に回帰していくことは可能かもしれません。その諸科学・ものさしは、日本社会で言えば憲法です。この憲法を使って来なかったしっぺ返しが、今倍返しとなって、この12月に起こったのです。このしっぺ返しは、すでに、多くの病理現象として国民の中に生じています。しかし、この病理についても、治療ができないまま、ますます国民に忍び寄ってきています。貧困、認知症など、国民病です。

以上の国内の安全安心が保障されないまま、ないがしろにされながら、国家主義的安全保障だけが優先され、既成事実として積み上げられているのです。しかし、原点をものさしに、スリカエ・ゴマカシ・トリックを断ち切る必要があります。それら断ち切るためには、主権者である国民が声をあげることです。

「備えあれば憂いなし」の諺を憲法にこそ使うべきです。憲法九条は国際紛争が起こらないようにするための最低の原則です。この原則を多面的多様に使うことで、光輝くように発展させていくべきです。そのための国民的議論をおこすべきです。

コメント (1)
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