「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             消えて行く歳末風景に郷愁

2011-12-30 07:17:42 | Weblog
今年もあと2日、押し迫ってきたが、ただそれは言葉だけで実感はない。やはり馬齢を重ねたせいなのだろうか。戦前、子供だった頃の東京の師走には歳末の風物詩があったが、今はこれが消え去りつつある。ほのかな郷愁みたいなものを感じる。

昨日、病院帰りに駅前の商店街を歩いたが、一向に歳末を感じなかった。戦前は”数え日”の今頃になると、商店街の空き地に臨時に歳末大売り出しの抽選場が設けられ、一等賞の桐の大箪笥が出たりすると、街中が大騒ぎとなった。駅前には、チンドン屋さんのジンタが響きわたりいやがおうにも、歳末の慌ただしさをかきたてた。そして、夕闇が迫ると駅頭には、制服を着た救世軍の兵士たちが”信ずる者は皆こい。ただ信ぜよ”と歌いながら、慈善鍋を前に往く人々に募金を呼び掛けていた。

歳末になると、戦前は東京の区部でも餅つき風景がよく見られた。僕の母方の実家でも早朝から近所の人が集まり、もうもうと立ち込める蒸篭の湯気の中で、次々と餅がつきあげれていった。そのつきあげの餅を餡や黄粉でくるめて食べる喜びは忘れらない思い出だ。わが家は当時JR五反田駅近くの目黒川沿いにあったが、大森海岸から暮れになると、漁師さん(魚屋)が正月用の新鮮なサカナや海産物をリヤカーにいっぱい積んで売りにきた。まだ江戸前のサカナがたくさん獲れていた。

昨日、駅前通りを見た限り、昔のような豪華な門松を飾った店は一軒もなかった。昔は”一夜飾り”を人々は嫌い、どこの家でも新年の飾りつけは大晦日前にすましたものだ。”苦餅”といって29日(九=苦)に餅をつくことも嫌った。そして、すべて終えた後で静かに新年を迎えたものだが、今はあまり縁起をかつぐこともなくなったし、けじめをつけることもなくなってきた。