私の祖母(母方)は、戦中戦後の混乱期に子育てをこなしてきたわけで、そのことだけでも尊敬するが、私が特に感服するのは祖母の勝負勘の良さである。
←目の付け所がシャープな祖母でした
祖母は専業主婦で、自分の収入というものはなかった。祖父は公務員で、安定しているとはいえまったく金持ちではなかったが、給料の一部を生活費として祖母に渡したあとは、それをどう使おうが一切口を挟まなかったそうだ。
祖母は、給料全体がいくらなのかを知らないまま、祖父の決めた金額の中でやりくりして、せっせと「へそくり」作りに励んだ。元々、あまり服その他の、贅沢とはいえないほどのささやかなものであっても自分のためにお金を使うということがなかった人で、少しずつでも何年も経つとそれなりの貯金ができたようである。
戦後しばらくしてある程度混乱が落ち着き、でもみんながまだ食べるもの・着るものの不足に悩んでいるようなころ、祖母はそれまでの貯蓄で今どの株を買うのがいいだろうかと思って新聞の経済欄を見た。そこには、何人かの専門家が、あの株がいい、この株が上がりそうだといって奨めたコメントがまとめられていたのだが、その中の一人が「今買うなら土地がいい。しかし株の中で挙げるならば…」という書き方をしていたそうだ。
祖母はこれを見て、株の専門家があえて土地を奨めるくらいだから、土地を買うのがよかろう、と判断した。そして50坪程度の土地を13万円で買った。そのころの13万円がどういう金額なのかわからない。今の13万円とは違って相当の価値がある金額だったには違いないが、それでも相対的に土地の値段はとても安かった。みんな土地どころじゃなかったから。
祖母は、そのほかにも土地をひとつと、株をいくつか買った。それらはみんな戦後の復興から高度成長期を経て目覚しく値上がりし、13万円で買った土地も売れたときは5000万円とかになっていた。
祖父は金儲けにまったく興味のない人だったので、祖母がそうやって「投資」をしたがることに対してはハナから馬鹿にしていたそうだ。それでも、いったん決めて渡した金額から貯めたへそくりの使途については何も文句を言わなかった。
このように祖母は、これはと思うきっかけがあるとそのチャンスを掴んでものにするタイプだったのだ。それ以前に、チャンスが来たら掴めるように普段は地道に貯金をしていたところがミソともいえる。
祖母はまったく音楽がわからない人だったので、なぜ娘にピアノを習わせることを思い立ったのか、ちょっと不明である。いろんな話を聞いた中に、これぞというほどの説得力のあるエピソードはなかった、と思う。確か、歌とかをうたっているのを見て音楽が好きなのではと思ったとかそんな程度の話なら聞いたのだけど。
周囲にはまだピアノを習うという風潮はまったくなく、庶民であるからピアノなどは到底手に入るものではなかった。しかしなぜだかよくわからないが母は小学校二年生かそれくらいのときにピアノを習い始め、家にはピアノがないが近所のハイカラなおうちにあるピアノを借りて練習していた。
中学生の途中くらいか、音楽を専門にするならピアノを持っていたほうがよいと先生から奨められ、「へそくり」をはたいてピアノの購入に踏み切った。そのピアノは、私が子どものころ家にあったが、ヤマハのアップライトピアノで、ちょっと赤っぽい、今ではあまり見ない色合いのものだった。
ピアノを買うとき、今まで滅多なことではお金の使途に反対しなかった祖父が反対したそうである。音楽なんていう進路はとても浅薄なもののように見えたからだろう。祖父はなにしろ堅い仕事をしていたし(都立高校の校長先生、専門は国語)、「日本語もろくにできないものが音楽なんかやって何になる」と言ったとか。
(それで祖母が、「好きなことをして食っていければそれが一番いいと思う」というようなことを言い、祖父が「好きなことして食やぁいいならオレは焼き鳥屋のオヤジになっている」と言ったんだそうだ。なかなかナイスな夫婦喧嘩である)
まぁ、そんなこといってたら誰も国語以外の勉強ができなくなっちゃうから(^^;; 煮ても焼いても食えない明治男の言うことは脇に置いておいて、娘を音大ピアノ科に進学させた祖母の先見の明をほめるべきだろう。
母がピアノ科を卒業するころには、ピアノを教えられるというだけで引く手あまた、募集しなくたって口コミで、生徒はいくらでも集められた。主婦をやりながらの仕事形態としては最高だったと思う。
そして私はピアノの音を浴びるように聞いて育ち、自分がろくに弾けなくても(^^;; ピアノという楽器、そしてピアノを弾くということと切っても切れない縁を感じるようになったのだ。
以上のような話は、私が中学高校のころ、一人暮らしをしていた祖母の家に行って聞いたものだ。だいたい一人で行って、トランプや将棋やおしゃべりの相手をして、お小遣いをもらって帰ってくる。あまりに潤沢なお小遣いをもらっていたので親からはお小遣いとして一度ももらったことがないほど。
年寄りの話なのでやたら循環するのだが、祖母の勝負強さ(将棋やトランプは弱いけど)と、それから楽観的なメンタリティーが印象に残っている。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
【中学受験】 こじろうインデックス
【高校受験】 またろうインデックス
ピアノ・インデックス
今日の弁当:
ウインナと野菜(アスパラ、かぼちゃ)焼き、プチトマト、れんこんコロッケ、切干大根煮、枝豆
はなひめ昨日の勉強
なし(-_-#
←目の付け所がシャープな祖母でした
祖母は専業主婦で、自分の収入というものはなかった。祖父は公務員で、安定しているとはいえまったく金持ちではなかったが、給料の一部を生活費として祖母に渡したあとは、それをどう使おうが一切口を挟まなかったそうだ。
祖母は、給料全体がいくらなのかを知らないまま、祖父の決めた金額の中でやりくりして、せっせと「へそくり」作りに励んだ。元々、あまり服その他の、贅沢とはいえないほどのささやかなものであっても自分のためにお金を使うということがなかった人で、少しずつでも何年も経つとそれなりの貯金ができたようである。
戦後しばらくしてある程度混乱が落ち着き、でもみんながまだ食べるもの・着るものの不足に悩んでいるようなころ、祖母はそれまでの貯蓄で今どの株を買うのがいいだろうかと思って新聞の経済欄を見た。そこには、何人かの専門家が、あの株がいい、この株が上がりそうだといって奨めたコメントがまとめられていたのだが、その中の一人が「今買うなら土地がいい。しかし株の中で挙げるならば…」という書き方をしていたそうだ。
祖母はこれを見て、株の専門家があえて土地を奨めるくらいだから、土地を買うのがよかろう、と判断した。そして50坪程度の土地を13万円で買った。そのころの13万円がどういう金額なのかわからない。今の13万円とは違って相当の価値がある金額だったには違いないが、それでも相対的に土地の値段はとても安かった。みんな土地どころじゃなかったから。
祖母は、そのほかにも土地をひとつと、株をいくつか買った。それらはみんな戦後の復興から高度成長期を経て目覚しく値上がりし、13万円で買った土地も売れたときは5000万円とかになっていた。
祖父は金儲けにまったく興味のない人だったので、祖母がそうやって「投資」をしたがることに対してはハナから馬鹿にしていたそうだ。それでも、いったん決めて渡した金額から貯めたへそくりの使途については何も文句を言わなかった。
このように祖母は、これはと思うきっかけがあるとそのチャンスを掴んでものにするタイプだったのだ。それ以前に、チャンスが来たら掴めるように普段は地道に貯金をしていたところがミソともいえる。
祖母はまったく音楽がわからない人だったので、なぜ娘にピアノを習わせることを思い立ったのか、ちょっと不明である。いろんな話を聞いた中に、これぞというほどの説得力のあるエピソードはなかった、と思う。確か、歌とかをうたっているのを見て音楽が好きなのではと思ったとかそんな程度の話なら聞いたのだけど。
周囲にはまだピアノを習うという風潮はまったくなく、庶民であるからピアノなどは到底手に入るものではなかった。しかしなぜだかよくわからないが母は小学校二年生かそれくらいのときにピアノを習い始め、家にはピアノがないが近所のハイカラなおうちにあるピアノを借りて練習していた。
中学生の途中くらいか、音楽を専門にするならピアノを持っていたほうがよいと先生から奨められ、「へそくり」をはたいてピアノの購入に踏み切った。そのピアノは、私が子どものころ家にあったが、ヤマハのアップライトピアノで、ちょっと赤っぽい、今ではあまり見ない色合いのものだった。
ピアノを買うとき、今まで滅多なことではお金の使途に反対しなかった祖父が反対したそうである。音楽なんていう進路はとても浅薄なもののように見えたからだろう。祖父はなにしろ堅い仕事をしていたし(都立高校の校長先生、専門は国語)、「日本語もろくにできないものが音楽なんかやって何になる」と言ったとか。
(それで祖母が、「好きなことをして食っていければそれが一番いいと思う」というようなことを言い、祖父が「好きなことして食やぁいいならオレは焼き鳥屋のオヤジになっている」と言ったんだそうだ。なかなかナイスな夫婦喧嘩である)
まぁ、そんなこといってたら誰も国語以外の勉強ができなくなっちゃうから(^^;; 煮ても焼いても食えない明治男の言うことは脇に置いておいて、娘を音大ピアノ科に進学させた祖母の先見の明をほめるべきだろう。
母がピアノ科を卒業するころには、ピアノを教えられるというだけで引く手あまた、募集しなくたって口コミで、生徒はいくらでも集められた。主婦をやりながらの仕事形態としては最高だったと思う。
そして私はピアノの音を浴びるように聞いて育ち、自分がろくに弾けなくても(^^;; ピアノという楽器、そしてピアノを弾くということと切っても切れない縁を感じるようになったのだ。
以上のような話は、私が中学高校のころ、一人暮らしをしていた祖母の家に行って聞いたものだ。だいたい一人で行って、トランプや将棋やおしゃべりの相手をして、お小遣いをもらって帰ってくる。あまりに潤沢なお小遣いをもらっていたので親からはお小遣いとして一度ももらったことがないほど。
年寄りの話なのでやたら循環するのだが、祖母の勝負強さ(将棋やトランプは弱いけど)と、それから楽観的なメンタリティーが印象に残っている。
にほんブログ村 ピアノ ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育
【中学受験】 こじろうインデックス
【高校受験】 またろうインデックス
ピアノ・インデックス
今日の弁当:
ウインナと野菜(アスパラ、かぼちゃ)焼き、プチトマト、れんこんコロッケ、切干大根煮、枝豆
はなひめ昨日の勉強
なし(-_-#