会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

上海・蘇州・無錫の旅2

2010-03-30 20:55:01 | 旅行
3月30日(火)   
     まだ気温は低いが久しぶりの晴れ間 
               = 監査で会った会津大使 =

 何時ものようにラシュの散歩。妻を着付け教室に送り、「会津葦名一族研究会の監査」のため、コーヒー店に出かけた。約70名の会員。昨年発足した会である。会費で運営しているボランティア団体なので監査も短時間で終えることが出来た。もう一人の監事は会津出身者で現在神奈川県川崎市に住んでおられる。会津に関する諸団体に関係している方で名刺交換をした。数枚の名刺をいただいた。列挙すると
「会津大使」=会津若松経済情報ネットワーク協議会 事務局は会津若松市役所観光課にある。
「喜多方市ふるさと大使」=喜多方市の地域起こしなど 喜多方市役所
「もっと会津を“江戸家老”」=NPO法人会津の文化づくり 会津若松市
など。
色々な話しをしているうちに共通の知人や親類のことなどがわかり初対面とは思えぬ親近感をもった。また、会津葦名一族研究会でお会いするのが楽しみである。


      2002.12月5日(水)蘇州・無錫の旅2

 この旅は、西会津町の某氏が企画した旅行であった。会津一円から募集し、60数名の大団体。知人に誘われて参加した。バス2台を連ねて新潟空港へと向かった。車中で諸連絡や確認をした。それぞれ完璧と思った矢先、知人がパスポートを忘れたと叫んだ。パスポートがなければ本人の海外旅行は無理。運転手と添乗員の連携で、自宅に連絡がとれた。奥さんが習い物をしている日。本来なら外出して留守。幸いなことに外出前に連絡できた。
バスは西会津町で待った。若松タクシーの運転手さんが届けてくれた。間一髪間に合ってよかった。ハプニングの予兆。
 なんとかフライトに間にあって上海空港へ着いた。
 10年前の中国は今の発展からは想像もできないような国であった。逆に日本はバブルがはじけたといってもアメリカに次ぐ経済太国と自負していた。自分もその一人であった。今にして思えば恥ずかしい驕りであった。深く反省する。