「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          浅草六区から映画館がなくなる

2012-08-02 05:22:45 | Weblog
日本の映画館発祥の地、東京の浅草六区から、この秋、今ある映画館五つが入っているビルが再開発で壊され伝統の灯が消されることになる。戦前六区といえば、ひょうたん池のまわりに数十軒の映画館や芝居小屋があって、休日には人人の波で動きがとれぬほどの賑わいを見せていた。僕も子供ながらそれを自分の目で見ている。戦後も昭和30年、新聞社の駆け出し記者として浅草警察を担当した時代でも、ロック座、フランス座などストリップが全盛で劇場前には長い列が出来ていた。

六区は浅草の観音様の裏手に当たり、明治時代に入って庶民の歓楽街として開発された地区だが、浅草田圃という言葉があったほど江戸時代はまだ農村だった。吉原遊郭も元はと言えば「葦」が茂る低地で、落語などには遊客が隅田川から小舟に乗って登楼する話もある。

今、オリンピックが開催されているロンドンにも、かってソーホーという歓楽地があった。スチブンソンの「ジキル博士とハイド氏」にも出てくる古い遊び場だが、ここも16世紀前は放牧農場があった地で、ソーホーの名のいわれは、農民の放牧のさい発した声からきているという。半世紀前の1962年、僕が初めてロンドンを訪れた当時ソーホーは、性風俗の店を中心に映画館や見世物小屋などが多かった。ところが、今やソーホーには一軒も性風俗店はないそうだ。1980年頃から再開発がすすみ、今や高級レストランやメディア関連企業の街に変身したという。

洋の東西を問わず、街は時代とともに変わってゆく。映画館の灯が消えた浅草六区はどのような街になってゆくのだろうか。ひょうたん池がまだ埋められなかった頃、池の周りの屋台で、梅割り焼酎をのみながらモツ焼きを食べたのが懐かしい。今でも浅草にはこの種の郷愁をそそる店が残っているが、再開発でやがて消えてゆくのだろうか。