「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       「インドネシア従軍5年」 名誉教授の話

2011-12-04 06:52:17 | Weblog
昨日、雨の中東京目黒のインドネシア学校で昭和女子大学名誉教授、山下信一氏(91)の「インドネシア従軍5年」の話を聞く会があった。今年は大東亜戦争勃発70周年だが、あの戦争に従軍した世代は80歳代後半から90歳を越え、直接体験談を聞くことも少なくなってきた。山下氏は大分歩兵48師団の一兵卒としてリンガエン(フィリッピン)スラバヤ(インドネシア)両上陸作戦に参加という貴重な体験をしている。

山下教授は旧制中学を卒業後昭和15年徴兵で現役入営、翌16年12月21歳で戦地に赴き戦後22年、連合軍の使役労働に従事した後22年に復員帰国した。その間ジャワ、東チモール、ロンボク、バリ、さらに再びジャワと5年間も各地を転々と移動駐屯している。スラバヤ上陸作戦では、隣にいた兵長が弾に当たり即死するなどを体験したが、現地のインドネシア人たちが皆親指を突き出し”jempol"と日本軍を歓迎、椰子の水をご馳走してくれたという。

この住民の熱烈歓迎の話は、軍政官としてバンタム湾(西ジャワ)から上陸した斉藤鎮男(元インドネシア大使)の著書「私の軍政記」(日本インドネシア協会1977年)にも出てくる。山下教授と斉藤元大使とはまったく関係がない。ジャワには3カ所から上陸作戦が行われているが、この”Jempol"の話と住民が"北方から来る黄色い人種によって苦しめられた民は救われる”というジャワ神話を信じて日本軍を歓迎した話は有名だ。

日本でもインドネシアでも、もう大東亜戦争を直接体験した世代はすくなって来た。山下教授の話を聞いて、僕は先月インドネシア旅行をしらさい、ジャワのトマングンで会った元義勇軍兵士、バンバン・プルノモ氏(86)が開いている日本語私塾「友好寺小屋」のことを思い出した。戦争で現地の人々に色々迷惑をかけたが、インドネシアはアセアン諸国の中では一番の親日国である。この両国友好の絆を大切にしたいものである。