会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

北京・西安の旅26

2010-03-27 21:24:06 | 旅行
3月27日(土)                                   = どうなっているのかなお天気は 洗濯物が無残 =

 今日は朝から陽光が輝き気分爽快。ラシュも孫も居ない。
いつものように午前6時半のラジオ体操をして、朝食の準備。炊飯器にはご飯が出来上がっていた。豆腐とねぎと油揚げの味噌汁。醤油と酒に漬けて置いた鶏肉を焼く。納豆。漬物。ラッキョウ。生野菜。ヤクルト。こんな朝食でした。食後は梅干でお茶を飲む。
 久しぶりの晴天。張り切って洗濯をする。そして天日に干した。ポンプ小屋に置いたクンシランもたくさんの花を咲かせていたので玄関前に飾った。サイネリアやクリスマスローズも外に出した。
 気分よくプールへ出かけた。いつものように腰痛のストレッチ、水中運動をし、サウナで汗を流した。帰りに近くのサンゴルフへ寄って1時間くらい打ちっ放しをしようと思った。足取りも軽く施設から外へ出た。お天気は激変。みぞれが降っている。そして雨に変わった。家に帰ると誰も取りこんでくれなかった洗濯物はぐっしょりと濡れていた。独りの生活だとこのようなことはしばしばあるのだろうなと思った。外出する時は屋根のある物干し場に干すようにする。よい体験。濡れた物はもう一度洗濯をし直した。
 

2007.6月6日(水)北京・西安の旅26 
           「旅行のあれこれ」 



「両手で耳を押さえない限り、とても座っては居られなかった」。その昔、芥川龍之介がこういい表したという京劇。確かにけたたましいドラの音や甲高い歌声は、初めて耳にする者とって違和感を覚えるほどの激しさである。しかし、その取っつきにくさを乗り越えてこそ、真価に触れることが出来る。演ずる者の歌声と胡弓、月琴などの民俗楽器が織り成す華麗なハーモニー、派手な動きの大立ち回りも魅力的だった。清の乾隆帝の誕生祝に披露されて以来、ちまたで流行し、今では国劇とまでいわれる中国きっての伝統芸能になっている。
激しい立ち回り、最後に見栄をきる。隈取されたメイク、派手な衣装などは日本の歌舞伎に通じるものがあった。また、歌声だけでなく目や指の動きなど繊細さも見逃せない。





北京・西安の旅25

2010-03-27 10:43:32 | 旅行
3月26日(金)晴れても風が冷たい       
            = 男の料理味覚会総会 =

 姪の連れ合いが亡くなり妻は告別式参列のため長野へでかけた。息子夫婦は職場へ行き、夜は二人とも送別会。ラッシュは我が家へ来て留守番。
 犬の散歩。朝食を作る。ごみ出し。洗濯と独り身は忙しい。妻の有難さを実感する。
 戸締りして豊齢研ITサロン会津のパソコン教室へ出かけた。午後4時帰宅し犬の散歩。
 午後5時から男の料理味覚会総会へ。
 上町の某居酒屋で総会と懇親会を開く。味覚会も活動を初めて10年になった。現在会員は20名。発足当時からの会員は自分を含めて6名。よく続いたものである。
 10周年を記念して福島県社交飲食業生活衛生同業組合 会津連合会 事業部長に講話をお願いした。その話しの中で、
「くつろぎを求めてこられるお客様に料理、器、接待、雰囲気と心配りをすること・・」「そして本物の味、料理を提供すること」また、「今、冷凍食品、添加物の多い食品などくを扱っている居酒屋にはお客が集まらなくなった。高くても本物を求めるようになっている。」と話された。なるほどと思ってうなずいて聞いた。

2007.6月6日(水)北京・西安の旅25 
           「世界遺産 兵馬俑坑博物館あれこれ」 

秦の始皇帝がもつ権力の強さが垣間見られる博物館。始皇帝陵から東に1.5kmの地で発見された。約6000体に及ぶ陶俑・陶馬の隊列が発見された。後にさらに2つの俑坑が見つかったことから博物館として公開された。特に1号坑は始皇帝の陵墓を守るための兵馬俑が整然と並んでいる。秦代の男性の平均身長は150cm位だったが、軍隊の強さを誇示するため平均身長180cmの陶俑が作られた。
 この写真は2号坑から発掘された弓矢部隊の一つ、鎧を着た膝射ちの兵士(武官?)である。さまざまな表情の陶俑・陶馬整然と隊列を作っている。また、青銅製の銅車馬。一号と二号があり、それぞれ4頭の馬が車を引いている。大きさは実物の2分の1である。

観光客に見せるところはしっかり修復されたものだが、まだまだ修復作業中のものがたくさんあった。全部が修復されるかどうかどうかわからないが、もう一度見学に来たい所であった。