私家版 宮城の野鳥フィールドノート since 1976

元旦の化女沼シジュウカラガン飛び出しは、飛び出す頃に目が覚め、なし。明日はないので、3日頃にでも行くかな。

1984年12月26日~1985年1月6日 仙台~硫黄島~グアムサイパン航路

2006年09月07日 | 県外・国外・その他
■1984/12/26(水)~1985/1/6(日)【天気】晴れ
【場所】仙台港~小笠原~硫黄島~グアム~サイパン~仙台港
【種名】(科種)
【備考】
 12月26日(水)15:00「第1回ミヤギテレビ少年の船」(「さんふらわあ7」関西汽船)に乗って,12月の季節風の吹きすさぶ中,グアム・サイパンへ向かった。出航から翌日の夕方まではひどい揺れで,ほとんどの教師や子供たちが船酔いしていたようだが,私ともう一人の先生はいたって元気で,3度の食事を元気に食べていた。小笠原に近づくころになると海も群青色を増し,セグロアジサシやウミツバメの類,ミズナギドリの類が多くなってきた。
 12月28日(金)最初の感動は硫黄島で訪れた。この船の旅の目的のひとつに太平洋戦争で亡くなった人々への慰霊があげられるが,硫黄島近くになってその意味がはっきりとわかったような気がした。海上自衛隊の駆逐艦が多く見られるようになり,また硫黄島にはレーダーサイトが見えた。アメリカ軍の艦砲射撃で山容が変形した摺鉢山と,そこからなだらかに続く島には木も生えていない広漠とした風景に唖然としてしまった。海岸線には沈没して錆びた船の残骸が多く見られ,水に苦労したという島にはなるほど,雨水以外に水を得るすべはなかったように思える。鳴瀬川の上流から汲んできたという水を海上にまき,献花が波間に揺れ,早くも後に見えなくなるその光景はやはり我々の日常とは異なるものだった-いわゆる霊的感情。この時,撮った写真は現在残っていない。それもそのはず,笑い話にもならないがリバーサルフィルムがこの時だけ,硫黄島の時だけ入れ忘れていたのだ。その結果,あのすさまじい光景は目に焼きついているだけで,写真にはない。少年の船のアルバムにかろうじて見えるだけである。
 グアム・サイパンに着いて,慰霊塔を建てたり,バンザイクリフやスーサイドクリフを見,また島のあちこちにあるゼロ戦や日本軍の戦車の残骸,高射砲の残骸を目にしたとき,やはり多くの戦争を知らない世代の我々を含めて,このミヤギテレビ少年の船に乗る価値はあるのだと感銘することしきりだった。自分たちの子どもにもこの光景をぜひ見せたいものである。
 ここで鳥の話をすれば,グアムよりサイパンの方が種類が豊富なように思えた。島の自然,景観自体グアムとサイパンでは異なっている。グアムは恋人岬のシラオネッタイチョウの飛翔に象徴されるように,明るい南国の雰囲気がある。それに対して,サイパン島は,スーサドクリフの上から見たジャングルの中のゼロ戦の残骸やその上空を飛ぶシロアジサシの群れといったように,何か物悲しい雰囲気が漂う。ラストコマンドポストで見たナンヨウショウビンの営巣や,ミツスイSPなど,ゆっくり見れば見るほど,いろいろな野鳥たちが見られるような気がした。海はなまこだらけだが,やはり鳥を見るならサイパンのほうがいい。
サイパン島のラストコマンドポスト付近で見たナンヨウショウビン。,何度も小さなトカゲを取ってきては巣穴を出入りしていた。時間がなかったので,ゆっくり観察はできなかったが,近くの枝に止まって周りの様子をうかがい,さっと巣穴に入ってはすぐ出てくるというようなことを繰り返していた。

※この記事は小笠原の記事同様,昔HPに書いたものを加筆修正してブログに再掲しているが,今回,小笠原-硫黄島ツアーに参加する動機がわかってもらえるかもしれない。鳥はまさに小笠原母島共々取り損ねた。そしてあの貴重な硫黄島の体験も今は薄れはじめている。もう一度同じ航路へ行って,体験を再構築したい,そんな想いだ。2回目は1回目と違ってもっと冷静に物事を見ることができるに違いない。鳥を見る旅の楽しさはそんなところにあると思っている。
【写真】
  
■サイパン島ナンヨウショウビン/グアム島PloverSP/サイパン島スーサイドクリフのシロアジサシ
 
■グアム島恋人岬(Lover's Point)のシラオネッタイチョウ/サイパン島沖カツオドリ


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